丁稚
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絵之木実松は天涯孤独であった。両親はいない。生まれた頃から陰陽師として活動する為の妖力を身に着けていた。だから陰陽師機関に子供の頃から引っ張られて、散々なる教育を受ける。丁稚奉公も同じだ。江戸の機関に人生の全ての時間を注いできた。伸び代が少ないと分かった瞬間から、雑用係となった。
トイレ掃除、稽古場の掃除。機関で働く人間全員の洗濯物の片づけ。横柄な態度、年下からの執拗ないじめ、微々たる給料しか与えられず、永遠と馬鹿にされる。人間関係に亀裂が入ったら絵之木実松のせいにされた。全ての攻撃の的。ただの犠牲者。可哀想な人。
真っ先に死んでくれると誰もが思っていた。しかし、結果はそうはならなかった。血染蜘蛛や海狸鼠が現れた瞬間に、戦うことを専門としていた陰陽師たちは一瞬にして殺された。江戸の陰陽師機関に人がいなくなった。
何故か絵之木実松だけ生きている。
「栄助さん! 栄助さん!」
「はいはい。すぐ行きますよ」
今までの不幸が帳消しになるくらい幸せになった。綺麗な奥さんが出来て、陰陽師としての評価も上がって、いつでも笑えるようになった。百鬼を全て倒し切れば……滋賀栄助は未来に帰ってしまうかもしれない。でも、もしかしたらこの時代に残ってくれるかもしれない。そしたら……ずっと幸せでいられる……。
「百鬼を全て倒したら……僕はまた気の弱いだけの陰陽師に戻るかもしれません。でも、百鬼に関わってきて少し裕福になってきました。だから……」
「未来に帰らないでくれってか?」
「私はずっと栄助さんと一緒にいます。そう約束しました。だから……ずっと僕の傍に……」
「あぁ。未来には帰らないよ。俺もずっと……。おい、何を盗み聞きしているんだよ、親父」
部屋の入口を見ると、頭に包帯を巻いて悔しそうな顔をしている滋賀勇太郎だった。
「お前は……誰だ……」
お父さんの言葉が、よく分からなかった。父親は驚愕の顔を浮かべている。まるで怯えるような顔つきで。門下生まで持っている剣術道場の師範とは思えない見っとも無さだ。
「すいません。何度も自己紹介していますけど、改めて名乗らせて頂きますね。私に名前は……」
「黙っていろ。有象無象」
滋賀勇太郎の視線は……滋賀栄助に向けられていた。愛しの愛娘を、まるで亡霊を見るかのような目で見ていた。滋賀栄助は、お家柄に嫌気がさして富士まで夜逃げしている。だが、一時経って男を引き連れて戻って来た。しかし……あまりに性格が様変わりしていた。
そう。見た目は同じであろうとも、今の滋賀栄助の人格は……薬袋的なのだから。
「男の子が欲しかった。跡取りが欲しかった。最初は女に生まれようとも、男として生きていけるように厳しく育てた。嫌がるお前を引っ叩いて剣術を叩き込んだ」
「あぁ、覚えているよ。物覚えが悪くて悪かったな」
滋賀栄助と薬袋的は記憶を共有している。昭和の記憶と江戸の記憶が両方ある。
「私は……お前にそんな性格になって欲しかった。だから名前にも『栄助』などという男らしい名前をつけた。だが、お前は私たちの目論見に反した。女であろうとした。お洒落をして、化粧をして、茶目っ気を出して、そんなお前を何度も矯正しようと頑張った。遂にお前は逃げ出した……」
もう彼は気が付いてしまったのだ。自分の娘が……この世にいないことに。




