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順当

 絵之木実松は笑った。子供の笑い方ではない。およそ微笑んだという表現が正しい。小さい声で囁く。


 「人間は最も『新しくなる』ことを恐れているんだ。人間は変化を嫌う。いや、人間だけじゃない。全ての生物が変わることが嫌いなんだ」


 あれだけ大人の腕で暴力を受けたというのに、絵之木実松は津守都丸を友達のように接した。無礼を働いた訳ではない。腰を落として佇むようにして、顔をそろえた。


 「誰もあなたに変わってほしくないんだよ」


 「変わってほしくない……」


 「もし都丸様が駄目な陰陽師になってしまったら?」


 徳川幕府の内部に潜入出来ず、陰陽師の政治的介入が難しくなる。津守家の名前が廃る。


 「いつまでも津守都丸でいて欲しいんだよ」


 その言葉だけを言うと、雑巾を両手の下に敷いて走り出した。その次の瞬間に得体の知れない恐怖が襲ってきた。陰陽師ではない自分には何の価値もない。不慮の事故などで身体が動かなくなってしまったら……。本当に無価値になる。


 「ちょっと……」


 廊下を信じられない速さで雑巾がけする少年を、津守都丸は追いかけた。必死に走っても、その少年に追い付けない。彼が立ち止まり、桶で雑巾を洗う瞬間まで追い回すこととなった。


 「やっぱり俺はお前が羨ましい。お前は誰からも期待されていない。だから、陰陽師じゃなくなっても生きていける。でも、俺にはそれが出来ない。陰陽師じゃない俺は……」


 「傲慢だなぁ」


 「お前は……陰陽師じゃなくても、素晴らしい人間だ。人間として凄い奴だ。こんなに部屋を綺麗に出来るんだから……」


 「僕は……」


 声が出なかった。苦しそうに下を向くばかりだった。


 「僕は……本当は絵之木実松じゃない。いや、絵之木実松なんて人間は、本当は存在しないんだ。僕は君が羨ましい。決して才能に恵まれているからとか、陰陽師の凄い家系の子供だからとか、そういう邪な理由じゃない」


 津守都丸には意味がよく分からなかった。自然に首を傾げた。


 「君は変わらないという選択肢を取れるから。僕は変わっていく……。いつまでも絵之木実松でいたいのに……」


 「それは、子供が大人になる、という意味なのか? そういう意味では俺も変わるぞ。もうこの事務所にもいることが出来ない。もうじきに江戸城へと向かわねばなるまい」


 「いいえ。そんな些細な変化ではないんです。それに……貴方が江戸城へ行くのは歴史的に見ると順当でしょう」


 更にまた俯く。苦しそうに、悲しそうに、耐え凌ぐように。


 「僕は……僕じゃなくなるんです。卵から雛が孵るように。お玉杓子が蛙になるように。山羊の毛が生え変わるように。もう僕じゃなくなるんです……」

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