20円引き
今日も茹だる様な暑さに耐えて、仕事が終わった。
夕方なのに真昼張りに明るい屋外から、逃げるように店内へ入る。
涼しい。
店内の空調の恩恵を堪能しつつ、目的の陳列棚まで迷わず進む。
涼しい。
さすがに冷温棚の前だ。他の通路より涼しさを強く感じる。同じ感想を繰り返したくなるのも当然だ。
目的の銘柄を見つけて手に提げた買い物カゴへ。三本。
名残惜しいがさっさと帰ってしまいたいのもあり、歩き出す。カンッとこれからを期待させてくれる金属音が歩くたびに俺の耳に届く。
ちと、小腹が……パンでも買うか
最近のドラッグストアは、“薬屋さん”には程遠いと思う。
ミニスーパー。
プチスーパー。
ニアスーパー。
「お客様」
「はい?」
パンを掴みとると、よく見かけるパートだろう女性が、声をかけてきた。
「今お取りの商品。ひょっとしたら割引の物もあるかもしれません。見せて頂いてもいいですか?」
俺がパンを選んでいる時、陳列棚横でこの女性が品出し――陳列棚に商品を補充するのと一緒に陳列期限が過ぎた物を下げる作業――をしていたのはわかっていた。
ちょっと待てば、横に置かれた特選カゴに値引きシールが張られたパンが置かれるはずだ。
値引きは一律20円。
自分好みのパンが値引き商品として並ぶかは、タイミングが必要になる。
それに俺の経験上、品出し中に値引き待ちのお客が立っていると、ちょっとしたプレッシャーを受けて気まずい。『終わるまで待てよ。“待て”、待てだぞ』と躾をするブリーダーのような気持ちでいれる事は……なかったとは言えないが。
まあ、早く帰りたい気持ちもあって、値引き待ちをせずにパンを掴んだのだが、値引きをしてくれるかもしれない程度の時間は、待てる。
素直にパンを差し出す。
プロだ。
二つ掴んだパンの内、一つが対象だったと説明しながら、手慣れた手つきで【20円値引き】のポップシールを貼っている。
関心したのは、表の値札シールの横に値引きシールを貼っただけで終わらず、裏のバーコード表記の横にもソレを貼った事だ。
レジ打ち経験者ならわかるだろうが、レジ打ちで包装にあるバーコードを探すことがある。逆に言えば、バーコードがすぐ見つかれば、わざわざひっくり返して商品を確認するような事はしない。――レジ打ちマニュアルで、必ず商品に不備がないか確認する事にはなっているのは、わかっているのだが……。
ちょっとした経営論を思い出しつつレジへ向かった。
そこで事件は起きた。
いつも通りの込み具合。混雑に合わせてレジを開放するシステムのこのお店は、4つあるレジの内3つまでを開けている。
その一つに並んだのだが、本来一人でまわしているところに二人で行っていた。
アルバイトだろう。高校生くらいに見える。男女のペアで、女性がレジ精算。男性はバーコードリーダーに商品を通す役のようだ。
最近多く見かける大型バーコードリーダー。バーコードリーダーを商品に押しつけるのではなく、設置されたバーコードリーダーの下に商品を左から右へくぐらせるタイプのレジ。
そのため、男性は俺と対面し、女性は男性に背を向ける格好となっていた。
いつも通りいつものように、カゴをレジ台に置き、いつも通りいつものように、少し進み全部の商品が読込まれるのを眺めつつ、会計表示を視野に収める。
男性はたどたどしい。読取り終えた商品の一つを、読取り済みの買い物籠内へ取り落とした。
新人なんだろな。
謝罪の言葉はあったが、『御取り替えいたしますか』の声は無かった。その失敗に気が付いた女性アルバイトからも。
『替えろ』という気はないが、言わせたいのかと勘ぐってしまう。『これがいまどき。素人集団。さっきのパートさんがプロなだけ』と、自分のなかで結論をだして飲み込んだまでは、良かった。
新人アルバイトと思われる男性が、20円引きのパンを掴んだ。
それなりに足を運んでいるから、この値引きのレジ打ちは見覚えている。
値引きシールにISタグが入っているわけではない。だから、バーコードを読み込んだ際、手作業で値引きボタンを押す作業が必要になってくるのだが、件の男性アルバイトは値引きパンをバーコードリーダーに通すと、パンに値引きシールが貼ってあるのを見つけた。
案の定まごまごしている。
ここまでは想定の中だった。
ここからだ。
何を思ったのか、バーコードリーダーに読み込ませたパンを、読込済みのカゴに入れず、そのカゴの外――精算前カゴ・バーコードリーダー・読込済みカゴの順に並ぶ内のバーコードリーダーの下、読込済みカゴの陰に隠すように置くと、未精算カゴから商品を取り出しバーコードリーダーに読み込ませていく。
――は?
脳内が一瞬真っ赤に染まった。
が、『ああそうか、全部通してから、最後に修正を掛けるつもりなのか』と自己解釈をして、事を待った。
「~になります」
――あれ?
レジ精算担当の女性が何かを操作したふうには見えない。見落としたのか? 件の男性がこの女性に事情や質問をすることもなかったが、大丈夫なのか?
――やっぱりか……
黙って精算を済ませ、レジすぐ前の袋詰め作業テーブルでレシート確認する。当然のように値引きはされていなかった。
俺の対応をしたレジは次のお客さんの対応を始めていたが、わざとお構いなしに声を掛ける。
「『~さん。~さん。2番レジまでお願いします。『~さん。~さん。2番レジまでお願いします』、少々お待ちください」
レジに備え付けられた店内放送マイクで業務連絡をレジの女性がしている。
その間も、あの男性アルバイトはこちらを見ない。
20円引きを捨てるのは惜しいが、兎にも角にもという気持ちは無かった。
でも、せっかく気を使った接客を受けた事。
と、
自分のミスをひた隠す失礼者に怒りを覚えた事。
が、20円の値引きについてこだわらせた。
間が空くことも無く正社員のプレートを付けた男性がきた。
レジの女性アルバイトから事情を聴くと、俺からパンとレシートを引き取り、店内の別の場所へと消えていった。
「失礼しました」
男性正社員が謝罪と一緒に、10円硬貨2枚を渡してきた。
消費税の加算分は? と言いかけたが、つぐんだ。
意地汚いのもあるが、今口を開くと目の前の男性アルバイトを吊し上げてしまいそうだったからだ。
「そちらの従業員教育は、何かわからない事やミスがあっても隠しても大丈夫な風潮があるのか。それを酌めない素人に指導をさせるのか」
と。
正社員の男性に、頭だけを下げて退店した。
家に帰ってからの方がムカムカ来ていたが、今から改めて投書やメールクレームというのは主義ではない。
そうやってイライラしていていると、なぜかふとコンビニでバイトをしていた時の事を思い出した。
精算した後、袋に詰め忘れたプリンが一つ。
『どうして』と聞く店長に、何を守りたかったのか、何を怖がったのか、必死に取り繕い、言い訳にならない言い訳を、引きつかせる口から吐き出す馬鹿なガキ。
その瞬間、あの店舗、店舗の社員、当事者の男性アルバイト、それぞれへの強い叱責は、叱咤激励へと変わった。
なんて現金なのだろうか。
傷がある者同士は、優しくなれる――たしか漫画で、剃刀過ぎて昼行燈になった公務員隊長、彼のセリフ。
それがストンと腑に落ちた。