肝心
研究テーマの中に悪霊、怨念という言葉が追加された。そんな文系脳というか、非科学的な物は人生から切り捨てていたのだが、そうも言ってられなくなった。目の前で他人が消えたのだ。警察に逮捕される寸前の殺人鬼。その白髪の人間が大量の悪霊に囲まれて、心を衰弱された末に……異世界に飛ばされる瞬間を見た。
絶望した。始めて悪霊を見た時は……胃の中の全てを吐き出した。その日から食欲を失った。殺された人間が変わり果てった姿で蘇る瞬間を何度も目の当たりにした。必死に目を逸らす私を見て、薬袋纐纈は嬉しそうな声で『是非、君の研究に活かしてくれ』と言い放った。
冗談じゃない。死者の魂を愚弄するにも程がある。その日から悪霊が自分の背後を歩いてくるようになった。家族などいなかった一軒家に、その悪霊が住み着いた。勝手にテレビがついたり、独りでに蛇口が動いたり、奇妙な現象が毎日のように起こった。
きっと、もうそろそろ殺されるだろう。自分は死ぬのだろう。そう思っていた。あの病院から何度も逃げ出そうと思った。それでも薬袋纐纈は逃げ出すことを許さなかった。友達だ、仲間だ、家族だと、それっぽい耳障りの良い言葉を投げ掛けられた。悪霊が付きまとうのでもう逃げられない。
彼は決心した。この計画を食い止めなくてはならないと。具体的には『薬袋的』を殺さなければならないと。薬袋纐纈は宿敵であるのだが、彼を殺すことに意味がない。本当の敵を彼は見定めていた。薬袋的だ。薬袋纐纈は薬袋的を最強の悪霊として人類を救済し、全ての人間に永遠の命を与えるなどと言っていたが、それはまるで期待していない。だって、肝心の薬袋的が全く意見に賛同していなかったから。狂気的な祖父を前にしても彼女は変わらなかった。
風来坊で自分勝手で生意気で自由な餓鬼。そんな印象だった。あの祖父に育てて貰いながらである。祖父の言いなりになど、全くなっていなかった。この作戦は確実に失敗する。土台から崩れ落ちる様を想像できた。彼の思い描く未来など訪れない。
しかし、最強の悪霊が誕生することまでは成功したら?逆に人類は滅んでしまうのではないか。そんな不安感が心を襲った。現に身近な人間が次から次に死んでいる。その強大なる怨念によって人間を滅ぼしてしまうのではないか。種の繁栄が潰えるのでは。そう思ったら……自分の恐怖では済まなくなった。
「もうやめてくれ」
「……おう。何を止めればいいんだ」
「人殺しをだ。もう僕はこれ以上、人の命が犠牲になる瞬間を見たくない」
「酷いことを言うな。私は誰も殺していない。お前達が殺しているんだろ」
「違う! 殺しているのはお前だ。悪霊を使って……復讐心を駆り立てて!」
「復讐心を駆り立てるような奴に見えるか? 私が……」
「じゃあ……じゃあ、これは何なんだ!」
「自業自得だろ」
医務室には正体不明の血溜まりが出来ていた。そこには誰もいない。ガラス越しに獄面鎧王と薬袋的がにらみ合う。




