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点滴


 水上几帳のお好意により、もう一度江戸にある家に戻ることが出来た。すぐに大阪へ戻る必要がある。そんなに心が壊れていようが、そんなことは関係ない。しかし、滋賀栄助は陰陽師ではない。また、そんな状態ではなかった。


 「病院にいた時に友達になった。ずっとベットの上で寝転んで誰かの嫌味を言っている奴だったよ。アイツ、何も食べられないのに、何か優しさを勘違いした人間がアイツに食べ物を置いていくんだ。点滴が見えていたはずなのにな」


 「それで、食べてあげたんですか?」


 「おう。そしたら、アイツ。滅茶苦茶、怒ってな。私の優しさにも気づかないで」


 心が壊れてはいなかった。滋賀栄助は薬袋的みとわいくわだった頃の思い出を話してくれた。凄く幸せな顔で、優しそうな声で。


 「もう一人は弁護士だったんだけど。いつも、私と顔を合わせると高価な腕時計とか、流行りのゲームをプレゼントしてくれるんだよ。いつも興味がないって言うのに」


 「本当に栄助さんが好きだったんですね」


 二人は居間にいた。一緒の布団の上で寝転がって、枕の上に頭をのせて、肩まで布団を被っていた。絵之木実松は恥ずかしくも無傷だった。偽神牛鬼が消滅した瞬間に全ての痛みは無くなった。残ったのは倦怠感だけである。


 「口達者な奴だった。口喧嘩の王者みたいな野郎だった。言葉使いは丁寧で口調は穏やかなのに、徹底的に相手を泣かせるまで論破するんだ。本当に酷い野郎だったよ。お爺ちゃんとは仲が良かったな。あの二人が喧嘩している所は一度も見たことが無い」


 「そうですか。口が達者なイメージはアイツからしませんでしたけど」


 「そりゃあ生前の記憶を持っていたってだけで、根本は誰かが書いた小説の登場人物だろうからな。私だって、生前の姿も違うし、たぶん性格も違うぞ。容姿も違う。ただの女の子だった」


 いや、悪霊を呼び込む能力を持つならば、ただの女の子じゃないだろう。


 「でも、忘れていることもあるんですね」


 「あの時の記憶は思い出したくないんだよ」


 そんな言葉を話しつつ、少し嬉しかった。そろそろ冬が近づいている。寒空の下で家の中に二人きり。暖かい布団の中。


 「あの頃は物凄く好かれるか、物凄く嫌われるかの、どっちかしか周りにいなかったな」


 「そんなものですか……」


 実松がゆっくり手を伸ばした。栄助の左手に触れる。その手を栄助が強く握り返した。


 「お前も物好きだよな。私が好きなんて」


 「好きですよ。だから結婚したんですから。どんなに無力でも貴方を守ってみせます。そうでなくても、ずっと一緒にいます。栄助さんこそ、こんな弱小陰陽師が夫でいいんですか?」


 「いいわけないだろ。早く強くなれよ」


 そう言って顔を横に向けて笑って見せた。とても楽しそうに。この笑顔が見たかった。

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