太腿
薬袋纐纈は気色の悪い人間だった。とある病院の委員長で顔が広く、交友関係が深く、莫大な財産と権力を持った、頭のオカシイ人間だった。あらゆる人間が薬袋纐纈に逆らえず、覚えて過ごすことになる。陰陽師はこういう最近沸いて出た権力者を苦手とする。
彼の病院は昭和の時代でも随一のセキュリティを誇り、万全な警備とあらゆる最新器具が防衛する。その内部情報は一切盗み出せない。患者には莫大な医療費を迫り、政界には極度の睨みを効かせ、あらゆる財団をねじ伏せてきた。この権力は偏に『患者を救った』という医者の世界において最も誇るべき事実を積み重ねたからである。
それはもう魔法の領域だった。絶対に蘇生不能と言われた植物人間が三日で真人間になった。その後、行方不明になったものの。暴力団の抗争で胸に銃弾を受けた組長をそれまで以上に元気にした。その後、海に変死体で発見されたが。余命三か月の少女の現代医学では感知不能と言われた病気を、あっさりと解決して見せた。その少女は心の病を患ったが。
薬袋纐纈は常に笑顔だった。何をするにも楽しそうだった。大事な業界人だけのパーティにも積極的に参加して、ニコニコ笑っている。記者会見を積極的に開き、いつも最高の笑顔。手術中も人の人体を切り刻み内臓を凝視しているにも関わらず、いつも満点の笑顔。決して誰かを馬鹿にしている訳ではない。それは、その場にいた全員が分かっている。そして、いつもこう表現されるのだ。
気味が悪い。気色悪いと。
「私の意思としてのモットーは考えないことだ。この世界に正しいことなど存在せず、間違っていることも存在しない。自分が正しいと思ったことが正義なんだ。正義は押し付けてもいいのだ!」
無茶苦茶なことを言い放つ。本当に一点の曇りもない最高の笑顔だ。頬が全く緩まない。
「人間は細かいことを考えるから、悩みを抱えるのだ。「悩み」や「迷い」の原因は暇だからだ。手術の失敗は気の迷いから来る。いつも平常心を保ち続ける私は絶対に失敗しない。誰も楽しんでいる奴には勝てないのだよ」
まるで親しい友人に話しかえるように言い放つ。その言葉を二人は黙って聞いている。滋賀栄助の様子がおかしい。今までは相手に臆することなど一度もなかった。例え百鬼将を相手取ったとしても。しかし、明らかに腕が震えている。
「なぜ、手が震えるのか。迷っているからだ。何かを思い出したからだ。いつからそんな情けない人間になった我が孫娘よ。あっ、でも容姿が違うな。魂の波動は我が孫娘で間違いないんだけどな」
腕を大きく広げた。太陽に吠えるように大声をあげる。
「痛みを受け入れろ。苦しみを身体の一部としろ! 痛いのを嫌がるから苦しいのだ。痛くないと思えば痛くない、そう教えただろう!」
何故だろう。こんな下種のような言葉を発しているのに、この男から愛を感じた。奴は先ほどまで双頭魔犬と戦っていた際の拳銃を両太腿のホルダーになおしている。戦闘する意思が無いように思える。
「私を殺しに来たのだろう。百鬼を殺すために。なら、なぜ、そうしない。迷うことなど、人間の最も恥ずべき行為だぞ!」




