虎児
「栄助さん!」
歓喜の声をあげて絵之木実松が駆け寄っていく。今まで建物の陰から見守っていただけの男。
「あぁ。今日も終わったよ」
「ご無事で何よりです。今回もしっかり勝てましたね」
「まあな」
嬉しそうに微笑み返す。それに反応して、絵之木実松も笑った。二人で手を取り合って立ち尽くす。まるで二人だけの空間。誰にも踏み越えられない温かい情景。
「アイツはお爺ちゃんの部下だった人だよ。全然、無能な人間じゃなかった。むしろよく頑張って仕事をしていたよ。家族がいるからって」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。リスクを覚悟しなければ成功は掴めないという意。しかし、それは逆を返せば虎にも言えることではないか。子供を穴に隠してでも獲物を仕留めに行かなければ飢え死にしてしまう。我が子を犠牲にしなくては、生きてはいけない。
「アイツは悪霊と関わりのある人間じゃなかったけどな。誰かに恨まれている人間じゃなかった」
「……そうなんですか」
滋賀栄助は尻餅をついて地面に座り込んだ。慌てて駆け寄る。
「あのカメラマンも同じですよ。吉原で戦った忍者の一人です」
「アイツもだな。百鬼の中には望んで悪霊になった連中ばっかりじゃない。お爺ちゃんに無理やり化け物にされた人間もいるってことだ」
滋賀栄助は俯いた顔をする。全ての人間がこの戦いに臨んで参加している訳じゃない。勝手に怪物の姿にさせられて、生き残ることを強要される。他人が出筆した本の登場人物に仕立て上げられて。
「こんなことが許されていいはずがない」
「あぁ。俺のお爺ちゃんは最低最悪の野郎だ。だから、呆気なく負けた。最後まで意味不明に負けていった。あと、何匹百鬼が残っているんだろうな。仲間同士で同士討ちもしているだろうから、もう残っている数は少ないのかもしれないな」
絵之木実松は後ろから抱き着いた。厭らしい目的ではない。慰めるつもりだった。彼女に安心して欲しかった。在り来たりな行動だ。今までの絵之木実松ならば、こんな恥ずかしい真似は出来なかっただろう。要求されても嫌がったはずだ。
絵之木実松は変わりつつある。いや、違う。悪化しつつある。
「泣かないで……」
滋賀栄助は嬉しそうに腕を触った。腕を両腕で巻き返してニコニコしている。温かみを感じる、それだけで今の滋賀栄助は嬉しかった。両目から涙が溢れていた。自分の家族が仕出かした罪過に、背負えない重荷に押しつぶされるように。苦しみを内側に押し込んで苦しそうに泣いていた。それを共感するように絵之木実松は抱き締める。優しく慰める。
「大丈夫ですよ……大丈夫ですよ……」
「あぁ、ありがとう」
愛し合う夫婦。しかし、もっと冷静になって欲しい。絵之木実松はいったい何をしているのだろうかと。




