一章
草原を歩いている若い男女と馬、というよりは少年と少女と馬が一組。
少女は誰もが二度見するであろう程の美少女。身長は低く、服装は白のローブに肩掛けのポーチ。なんというか、魔法使いのような格好だ。帽子は被っていないが。右肩には真っ黒な、目つきの鋭い猫が乗っている。
少年は誰もが目を逸らすであろう程に顔が怖い。いや、顔というか目が怖い。怖い部分は目だけだ。身長は高く、服装は紺の忍び装束のような格好、腰には小さなポーチを付けている。背中には短めの、しかし脇差よりは長い刀が下がっている。頭にはこれまた紺のバンダナのような物を巻いている。左肩には大きな鷹が乗っていて、右手には馬の手綱を握っている。
馬は少年の高い身長など遥かに凌駕するほど大きな栗毛の馬で、後ろには山盛りに荷物が乗ったリヤカーのような物がついている。簡単な馬車のような物だ。
『リック。どこに向かっているのだ?』
鷹が喋った。
『んなもん決まってるにゃ。これから向かうのは――』
猫が喋った。
『お主には聞いておらん』
『にゃんだとう!?』
それを見てリックが声を上げた。
「ケンカするなよ、二人とも。……いや、二匹とも、か? でも鳥は一羽二羽って数えるしな……。なんて言えばいいんだろうな?」
途中から趣旨が変わってしまっていた。
「どう思う?」
リックは馬の首をポンと叩いた。
『ヒン?』
馬は喋れないらしい。それを見て少女が笑いだした。
「あははは。ファルクに聞いても答えられないよ。だってこの子たちは特別だもん」
「それもそうだけどさ」
『それで一体どこに向かうのだ?』
鷹がリックに尋ねた。
「あぁごめんよ、ジン。これから向かうのはアイア鉱山だ」
『俺様の思った通りだにゃ』
『ふん、どうだか』
『にゃんだとう!?』
『やるか!?』
「ジンもアルトもやめなよー。怪我とかしたらティナ悲しいなぁ」
『むう……。ティナにそう言われると手出し出来ぬな』
『ケッ。いつか絶対食い殺してやるにゃ』
おいおい。随分と物騒だな。アイア鉱山に何事もなく着けばいいけど、この面子でそりゃ無理ってもんだ。
そんな事を思っていると、リックにジンが話しかけた。
『アイア鉱山という事は――鉄か?』
「そう。前の街で武器がたくさん売れただろ? だから在庫がもうほとんど無いんだよ。次の街に行く前に作っておかないと。それに――」
『それに、なんだ?』
「いや、なんでもないよ。とにかく、鉄は必要さ」
『えぇ~。って事はまた野宿にゃのか?』
「我慢してくれ――ってゆーかアイア鉱山を越えない事には街が無いんだよ」
『はぁ~……』
「元気出して、アルト。街に着いたらティナが美味しい猫缶買って来てあげちゃうから!」
『おぉ! さっすがだにゃ、ティナ!』
うーん。この黒猫がティナの事を呼び捨てにするのはなんだか知らないが不愉快だ。
リックの手がアルトに伸びる。
『はぎゃ!? ふぃっふ、はにひゅるんひゃひゃ(リック、何するんだにゃ)!?』
リックはアルトの頬を横に引っ張っていた。
「……ん? おぉ、すまん、つい」
『ついじゃないにゃ! 痛かったにゃ!』
『日頃の行いが悪いからだ』
『にゃんだとう!?』
一触即発とはこのような事をいうのか。原因はリックにあるというのに変な方向に飛び火したようだった。
それを見てティナが声を上げた。
「その辺でやめたら?」
『こればっかりは譲れないにゃ!』
『ふん。口ばかりの能無し猫が』
『羽まで食い尽くしてやるにゃ!』
『ほう。面白い、やってみろ』
どうでもいいけど肩の上でいがみ合うな、うっとうしい。ジンの羽がさっきから顔に当たってちくちくするんだよ。
そこでティナがさっきより一段階低い声を出した。
「やめなさいって言ったのが聞こえなかったのかな……?」
怒気に満ちた最悪モードの声だ。
『『……すいません(だにゃ)』』
「わかればオーケー。じゃあアイア鉱山に向かってレッツゴー!」
一変してにこやかな顔になったティナの先導でリック達はアイア鉱山に向かった。
▽△
アイア鉱山――それは、世界屈指の鉄鉱石採掘場である。世界中の鉄がここから――というわけではないにしろ、七〇パーセント近くはここから採掘された鉄を使っている。
鉱石の類は掘れば掘る程減っていくのが普通だが、ここの鉱山は山全体が鉄なのかと疑う程に鉄鉱石を採取できる。まだ底は見えていないらしい。
さらに、アイア鉱山を囲むようにしているフレバの森で取れる薬草が上質だという事で、世界中から旅人が訪れる土地でもあるのだ。
――……そうそう、当然魔物の類も生息している。まぁ、ここに来る旅人が多いせいかそれ程強い魔物は現れないが、たまに現れるピギーマウス(体長二メートル程、重量一二〇キロ程で豚とネズミを足して二で割ったような大きな魔物)は気性が荒く群れで現れるので注意が必要だ。まぁそれが無くても用心に越した事はないだろう。転ばぬ先の杖とか石橋を叩いて渡れとか言うし。
――以上、リックの手記より抜粋
そして現在はフレバの森中央部。リックからティナへの説明が終わったところ。
「こんな感じでいいかい?」
「あ、うん。ありがとう」
「さっきちゃんと説明したんだけどね……」
「てへへ……。薬草に夢中だったの」
「まぁいいんだけどね。今の状況が状況だから」
『これはどうにもならんな』
『面倒臭い事ににゃったもんだにゃ……』
『ヒン……』
二人と三匹はピギーマウスの群れ(約二〇頭)に囲まれていた。
「はぁ、こんな事なら先に後悔しとくんだったよ」
後悔先に立たず。
「あ、ティナ知ってるよ。それ、【後の祭り】って言うんだよ」
御名答。でもそんなにこやかに言える状況じゃない事はわかってるよね?
