昆虫
夜行性の飛行する昆虫は、月を見ながら、月明かりに対して一定角度で飛ぶことで高さや方向を一定に保つしくみを持っている。月は地球から距離が遠いために、自分がいくら動いても月のある方角は変わらない。目印として自分の向いている方向を知る良い手段なのだ。
だが、時代が江戸になり、灯篭や提灯という代物ができた。いわば人工的な夜道を照らす光である。虫たちが人工の灯りを見て、その光の向きに対して一定の角度で飛ぼうとすると、月と違って人工の灯りはごく近くにあるから、一定角度を保って飛ぼうとする。その結果、人間がつくった灯りを月と勘違いして方向の目印に使ってしまったために、集まってきてしまうのだ。
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「これって……」
「このまま焼け死ぬと思いますよ」
蜘蛛の腕が火炎を切り裂く。何度も何度も。だが、いくら振り回しても、その炎が消えることはない。遂に爆炎が血染蜘蛛をも飲み込んだ。だが、奴は止まらないし、止まれない。物語に準じた妖怪は、感情を持たず、状況に応じて臨機応変に立ち回る芸当などできない。
既に消火活動は終了した。江戸の町では火事が多発する。それにより、消防組織である火消しが存在した。だが、事情を幕府に話すのは面倒だ。今回の件は未知の妖怪との戦闘。前例のない戦いだ。はっきりとした駆除方法を知らないまま、ヒラメキに任せて戦った。しかも、あの妖怪のバックにいる存在のことなど検討もつかない。説明できない、証明できない。ならば下手に事実を顕にする必要はない。火消しなど御札から貯水していた水を吐き出せば事足りることだ。
血染蜘蛛の最期はあまりに呆気なかった。怯える事も、たじろぐことも、慌てることも、悲しむことも、気持ちを抑えることもできない。コイツの一番の弱点は感情がないことだった。遂に行動を止めた。真っ黒に焦げ、もう顔も見えないくらい傷つき、ボロ雑巾のように地面に這い蹲っていた。どんな表情をしていたのだろう。炭になった今ではそれすら分からない。
「さて。お勤め終了ですね」
「……あぁ。でも、あと少し」
勝ったと思った、その瞬間が一番の油断するとき。そう常日頃から習っていたはずなのに、いざ実践となると人間は弱いものである。炭になったはずの血染蜘蛛がまだ動いているのだ。ゆっくりと震える程度だが。あまりの異形さに恐怖し身体が硬直した気分になった。
「執念とは違う。プログラムだ。死なないように、不死身に設定されている。何度でも復活するように。全くふざけた悪鬼だよ。佰物語の妖怪はな」
そう言うと、刀を心臓があったである部分に突き刺した。




