書物
プライドの問題なのだと思う。彼女は自分1人であの悪鬼を倒すと息巻いていた。それが散々足でまといしていた奴に活躍の場を奪われたのだ。気に食わなくて当然だ。
「なぜだ。奴は確かに明るい物を攻撃する習性があった。そう本に書いてあった。でも、それが昆虫の習性によるものだとは書いていなかった。だから火を使おうなんて思わなかったのに」
そう言われると確かに蜘蛛が光に集まる習性は少し違う気がする。少し考えて見て、結論に至った。
「あなたが言っていましたよね。その作者は蜘蛛を見ながら書いたかもしれないって」
「ああ。それがなんだ」
一般的に小説などの創作物は空想によって描かれるものだと思われているが、そうではない。どんな話だって作者の経験や心情というものが必ず作品に現れてくる。当然、過大な脚色や改変はあるだろう。だが、物語の本筋である核となる部分を思い描いた場合は、作者の感動や激情が現れるのではないか。
例えば、蜘蛛が提灯の前に蜘蛛の巣をつくった。そこへ虫たちが方向転換を失って飛び込んでくる。そこを蜘蛛の巣に引っ掛ける。提灯という現代人が作り出した代物。それを利用して蜘蛛が町中で繁栄する。森林の枝の先に巣を作っていた蜘蛛が、文明を滅ぼし栄えさせてきた火炎を利用する。そのただの偶然に感動した。
「つまり?」
「佰物語は怪談なんでしょう? でも怪談って化物が暴れまわる話なんて面白くないですよ。自分の身の回りに本当に起こりそうな現象でこそ、人間は恐怖する。私が佰物語の作者ならばきっとそれに試行錯誤する」
「…………。読者の気持ちを考えず、参考書でも見るみたいに佰物語を読んでいた。なるほど、書物ってのは書いてある事がすべてじゃないんだな。作者と読者が思考し合って戦う。これはそういう戦いか」
ようやく彼女が笑ってくれた。まるで苦笑するかのような、苦い笑い方だったが。自分を貶すようで、自分を蔑むようで、自分を馬鹿にするようで、自分を卑下するようで。私を認めてくれるというよりは、自分の不甲斐なさを実感しているという笑みだった。
「これ、一緒に読むか?」
懐から一冊の本を取り出した。表紙に佰物語と書いてある。綺麗な文字だった。きっと手書きだろう。
「私は百鬼を殲滅しつつ、この作者を探している。お前も陰陽師ならば、悪鬼を倒すのが使命だろう。だったら私に協力しろ」
もう少し腰を低く言えないのか。いや、文句を言っている場合ではない。この本を読んで早急に事件の全貌を暴かなくてはならない。この女が信用できなくても、この同盟関係は必須だ。
「絵之木実松です」
「滋賀栄助。読解は苦手だ。私は人の気持ちなんて分からない。だから、これはお前が持っておいてくれ」
そう言って重要であろう敵の情報書である『佰物語』を私の方へ投げ捨てた。