リックがそんな事を考えていると、ピギーマウスの群れは鼻息をどんどん荒くしていく。
「早く鉄をたくさん仕入れて余裕を持ってあんな武器やこんな防具をいっぱい作ろうと思ったのに」
捕らぬ狸の皮算用。……なんだかさっきから諺ばかり出て来るな。そんな事を思っているリックだった。
「ねぇねぇ、リック。今日中にアイア鉱山に着けるかな?」
「無理だね。こいつ等を倒して、肉を干し肉にする準備をしなきゃいけないし」
「むー。早く玉鋼の煌めきとか見たいのにー」
「それは鉄を錬成してからだからもっと後になるよ」
「むー」
ティナは口を尖らせ、ふくれっ面をしている。リックはやれやれといった風に溜息を吐き、
「じゃあさっさとこいつらを肉にしちゃおう」
「ぐぬぬ。めんどくちゃい……」
「…………じゃあぼく一人でやるよ」
そう言うとリックは背中にある鞘から刀を引き抜いた。しゅりぃん……という鞘走りの音と共に露わになったその刀身は、刀というにはあまりにも――美しかった。鉄の煌めきではない。玉鋼のそれでもない。それは――虹色に輝いていた。
その刀をリックは地面に向け一振りした。ヒュンという音と共に雑草が揺らめく――否、雑草は斬れていた。刀は硬い物より柔らかい物の方が斬り辛い。ある程度の硬さの物ならば容易く斬れるが、柔らかい、軟弱な物を切るのは達人でも難しいだろう。だからこそ青竹を斬ったくらいで喜ぶのだ。
そしてリックは虹色の刀身を眺めると、言葉を漏らした。
「久しぶりだな……。この刀を抜くのも」
それからリックはピギーマウスの群れを一瞥した。
あー。こんな奴ら相手にこの刀を抜くとは思わなかったなー。でもまぁこいつらの肉は干し肉にしてもそこそこ美味いし、毛皮なんかも防具作りに役に立つし、あながち悪い事だらけでもないな。うん、さっさと終わらせればいい事尽くしかもしれない。
そんなポジティブな事を考えながら、刀を順手でしっかり持った。
「さぁて、旅の道具屋の腕前をご覧あれ」
そう言ってリックは駆け出した。
ピギーマウスの群れは駆け出したリックに狙いを定め、突進した――が。そうやってリックに突撃したピギーマウスは、ことごとく胴体と首を切り離されていた。転がった首は六つ。つまり、この一瞬で群れの三分の一程を駆逐した事になる。
「ありゃ? 一頭外しちゃった」
その一頭は首と胴体こそ斬り離されていなかったが、その代わりに腹部がスパっと斬られていた。おそらく死んでいるだろう。
それを見てリックは頭をぼりぼりと掻き、
「胴体の皮を斬っちゃったら鎧に使えないんだよなぁ……。手甲にするしかないか……」
と残念そうに言った。
後一三頭も斬るのはさすがに面倒臭いなぁ……。ってゆーか腕前がどうとか言ってたくせに一頭外しちゃったし。なんか恥ずかしいなぁ。
頭の中ではそういう事を考えていた。頭の中では。
身体はというとさっきからばっさばっさとピギーマウスの首を斬り落としている。残りは四頭だ。
「後――一振りっと」
そう言ってリックが刀を大きく一振りすると、ピギーマウスの首が四つ転がった。一振りしたその刀の軌道を常人では見る事は敵わないだろう。それほど早いのだ。早過ぎるために血振りの必要すらない。もっとも、この刀は絶対に錆びる事は無いのだが。
「やっと終わった。きゅーけいきゅーけい」
リックが刀を鞘に入れ、斬り伏せたピギーマウスの死骸に腰を下ろして休憩していると、ティナ以下三匹が駆け寄って来た。
「遅かったね。ティナなら後二分は早く終わらせてたよ」
「そう思うなら自分でやってくれよ……」
「だってリックがそれ貸してくれないんだもん」
ティナはリックの背中の刀を指差した。
ってゆーかコレの類似品をティナは持っているのに、なんでそんなにコレを欲しがるんだろう? 不思議だ。
「これは相手がティナでも貸せないよ」
「ぬー。ケチ」
「ケチで結構。さぁ、毛皮と肉を分けて処理しないと。夜になったら大変だ」
「そんな事言ったってもう夜みたいだよ?」
確かに。この森は光が入って来ない。まだ昼の筈なんだけど……。
『リック、血抜きをしなくていいのか?』
「ん? 大丈夫大丈夫。しなくてもいいように首を落としたんだから」
『でも一匹だけ腹が斬れてる奴がいるにゃ』
「……あぁ、忘れてた」
リックは重い腰を浮かせ、一匹だけ首を落とし損ねたピギーマウスのところに向かった。
そして刀を再び抜き、一振りで首を斬り落とした。
「これでよし――っと、ティナ」
「何かな~?」
「皮を剥ぐから手伝って」
「ぐぬぅ。めんどくちゃい」
「今回は許しません」
「……どうしても?」
「どうしても」
「……ま、いっか。お手伝いしますっ!」
ティナの手伝いもあってか、リック達の作業はかなり早く終わった。と言っても昼が夜に変わるくらいの時間は過ぎたわけで、今日はその場でテントを張って野宿する事になった。
そして現在は二人と三匹がたき火を囲んでいる。たき火の脇には干し肉とさっき倒したピギーマウスの生肉が串に刺さって置いてあり、ジュウジュウと美味そうな匂いを出している。
リックはその火を見ながら生肉を小さな調理用のナイフで削いでいた。
……明日はアイア鉱山だ。しっかり食べて、ゆっくり寝て体力を温存しておかないと明日の採掘に響くだろうな。というか、通過点にしか過ぎないアイア鉱山まで行くのにこんなに時間がかかるなんて。まったく。
