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亀裂

 滋賀栄助は動けなくなっていた。恐ろしい祖父が目の前で自分の為に戦っている。祖父と共通の敵を持っている。日頃はジッとすることが苦手な滋賀栄助だが、今は本当に人が変わったように動いていない。直立不動になり怯えた顔をして立っている。


 その間にも戦いの勢いは増していく。二人は武器を捨てて単純な殴り合いになった。薬袋纐纈は武雷電の腹部に下から拳を突き上げ、武雷電は薬袋纐纈の顔面を殴りつける。互いに一歩も引かない。どんなに鎧が傷つこうとも、拳を振り上げるのを止めはしない。


 ノーガードでの拳の振り合い。


 「お前は昔からそうだ。医者のくせに人の痛みが分からない男だ」


 「分かっているさ。その上で受け入れているだけだ。痛みを知って、なお恐れない。勢いを落とさない。これが薬袋纐纈だぁ!」


 楽しそうな顔、訳の分からない笑顔、これを屑なさい。


 「……負ける。お爺ちゃんは……負ける」


 そう滋賀栄助は呟いた。確かに押され始めている。いくら薬袋纐纈が特別だったとしても、相手は百鬼将。相手も別格の相手なのだ。徐々にストレンジャージレンマの鎧の亀裂が深くなっていく。もう立っているのも苦しいだろう。誰が見ても限界を超えていた。


 「……くっ」


 助太刀する立場じゃない。薬袋纐纈だって百鬼の一体だ。責任の行方は彼にもあるだろう。直接的に何度も他人を殺してきた。レベル3計画の原案を考えた人間であり、全ての元凶だ。同情する余地は全くない人間だ。だが……あれでも滋賀栄助の祖父なのである。


 「行くぞ!」


 絵之木実松は闇荒御魂を握り締めて突進して行った。この刀は暴神立と同じで百鬼を殺せる直刀だ。百鬼将にどれほどの力が発揮するか分からないが、それでも行動せずにはいかなかった。


 「えい!」


 戦いの横から武雷電に切り掛かる。その斬撃は武雷電の鎧に直撃するも全く微動打にしない。何事も無かったかのような感覚。あまりにも簡単に弾かれた。これで此方を向いて反撃してくるかと思ったが、そんな事もない。清々しい程に無視される。何度も何度も腕を振り上げて切り付けるも全く効果がない。


 「駄目だ……」


 これ以上は無意味だと思い絵之木実松は大きく後ろへ距離を取った。なおも無視される。


 「死ね、死んでくれ、今度こそ死んでくれ! 薬袋纐纈っ! お前が思い描いていた全人類を救う悪霊には、この私が成ってやろう!」


 「お前じゃ駄目だ……お前は選ばれた人間じゃない!」


 遂に武雷電の拳が薬袋纐纈の顔面を直撃する。ストレンジャージレンマが頭から地面に付き落ちた。滋賀栄助も絵之木実松も何も出来なかった。決着がついたように思える。


 「はぁ……はぁ……」


 「考えないことが全てだ……考えないことが……。だが、我が孫娘は……よく考える子供だった。私が真っ先に捨て去った物を、我が孫娘は……大事にしていた。誰かの苦しみを共感して泣いているような子供だった……」


 掠れた声で、情けない声で、最後の断末魔を発する。もう武雷電も戦闘の意思はないようだ。ストレンジャージレンマは光の粉となって消えかかっている。奴の亡骸を看取るように上から見下す。


 「あの子は優しい子供だった。誰から生まれたかも分からないくらい……」


 ★


 お爺ちゃん、お誕生日のプレゼント。


 駄目だよ、お爺ちゃん、そんな酷いことをしちゃ。


 お爺ちゃん、笑わないで。私は本気なんだから。


 やめなよ! 痛がっているでしょ! 痛いって言っているだからやめるの!


 ★


 「い……く……わ……。痛いよう。痛い、痛い……」


 情けない声だった。悪党の最後にしては惨め過ぎる。悲しすぎる惨めな声。


 「やめてよ……お爺ちゃん。痛がっているでしょ……」


 もう勝負はついている。武雷電は上から眺めているだけで、もう何もしてない。そんな台詞を言うには遅すぎる。泣き出していた。両手で口を覆って、声を殺して嗚咽を抑える。


 「ふん。孫娘よ。他の百鬼将はお前を警戒していたようだったが。化けの皮が剥がれたな。その姿がお前の本質だ。弱々しいだけの小娘。お前は我々をこの世界へ送った時点で、貴様の役割は終わっている。後は、この世界そのものを覆う怨念を我々に譲渡するのみ。それはお前の気持ちや考えは関係しない……。世界を救う力を我に譲渡して消え失せろ」


 次に滋賀栄助を襲うのかと思えば……そんなことは無かった。彼は百鬼強召陣の中へ消えていく。奴は滋賀栄助と刀を交わらせることをせずに、そのまま消えていった。慌てて滋賀栄助が消えかかっている薬袋纐纈へと駆け寄る。最後を看取る為に。


 「お爺ちゃん……」


 最期の微かな声に……薬袋纐纈は穏やかに笑った。今までの気色の悪い顔ではない。優しい顔。力尽きて、もう動かない。冥府へ誘われるように光が天空へと消えていく。


 「お前も痛かったんだぁ……」


 そんな言葉を最後に奴は消えていなくなった。聞きたいことが山ほどあった。教えて欲しいことが山ほどあった。それが何も分からないまま、彼は自分だけ満足して消えていった。

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