喫茶
喫茶店の一番奥の席に座って、ゆったりと背筋を伸ばして座っていた。机の上には原稿用紙と『ヨハネの黙示録』がある。ジャンヌダルクについては断片的にしか知らない。数年前に一度だけ伝記を読んだだけだ。
「だって、神様の声が聞こえたっていう設定よりも、聞こえていたと思っていたのは、実は違いましたって設定の方が楽しいもんね!」
彼は楽しそうだった。頬が緩んで目は楕円になり意気揚々としている。温かい珈琲を飲んで、お菓子を少しずつ食べる。頭の中で狂喜乱舞を妄想しながら。
「ふーん」
そんな彼を面白く無さそうな顔で見ていた女の子がいる。今は盛夏だ。小学生であれば夏休み期間になるのだろうか。髪はおかっぱで、赤いワンピースに白いシャツを着ている。身長が低い、椅子の高さと同じくらいだろうか。
「あぁ、可愛い女の子だ。こんにちは」
「お前、何やっているの?」
「小説を書いているんだよ。僕は小説家だからね」
彼は突然話しかけてきた女の子を邪険にしなかった。嫌がりもせずに、困った顔もせずに、優しい顔で、優しい声で返事をした。
「これ、どんな小説なんだ……」
「伝記に近いのかなぁ。幽霊とか、妖怪とか、悪魔とか、そういう怪物が伝記に登場する架空のストーリーなんだ。ね? 面白そうでしょう!」
「いや……」
苦い顔をする女の子。まだ小学生には難しいかな、とまだ笑顔をする。困惑する女の子を目の前に全く動揺していない。ケーキを少し切り分けて口に運んだ。次に珈琲を手に取る。
「あのさぁ。誰かに恨まれるようなことをしたのか?」
女の子は心配そうな顔をしている。不安そうな表情に小説家は違和感を感じた。
「えっと……自慢じゃないけど……僕はとっても平和主義者だよ。誰にも迷惑をかけずに生きて来た。誰とも喧嘩したことがないし。恨まれたりはしていないと思うけどな」
と、言い終わったと同時に喫茶店に飾ってあった絵画が地面に落ちた。近くには誰もいない。店の中にいた女性店員が悲鳴をあげる。独りでに……勝手に……地面に落ちた。
「……うわ」
「ん? どうかしたのかい?」
当の本人は怪奇現象に全く気が付いていない。周りの人間は全員の顔は歪んでいるというのに。
「アイツ。気が付いて欲しくて、わざと落としたな」
「え? 何だって?」
「単刀直入に言う。お前の周りには悪霊がいる。集まってきている。その変な小説のせいかもしれない。とにかくお前……ちょっと……」
女の子が向いている方向がおかしい。誰と会話をしているのだろう。テーブルの中を見て必死な顔をしている。まるで……何かが顔を覗かせようとしているのを、必死に抑え込んでいるような。
「悪霊ってのは、噂話をしている箇所に集まるんだよ。だから……」
そんな女の子の必死な声を無視して、男は女の子の両手を強く握った。
「是非、君を取材させてくれ! 今書いている小説の主人公のモチーフにしたいんだ!」
「はぁ?」
小説家は直感で気が付いた。彼女は何か……違う生き物であることに。
「お嬢さん。お名前は?」
「薬袋的だよ」
「よろしくね! 僕は……鮎飛小次郎だよ!」