そんな事を考えていると、ジンがリックに話しかけた。
『……リック。その皿に乗っているのはもしや私の夕食なのだろうか……?』
「んー? ……あぁ、やっちゃった」
皿の上には削ぎ落された肉が乗っている。こう言えば普通だが、そこには補足としてこんな表現が入る。
【これでもかという程小さく切り刻まれた、まるで挽肉のような】
そんな状態の自分の夕食を見てジンは一目でわかる程に落ち込んだ。
『私は何か罰を受けるような事をしただろうか……?』
「いや、これはぼくのミス――」
『ごちゃごちゃうるさいにゃ。だされたもんはだまって食えばいいにゃ』
『あの能無し二枚舌のクソ猫ならいざ知らず、今日この私は特にミスは犯していないと思うのだが……』
「あ、いや、だからこれはぼくのミス――」
『この鳥肉! 今誰の事をにゃんて言ったか言ってみろ!』
『何をそんなに怒っているのだ? まさか自分で自覚していたのか? 下品で能無しのクソ猫だと』
『にゃんだとう!?』
ケンカが始まりそうになったその時、ティナがボソッと呟いた。
「ジンとアルトは夕食抜き決定だね」
『『えっ!?』』
「いや、ティナ? これは元はと言えばぼくが悪いんだし」
「お食事中にケンカするなんて【まなー】がなって無い証拠だよ」
ティナはそう言い放ち、炙った干し肉を食べ始めた。リックも一つ串を手に取り、小さく溜息を吐いた。
たまに常識的な部分が出て来るんだよな。――……ホントにたまにだけど。もしかして、規則性とかないかな? そういうのがあればティナの事がグッと扱いやすくなるんだけど。あるわけないか。たぶん、気まぐれだろうし。
脱線して全然違う事を考えているリックだった。
そして悲惨な事に、ジンとアルトはティナが起きている間、何一つ口にする事を許されなかった。と言ってもティナが寝てから心優しきリックが干し肉を彼等に食べさせたので餓死する事は無かったようだ。
そしてテントの中でリックは呟いた。
「鉄か……。持ち運びできる鎔鉱炉とかないかなぁ」
▽△
朝になり、点けっ放しだったたき火の日を消して一行はアイア鉱山に向けて歩き出した。鉄鉱石の採掘には許可が必要だが、リックがしっかりしているのでそれは問題ないだろう。というか、リックが凄んだ顔を見せるだけで大抵は許可が下りる。
なんだか全然嬉しくないけど。でもまぁ、ティナに任せると平気で盗んだりしそうだからそれよりはいいな。この歳で窃盗犯で捕まるのもどうかと思うし。
ってゆーかそろそろ風呂にも入りたいな。水浴びはたまにしてるけどさすがに汗臭い。でも最近飲料水の減りが早い気がする。……まさか?
「ティナ、最近なんだか水の減り方が尋常じゃないんだけど」
「うっ! な、なんの事? ティナ、全然分かんないなぁ……」
その最初の「うっ!」ってなんだ。やっぱり……。
「もしかして自分一人だけお湯浴びとかしてない?」
「ぐぬっ! し、してないよ?」
反応的には完全にクロだが、まぁ証拠が無いから何とも言えない。そんな事を考えていたリックだったが、アイア鉱山に着くまでにはまだまだかかるので、反省させる意味も込めて揺さぶりをかける事にした。
「昨日ぼくは中々に眠れなくてね」
「そ、そーなんだー」
やっぱり反応がおかしい。何かを隠している事は明白だ。ジンとアルトは黙って聞いていた。
「で、水の入った大瓶を持ってテントを出て行く一人の少女を見たんだよ」
「うぐぐ。そ、それで?」
リックの言った事は全て推測に過ぎなかったが、意外と当たっていたようだった。というよりここまで追い詰めても口を割らないティナはそれはそれで凄い気がする。
「で、気になって覗いてみたら、その水をお湯にして裸になって水浴びを――」
「ふぎゃー!! へんたーい!!」
「嘘でしたー。やっぱりティナが犯人だったんだね」
「ぐぬぬー。バレたかー。リックは名探偵さんだねっ」
「水は貴重なんだから大切にね。ここが砂漠じゃなかったから良かったようなものの……」
「……はぁい」
そんな会話をしていると、リック達の前に一軒の山小屋のような建物が見えて来た。かなり古そうな建物だが、人は住んでいるらしく手入れはしっかりされている。
その建物の前に行くと、リックがティナに声をかけた。
「じゃあ、交渉に行って来るからここで待ってて」
「はいさー」
ティナはビシッと敬礼した。
それを見てリックは一度頷き、山小屋の扉を開けた。
ギィィィィ。という軋んだ音と共に山小屋の扉が開く。その中にいたのは一人の若い男だった。服装はこの辺ではよく見かける上下作業着で、顔は優しそうだ。
「どうも」
リックは山小屋に入り男に一礼した。それを見て男もリックに一礼し、口を開いた。
「あ、観光の方ですか?」
「いえ、ぼくは――」
「観光だったらお引き取り願います」
いや、話聞けよ。お前が質問したんだろうが。
当然と言えば当然だが、それをリックは口に出さない。出さないが――この男、喋るのを止める気は無いようだ。
「最近は観光客が増えて困ってるんですよ。作業の邪魔になるって何度言っても聞かなくて。まったく……、鉄がそんなに珍しいですか。自分の家でナイフでも見てればいいでしょう」
だから話を聞け。口には出さないけど。
