野良
そこにまた、だらしなく寝転ぶ彼女の姿があった。滋賀栄助。名前からすると男としか思えない。頭の丁髷は男のものだが、顔は中性的である。着ている服は奉行所の物なので、男がきる袈裟である。自分の事を『俺』と表現する。でも彼女は生物学的には女だ。そんな何とも自分の性別とは相反する行動を取る彼女である。
彼女の目が不気味に震える。正直、彼女に慣れる事ができない。理解不能な気持ちの悪い化け物に見える。可愛さというか、人間らしさが垣間見えない。だが、悪意を感じる訳でもない。悪鬼を倒す。目的は一致している。だが、本当の心の内にどう思っているのかは分からない。
「何回も読んでいるな、それ」
「当たり前ですよ。妖怪退治をするには文献を漁るのが定石です。勝つ為にはこれを読み込むしかないです」
参考書ではなく、物語であるこの本を。
「あなたも読まれたのでしょう?」
「俺も読んだよ。1回だけだけど。戦う相手が決定したら、そのページだけもう一回読んだかな」
「そうですか……」
やる気はある。佰物語を殲滅しようとする気概は感じられる。しかし、精神構造が陰陽師ではない。結界を張る、人払いをする、対策を講じる、複数人で取り囲むといった当たり前の基本戦術を取ろうとしない。ただ自慢の妖刀を持って突っ込むだけ。それで勝てれば苦労しないのだ。
貴族のお嬢様のはずなのだが、気品が感じられない。仮にも男の前で寝転んで、欠伸して、服を乱して、野良猫と戯れている。遊ぶなと注意しようにも、彼女は客人だ。そもそも武士に悪鬼退治の責任はない。だから文句を言う筋合いはないという訳だ。しかし、京都に『未知の悪鬼が暴れています』という救援要請を出すと、孤独に戦うことを好んでいる彼女にどれほど怒られるか、想像がつかない。
「虚しいなぁ……」
そんな未来への漠然とした不安を心に背負いつつ、表向きは平和なこの町を眺めている。
「なぁ。気になっていることがあるのだけど」
「はぁ……」
唐突に話しかけてくるから困る。コッチが話しかけても半分以上は無視してくるのに。こっちも会話の主導権を握る為にも無視をしようかと思ったが、彼女の目が真剣そうだったので、渋々振り返ってみた。彼女が無言で指をさす。真っ直ぐにある方向へ。そこには安物であったが、汚らしい粘着液が付着した甲冑が放置してあった。時計台に登る前にはこんな甲冑は置いてなかった。振り向くと一瞬にして置いてあったのである。
そして、甲冑に少しばかり付着している淡い紫色の液体。




