富士
呉越同舟。この場に集まった百鬼は仲間同士という訳では無い。初対面の百鬼もいれば生前に不仲だった人間もいる。しかし、争っている場合ではないのだ。
この物語は滋賀栄助という英雄が、百鬼という化け物を殺し切る物語ではない。
百鬼同士が生き残りをかけて、最高の悪霊への超進化を遂げる、そういうサバイバルゲームなのだから。滋賀栄助はただのお邪魔虫だ。ゲームに出てくる進行とは関係のないキャラクターなのだ。だからこそ百鬼将が持つアドバンテージは大きい。
百鬼を殺す事に長けた妖刀、闇荒御魂を持つ偽神牛鬼。殺した百鬼の死体を、龍に変換して使役する能力を持つ伊代羅刹龍。他の百鬼に憑依して自分は無傷のまま戦うことが出来る獄面鎧王。果てしなく強い武雷電。それぞれの百鬼将が数多の優位を持つ。つまり、残りの九十五体の勝機は絶望的だ。勝ち残る可能性は低い。
実はストレンジャージレンマと呼ばれた余所者勇者、薬袋纐纈の行動も不自然さは皆無だったのだ。彼は正義の味方だったから百鬼を始末していたのではない。孫娘の為でもない。生き残る為に戦っていただけ。元より百鬼が他の百鬼を殺すのは当然のこと。彼とは違い百鬼将に擦り寄り抜け駆けを狙う百鬼もいる。
このルールが浸透しなかった理由は二つある。まずは平和主義者、停戦締結者であった獄面鎧王の存在だ。初期から物語の騎士ではなく、生前の記憶があった彼には全てが理解出来ていた。それでも……百鬼の全てを仲間だと思い、一切の差別なく主従関係をも利用して全員を守ろうとした。滋賀栄助を殺そうとしていたのも、本気だった。
もう一つは、最初は百鬼閻魔帳に記された怪物として出現すること。生前にタイムスリップする際に妖力が足らなかった者ほど、物語が終わらない。コッチの世界で生前に記憶を思い出せない。そういう百鬼ほど利用されて、使役されて、捨て駒にされる。100匹もいるのだ。序盤はチームを組む方がセオリーとしては正しい。
残るは74体(一部が伊代羅刹龍にて龍化)。そろそろ全員が物語を終えて過去を思い出すのだろう。そして、この百鬼の全てを物語の登場人物に変えてしまった百鬼がいる。独眼巨人に百鬼閻魔帳を託し、雲隠れした最後にして行方不明の百鬼将。
その名も黄泉獄龍。
「始まったな。この生き残りをかけた戦いが」
名も無き戦乙女が声を出す。その言葉にその場にいた全員が耳を傾けていた。
「ここにいる百鬼たちもいずれは殺し合う運命だ。しかし、今は共闘すべきである。百鬼将の力は強大だ。お零れを狙って付き従う百鬼も多い」
富士の樹海が笑うように揺れる。