「まったく、マナーがなってませんよ。最低限のマナーは守るべきです。そうすればこっちだって譲歩するっていうのに最近の観光客ときたらゴミは捨てるわ唾は吐くわ……。ピクニックなら他の山に行けばいいんですよ」
「ちょっと話を聞いて下さい」
「え? なんですか?」
こいつは耳が遠いのか? それともバカなのか? どっちにしろ扱いにくいのは確かだ。そんな事を思いながらリックは話を続けた。
「ぼくは鉄鉱石を採掘しに来たんです」
「土産物感覚で鉱石を持って行こうなんて虫が良すぎますよ。こちとらそれでご飯食べてるわけですから。鉄だって無限にあるわけじゃないんですよ? これだから最近の観光客は――」
「観光客じゃないです!」
「え? 違うんですか?」
「さっきから何度も言おうとしてましたけどあなたがペラペラペラペラとよく喋るもんだから言うタイミングが出来なかっただけです。くだらない話をいちいち聞いてるこっちの身にもなって下さい」
リックは少しキレていた。基本的には心優しい(とリック自身思っている)が、あまりにも度が過ぎると少しだけ怒るのがリックだ。もっとも、周りから見るといつも怒っているように見え、少し怒っている状態は周りから見ると沸点を通り越した鬼のように見える。
そんなリックの顔を見て男は怯えながら、
「すすす、すいません。てっきり観光客かと……。でも、観光じゃないのならなんでここに?」
とリックに尋ねた。
「それは――」
「あぁ、フェルムの街ですか? 確かにこの山を越えればフェルムの街ですしね。あそこなら鉄のおかげで栄えてるし――」
「もう一度言います。人の話を聞いて下さい」
「………………………………はい」
男は震えながら答え、その後で自分の口に手を当てて塞いだ。……よし、これで少しは話し易くなった。
そしてリックは武器や防具を作る素材として鉄鉱石が必要で、採掘の許可が欲しいという旨を男に伝えた。
「もちろんタダで採掘させてもらおうとは思ってません。相場が一〇〇キロで五〇〇ギンくらいですから――二〇〇キロを九〇〇ギンで買います。採掘は自分でやりますんで」
「わわ、わかりました! どうぞどうぞお好きなだけ持ってってください!」
「いえ、二〇〇キロでいいです。それでは」
リックは許可証を受け取り、山小屋を出た。
外ではティナが雑草を編んで綱を作っているようだった。やたらと太くて長い綱だ。
「えっと……、ただいま」
「おかえりー」
ティナはどんどん雑草を編んでいる。アルトは雑草を引き抜くのを手伝っているし、ジンは荷馬車の上で顔を埋めて眠っている。ファルクは草を食っている。
「えっと。何をしてるの?」
『いや~。ティナが草で出来た手綱を作れば売れるんじゃにゃいかって言うから作ってたんだにゃ』
「そうだよー。絶対売れると思うんだっ。お馬って草好きだしっ!」
ティナはリックに向かってピースをした。
いや、馬の手綱を草で作ったら食っちゃうんじゃないか? 藁とかならまだしもそんな青々とした草じゃあダメな気が……。
しかし、こうなってしまったらもう、出来るまでは引かないのがティナである。というわけでリックは放っておいた。
すると、
「なんか遅かったねー?」
とティナがリックに声をかけた。手は雑草で綱を編んでいる。
「あぁ、中の人が全然ぼくの話を聞いてくれなくてね。交渉するまでに時間が掛ったんだよ」
「むー。ティナ、人の話聞かない人きらーい。【まなー】がなってないよねー」
「そうだね」
まさにその人が中にいる山小屋がすぐ後ろにあるのにそんな大きな声で堂々と言えるティナにマナーがどうとか言われたくないが、人の話を聞くべきだというのには納得したリックだった。
……でも、なんだかグサッっていう心に刃が刺さったような音が聞こえた気がするけど、しかも中からすすり泣くような声が聞こえるけどっ! 聞かなかった事にしよう、それがいいと思う。どうせ直視できない状況になっているだろうし。そうするべきだ。
現実から目を逸らし自己完結を遂げたリックだった。
「さぁさぁ! アイア鉱山に向かうよ!」
リックはある声を聞こえなくするために声を張り上げた。その声でジンが起きる。
『ぬう。それでは私は定位置に戻るとするか』
そう言ってリックの肩に乗ったのだった。
ジンが肩に乗ってからリックがティナの方を見ると、それはもう見事な手綱が出来あがっていた。緑一色ではなく、白い草や黄色い草を使って見事なグラデーションになっていた。
うわぁ。あれはちゃんとした商品になるな。ぼくが採掘している間はティナにもう何本か作っておいてもらおうかな。防腐剤とか使えば結構長持ちしそうだし。何かでコーティングするのもいいな。
リックがそんな事を思う程に見事だったのだ。その綱を見せて雑草から出来ているとわかる人はそうはいないだろう。
「リック、これどう?」
「すごい。これなら商品に出来るかも」
「えっへへー。褒められちゃった」
「じゃあ、アイア鉱山に向かおう」
「りょーかいしましたっ! びしっ!」
ティナの敬礼を合図に一行は歩みを進めた。山小屋の中のすすり泣きは微かに聞こえてくるが、気にしていてはダメなのだ。と言っても気にしていたのはリックだけなのだが。
歩きながらリックは思うのだった。
悪意なしに人を傷つけられる存在が一番怖いのかもしれない、と。
