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逆鱗

 襖の近くで土御門芥が遊んでいる。毬を蹴飛ばして、楽しくなさそうな無表情で。


 「栄助さん」


 「行くよ。行きたくないけど」


 ゆっくりと滋賀栄助は立ち上がる。こんな気の落ち込みようで、果たして戦えるのだろうか。


 「僕と慈雲さんで向かいます。賀茂様はこの場を守っていてください」


 「いや、お前が残れ。私が向かう」


 意地を張った。現状の打破よりも私情を優先した。最高クラスの陰陽師として自分が立ち向かうべきだと思った。勿論、ズレている。未来からやって来た悪霊を倒せる術など、この江戸時代中期にあるはずがない。それなのに……。


 「分かりました……じゃあ……」


 水上几帳は一歩下がる。賀茂久遠は一番最初に部屋から出ていった。信念めいたものを心に持って。その姿を猪飼慈雲と絵之木実松は見ている。感知能力者である賀茂久遠がサポートに加わって貰うメリットは大きい。後手に回らずに済む。しかし、アイツは果たしてサポートに回る気があるのだろうか。


 「なぁ、行くなら行こうぜ」


 覇気のない声で滋賀栄助が口走る。今ここで考えても仕方がない。


 ★


 賀茂久遠を先頭に一同は走り続ける。老人とは思えない程に足が速い。体力のない絵之木実松はもう既に息切れ気味だ。猪飼慈雲も苦しそうな顔をしている。賀茂久遠は眉一つ動かさない。真っ直ぐ百鬼がいる方向を見つめて走っていく。


 「相手は三匹ですか……」


 「ふむ。なるべく弱い一匹に焦点を当てて集中攻撃をする。一匹一匹を確実に殺すでごわす」


 「まあ、そうするしかないよな」


 何だろう。得体の知れない不安を感じる。何か自分たちが思うような未来にならないような。どこかで楽観視をしている気がする。そんな感情的な気持ちの悪さ。走っていく先には一人の男が木陰に佇んでいた。陰陽師の名家の一人。天賀谷絢爛あまがやけんらん


 「天賀谷絢爛さん! 生きていたんですか。……え?」


 「生きておる訳がなかろう。殺されて死体を乗っ取られている」


 賀茂久遠が叫んだ。その言葉で全員が身構える。目の前にいる人間は陰陽師ではない。倒すべき百鬼だ。おそらく天賀谷絢爛を殺した百鬼だ。すぐにバレてしまったので、気色悪い笑い顔を向ける。百鬼とは未来の悪霊なのだと改めて自覚できた。


 「この男。すぐに死んだよ? 最初は部下に守られていたけど。すぐに部下が全滅して。じゃあ自分が戦おうとしたら、すぐに死んだ」 


 声は以前の天賀谷絢爛と同じだ。他人に身体を乗っ取る。声真似をする。悪霊のする常套手段だ。だが……随分と狡猾に思える。陰陽師に真っ向から挑んで道の真ん中に待ち構えている悪霊などいてたまるか。陰陽師は悪霊を抹殺するのに必死に探し回るが、その逆など絶対に有り得ない。


 知能が……高い?


 「コイツは私の逆鱗に触れた」

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