▽△
アイア鉱山での採掘行程は三日だった。そして現在はアイア鉱山をでてフェルムの街に向かっている。
採掘中、ティナがリックを手伝う事がもしもあったならば、その日程は二日になっていたのかもしれないが、残念な事に、彼女にそんな気概はかけらも無かった。
その代わりと言ってはなんだが、リックはティナに例の綱を作らせていた。
なんだかこれがもう凄くて、一本として同じ物が無いばかりかその一つ一つが芸術と言っていい程の美しさを誇っていた。どんな材料と技術を使ったのかは知らないが、自作のコーティング液まで作っていたし、そのコーティング液がこれまた凄くて防腐剤やら艶出しやらなんか色々凄い。丈夫さまで加わる液って一体どんな液だ。ずっとそばにいたアルトにリックが「どうやったんだ?」と聞いてみたところ『にゃんだかわからないけどティナは半端じゃにゃいにゃ』と言っていた。ティナはもしかして類稀なる天才なんじゃないかと思う事もある。ってゆーかマジで天才だ、彼女は。
色々な天才がいるが、彼女はその全てを持っているんじゃないだろうか。だって採掘から戻って来た時、なぜか採掘場の作業員のおっさんとかなり仲良くなっていたし。普通、天才と呼ばれる存在は近寄りがたくほとんどの人がそのオーラを感じて避けて通るというのに。この子はそんな物知らないと言わんばかりに天才なのだ。そんな人と旅をしている凡人は一体どうすればいいんでしょう?
という事を考えているリックであった。そしてさらに考える。
二〇〇キロの鉄鉱石の採掘は無事に終了した。高品質だし、おそらく一〇〇キロ以上の鉄が出来るだろう。それから武器や防具を作るとなるとそれもまた骨だが、そんな事はもうすでに何度も経験しているのだ。問題無い。
ティナが完成させた綱も七本あるし、これはこれからの主力品になるかもしれない。少々高値で販売してもまさか雑草から作ったとは思えんだろう。
ジンは【レインボーベリー】というレアな木の実をたくさん採って来たし、これもジュースにすれば栄養剤として高値で売れる。
ファルクは毎日リックの採掘の運搬係をやっていた。
アルトは――まぁ、ティナの手伝いをしていたのだろう。まさか一日中丸くなって寝てたとは思えない。
だから一応、全員働いていたわけだが、これはあくまで仕入れだ。ここからフェルムの街で鉄鉱石を鉄にしている間に売れ筋を調べない事には売り上げを伸ばす事は出来ない。それはアルトとジンの仕事だが、あいつ等は二人で競争させる分にはかなりいい結果を出すので心配はしていない。フェルムの街はアイア鉱山の麓だから意外にツルハシなんかが売れるのかもしれない。
鉄の精錬について言えば、ティナ程頼りになる者はいないだろう。玉鋼の輝きが大好きだというくらいだし、何より上手い。そういう時はパートナーがティナでよかったと思うんだけど、それ以外の時はあまり期待出来ないんだよな。自分の興味のある事以外は投げ出す癖も何とかしてほしい。それの後始末を自分でしないのも――……はぁ。
そういう愚痴のような事を考えていると、フェルムの街の門が遠くに見えて来た。
『リック。フェルムだ』
「あぁ、そうだね。大変だったな、あと少しだぞ」
リックはファルクの首をポンと叩いた。
『ヒン!』
ファルクは嬉しそうな声を上げた。それを見てティナも声を上げた。
「むぅ、いいなー。ティナも頑張ったよー?」
「そうだね。街に着いたら宿屋で休んでるといいよ。ぼくは鎔鉱炉の使用許可を取って来るから。お風呂もあるだろうし」
リックはティナの頭にポンと手を置き、撫でた。
「えへへー。リックに褒められたー。うっれしいな~♪」
ティナは満面の笑みでスキップ交じりに歩き出した。そのスキップのせいでアルトが肩から振り落とされた。
『ふにゃっ!? ティ、ティナ、危ないにゃ!』
「あはは。ごめんねー♪」
謝る態度ではないが、それ程上機嫌なのだろうという事で誰もが責める事は無かった。
「ねぇねえ、リック。今日は一緒に寝るのー?」
「……え? 一緒に寝るの?」
「もー、質問してるのはティナだよ?」
「あ、ごめん。う~ん、じゃあ、たまには」
「うっひひひ。もらったぜよ」
「……何、そのセリフ?」
「古い本に書いてあったの。なんかみょーに頭に残っちゃって」
「何だその本……?」
『む。誰かいるぞ』
ジンの声に反応してリックが前を見ると、フェルムの街の門の前をうろうろしている少女の姿が目に入った。歳はおそらく一桁台だろう。淡いピンクのワンピースを着ていて、髪は赤茶でツインテール。顔はよく見えない。
「何してるんだろう?」
「う~。リックはあんな女の子がいいの~? やきもち妬くぞー!」
いや、ぼくはロリコンじゃないです。ってゆーかあんな子供相手にやきもち妬くなよ。まぁ口に出したら命がいくつあっても足りないし、そういう事は言わないでおこう。
そんな事を思いつつリックは少女に近付き、声をかけた。
「どうかしたのかい?」
「えっ? ――ヒィッ」
少女は端正な顔立ちだった。ティナには劣るが、美少女と言えなくもない。だが、それよりも何よりも少女が自分の顔を見て怯えた事にショックを受けたリックは、膝を抱えて小さくなった。
仕方無しにジンが少女に尋ねる。
『なぜ入らんのだ? 何か用があるのだろう?』
「え? え? 今、誰が?」
『私だ』
ジンは大きく翼を広げ、アピールした。
「鳥さんって喋れるんですねー……」
『いや、私が特別なのだ。寿命が長いというのも――いや、それで、一体どうしたのだ?』
「あ、お父さんがこの街にいるんですけど、会いに来たんです……」
『ふむ。お主はフェルムの住民ではないのか?』
「はい……。クロムの村から来ました」
その言葉にリックは反応し、同時に地図を荷馬車から抜き取り、それを開いた。そして地図に指を走らせ、確認してから言った。
「クロムの村? 凄い遠いじゃないか。一人で来たの?」
「と、途中までは馬車で来ました。で、でも、一人です」
リックの顔を見て少し目を潤ませながらも少女は答えた。それを見てまたリックの心は傷付いたが、グッと堪えて少女に言った。
「じゃあ、会いに行ったら? なんなら着いて行ってあげようか?」
「ほ、ホントですか? お願いしますっ!」
少女は目を輝かせ、リックに頭を下げた。そして同時にティナはふくれっ面でリックに向けてジトッとした視線を向けた。板挟みである。
これは人間として当然の事をしようとしているだけだ。ティナが怒る、ってゆーか拗ねているのはなんだか不本意な事だけどぼくは間違っていない。ぼくは間違っていない、筈だ。筈なんだ。
そういう自己正当化の言葉とも思える暗示を自らにかけ、リックは少女と門の中に入った。
それに続いてティナも食事中のハムスターのように頬を膨らませながら門の中に入る。
そんなティナの顔を見てリックは思った。今日はおそらく寝るまで意味不明な説教をされるんだろうなぁ、と。そして思いなおす。あ、鎔鉱炉を借りられたら宿屋に戻る必要も無いし作業に没頭できるな、どうせ眠れないなら作業しながらの方がずっといいなぁ、と。
▽△
フェルムはそれなりに栄えた街だ。シンボルとしての大鎔鉱炉はそれなりに有名だし、観光で訪れる人も少なくは無い。それもこれもアイア鉱山の麓にあるからなのだが、昔からこうだったわけではない。
大昔、まだフェルムが街という程に大きくなく、旅人や兵士の装備品の主流素材が青銅だった頃は廃れに廃れていた。住民は畑を耕し、そこで採れた少ない野菜や穀物、川魚や野鳥の肉をやり繰りして生活していたのだ。
森と山に囲まれた村だけあって戦地になる事は無かった。幸運な事に魔物もそれほど生息していなかった。それでも、ただそれだけだったのだ。戦地にならず、魔物の襲撃が無いからと言って廃れている村が栄えるわけも無い。
しかし、今から二〇〇年程前にフェルムにとっての転機があった。
鉄の流通である。
それまでの主流だった青銅より強固な金属として、その時のどこかのなんとかって言う偉い人(名前も出身国も忘れた)が世界中の鉄を探させたのである。それはその偉い人の国を上げて行われ、世界中を探した結果、アイア鉱山に存在する鉄鉱石が高品質でさらには多量にあるという事で、採掘場を作り、道を整備し、そして作業員としてフェルムの住民を雇ったのだった。そこで働いて得た賃金によって、ひいては整備された道によって、村は街へと変貌を遂げる程豊かになった。だからこそ今の栄えたフェルムがあるわけである。もっとも、今じゃあ鉄は凄い安価に取引されてるからこれ以上の発展を望むのは厳しいかもしれないけど。
――以上、リックの手記より抜粋
「とまぁ、こういう街なんだ。今じゃ立派な店とか工場とかがたくさんあるけど昔はそうじゃなかったんだよ」
「「ほぇ~」」
ティナと少女が感嘆の声を上げた。ちなみに少女の名前はサリーで歳は八歳。生まれてこの方クロムの村から出た事が無かったらしく、フェルムについての話は新鮮だったらしい。ティナには前に教えた事があった気がするんだけど――まぁそれは置いておこう。いつでも新鮮味を覚えられるというのはある意味凄い事のような気がするし。そういう事で。
また自己完結したリックだった。そして一人で納得しているリックにサリーが声をかけた。
「お兄ちゃん達は旅人さんですか?」
「まぁ、大雑把に言えばそうだね。正確に言うと――旅の道具屋かな」
リックがそう答えると、サリーはティナの方に向き直った。
「お姉ちゃんもですか?」
「そうだよー。ティナとリックは世界一の道具屋さんなのだー!」
「わぁ! 凄いですー!」
「ひかえおろー! ひかえおろー!」
ティナは変な言葉を使っている。はっきり言ってリックには理解できなかった。が、それでも微笑ましいとは思っていた。
そこでリックはさっきから気になっていた事をサリーに尋ねた。
「そういえばサリーちゃんのお父さんはどこにいるんだい?」
サリーちゃんと言った瞬間、ティナの目がギロッとリックを睨んだ。
――……うわぁ、怒ってるよ。明日は一日中【ティナちゃん】と呼ぶ羽目になりそうだ。
「分かんないです……」
「そっか……。名前とかわかるかな?」
ティナの怒気を孕んだ視線をスル―しながらリックは尋ねた。
「えっと、スミスです」
「うわぁ、結構ありふれた名前だな……。歩きまわって聞きまくるしかないか……」
「……、ごめんなさいです……」
「いや、サリーちゃんは謝る事無いよ。ぼくが勝手にやってる事だから」
はっ!? しまった! 今またサリーちゃんって――
「うがー! ティナの事もティナちゃんって呼んでよ~! サリーばっかりずるいー!」
「いや、ほら、ティナはもうそんな歳じゃないし……」
「うるさーい! リックはティナの事をティナちゃんって呼ぶの! 呼・ぶ・の!」
「わ、わかったよ……。ごめん、ティナ――ちゃん」
「……えへへ。ティナちゃんだって~。照れるなぁ~。リックったらかぁわぁいい~」
自分で呼べって言ったくせに。うぅ、街の人の視線が痛い……。もしかしたらイタすぎるバカップルに見られてるかも。いや、絶対そうだ。そうに違いない。なんだかサリーちゃんの目もジトッとしているような……。こんな小さい子にまで軽蔑されなきゃいけないのか。
リックが嘆息していると、サリーが取り繕ったような笑顔を見せ、前方を指し示しながら声を上げた。
「あ、もしかしてあれが大鎔鉱炉ですか?」
「ん……? あぁ、そうみたいだね。ちょうど街の中心にあるし」
「動いてるんですか?」
「いや、火は入ってない筈だよ。あれは昔、一気に溶かすために使っていたらしいけど今はただのシンボルさ」
「へぇ……」
「あそこの周りは今じゃマーケットになっている筈だよ――ほら」
リックが指差した方向にはいくつもの店が立ち並んでいた。その他にも露天商や、大道芸人などもいるようだし、かなり活気があった。
おっと、どんな物が売れて行くのか確認しておかないとな。
そんな事を考えながら歩いていると、宿屋が見えた。
「あ、ティナ――ちゃんは先に宿屋にいてくれてもかまわないよ。ぼくはサリーちゃんのお父さん――スミスさんを探して鎔鉱炉の使用許可を取って来るから」
リックがそう言うとティナはまたギロリとリックを睨んだ。
あれ? なんかダメな事言ったかな? ちゃんとティナちゃんって言ったんだけどな。
「リックはそんなにサリーと二人きりになりたいんだねっ」
「えぇ!? ち、違うよ。ほら、ファルクだって長い距離重い物引っ張って来たんだから疲れてるだろうし、ぼくは交渉があるし、サリーちゃんだって誰かが付いてないといけないし、ティナ――ちゃんだってけっこう疲れてると――」
「心配してくれてたの?」
「へ? あ、あぁそうさ!」
「……うっへへへへ。そうとは知らずご無礼千万、猛省致すー。もーせいもーせい」
ティナはこれでもかという程の満面の笑みを浮かべ、鼻歌交じりに宿屋に向かった。
――……、結局言っている事は意味不明だったけど、あの笑顔を見れただけでも良しとするか……。
ティナに対してどこまでも甘いリックだったが、とりあえずティナの後姿を見送り、サリーと共にスミス探しと鎔鉱炉の使用許可の交渉に繰り出した。
色々な人への聞き込み調査の結果、サリーの父親、スミスは結局どこにいるのかわからない、という結論になった。いや、語弊があった。訂正する。どれがサリーの父親のスミスなのかがわからなかったのだ。
わかった事は二つ。スミスという名の人物はこのフェルムに一五人存在する、という事。そしてもう一つは――そのスミスという人物達は皆一様に怠惰で自分勝手で自堕落だという事である。
神よ……、スミスという名に恨みでもあるのか……?
まぁ、とりあえずはそのスミスさん全員に会う必要がありそうだ。何人目でサリーの父親に当たるかはわからないが、こんな時は大体がしょっぱなから見つかるか最後の一人まで見つからないかの二択じゃないだろうか。別に無限にスミスという人物がいるというわけでもないのだ。しょっぱなだったらそれはそれで嬉しい事だが、最後の一人になるまで見つからないとしても、その最後の一人には絶対の自信を持って当たれるわけだし、別に不運という程の事ではない。どっちにしろ今日中に終わるだろうし、鎔鉱炉の使用許可を取る時間も十分に余るだろう。――……、あー。鎔鉱炉を持ってるような人いるのかなぁ? さすがに大鎔鉱炉を貸してくれなんて言えないしなぁ。大鎔鉱炉で鉄を作る事ができればそれはそれで宣伝になって売り上げが上がるかもしれないけど、ティナと二人だけで動かせるとは思えないんだよなぁ。まぁ、当分の目的は鎔鉱炉を持っている人を探す事――じゃない、サリーの父親を探す事、だな。
そんな感じでリックはスミスさんを探していた。自己完結と趣旨の変化はいつもの事である。
一人目のスミスさんはサリーの父親とは別人だった。第一、結婚すらしてない。しかも、サリーの父親にしては歳を取り過ぎていた。七七歳の酒びたりのご老人である。
しょっぱなのパターンじゃないようだ。という事は全員に会わなきゃいけないな。なんというかほんの少し楽しくなってきた。全員が人間やめました的な生活をしてるらしいけど、それも一人一人違うだろうし。多種多様なダメ人間を見せて貰おうじゃないか。
根本的に趣旨が変わってしまったリックであった。確認しておくが、このスミスさん探しの目的はサリーの父親を探す事である。決して【ダメ人間スミスを探せ! 開催地・フェルム】とか、そういう類のものではない。
リックが、これは最後に見つかるパターンだと確信を持って臨んだ八人目のスミスさん宅にて。
その中にいたスミスさんは薄汚れた服装で、酒の入ったグラスを右手に、火のついたタバコを左手に持ち、これまた薄汚れたソファに深く腰掛けていた。左足には、骨折したのだろうか、ギプスがしてある。
「さ、サリー……? お、お前、どうしてここに? クロムに母さんといたんじゃなかったのか……?」
どちらのパターンでもなく、ちょうど折り返し地点でサリーの父親を見つけてしまった。第三パターンの発見である。ちなみに第三パターンを言葉で表現するとこうだ。
【絶対にこれは最後の最後まで見つからないという確信が脆くも崩れ去る空気読めよ的な最悪パターン】
「お父さん……? お父さん? ……お父さんっ!」
サリーは父親のスミスに抱きついた。なんという感動的なシーンだろうか。離れ離れの親子の再会。王道である事は間違いない。……だというのに。
「はぁ……」
リックは額に手を当て嘆息した。理由は言うまでも無いが、第三パターンの出現のせいである。自分の確信が間違いであった時の落胆具合といったら誰だってそりゃもう酷いだろう。間違っているだなんて一かけらも思っていなかったのにこのざまだ。
だが、目の前の光景は微笑ましい。涙ながらに父に抱きつく少女、驚きながらもその少女を抱き返している父親。
「さ、サリー、お前一体どうして?」
「お、お母さんが、四日前に急に倒れて、それで……!」
「シェイラが!? 何がどうして!?」
「わかんない……。でも! お父さんがいてくれればどうにかなると思って……っ!」
「そうか。それじゃあすぐクロムに出発だ。酒とたばこでかなり使っちまったが稼いだ金は結構残ってる。急行馬車で行こう」
「うん!」
色々と新事実が明らかになったが、それよりも何よりも、空気と化している自分自身にショックを受けたリックだった。現在のリックは、淀んだオーラを見に纏った目つきの悪い男である。言葉だけをそのまま捉えると、何か危ない事をしそうである。意外と傷付きやすいのだ、リックは。
「サリー、この人は?」
「えっと、リックさん。お父さんを探すのを手伝ってくれたの」
そんな会話を目の前で繰り広げられているのにリックはそれに気付いていない。沈んだ目でブツブツと「どうせぼくなんて……」「神よ……、将来を勝手に決めた挙句がこれですか?」等と、サリーとスミスにはまったく意味のわからないセリフを呟いていた。
そんなリックにスミスは顔を引きつらせながら声をかけた。
「あ、あの。リックさん」
その声が耳に届いたのか、リックはゆっくりと顔を上げた。しかし、その顔はどんよりしたままだ。そんな顔でリックはスミスの呼び掛けに応じた。
「……あ、どうも」
「さ、サリーをここまで連れて来て下さってありがとうございます」
スミスは少し深めに頭を下げた。
「……いえいえ。当然の事ですよ」
「何かお礼をしたいところなのですが、なにぶん急いでいるもので……」
「……そんな、お礼なんていりませんよ――……、いや、じゃあ一つだけお願いが」
「? なんでしょう?」
「この辺りで鎔鉱炉を貸してくれそうな人っていないですかね? もしいたら教えて欲しいんですが」
「なんだ、それなら私の鎔鉱炉を使って下さい。どうせこれからクロムに向かいますので一月は戻りませんし」
「……、え? 鎔鉱炉あるんですか?」
「はい。今はこんな足なんで仕事はしていませんでしたが、本来は鍛冶屋なんです」
「それ、貸してくれるんですか……?」
「えぇ、サリーに付き添ってくれたお礼です。この家の裏にありますのでお好きなように使って下さい」
「わかりました。それじゃあ、ありがたく使わせていただきます」
「はい。それでは私はこれで。サリー、行こうか」
「うん!」
サリーとスミスはもう一度リックに頭を下げ、スミスの家を出て行った。残されたリックはと言うと、さっきまでの沈んだ顔とは打って変って明るい顔になっていた。と言っても目つきは怖いままだが。
でも、これほどまでにトントン拍子で話が進むのは久しぶりだな。まったく、二兎を追って二兎を得るなんて上手くいき過ぎじゃあないのか。いや、考え過ぎか。人生というのは思ったより簡単で甘く出来ているのかもしれない。ありがたい事だ。
そんな事を考えているリックだった。
▽△
リックが宿屋に引き返しティナが借りた部屋にドアを開けて入ると、ティナの髪が濡れており、先に風呂に入った事が一目でわかった。一緒に入ったのだろう、アルトの毛も濡れている。ジンはいつも通りだったが、疲れていたのだろう、顔を胸に埋めて眠っていた。
ティナはベッドの上で足をバタつかせ、枕に顔を押し付けて至福の顔をしている。なぜかベッドは一つしかないが、さっきリックが自分で言った事を考えるとそういう事なのだろう。その代わりにベッドの大きさは半端じゃない程に大きい。成人男性が四人は普通に寝れそうな程である。
だが、リックにとってそんな事はこの際どうでもよかった。本当にどうでもよかった。そんな情報を手に入れるよりもさっさと逃げ出したい気分だった。この現実から。いや、まぁ、嫌な予感はしたのだ。第六感とも言うべき変な寒気のような、そんなような感じが。気のせいであって欲しいと思っていたのだ。目の前の、今現在リックがドアノブを握っているこのドアの前に立つ前までは。
「あ、リックおかえり~」
リックが部屋に入った事に気付いたティナが声を上げた。その声に反応したジンが目を覚まし、リックに労いの声をかけた。
『お疲れ様だ。大変だっただろう』
それに続いてアルトも声をかける。
『俺様がいにゃくて大丈夫だったかにゃ?』
「ねぇねぇ、リック。どうだった?」
ティナの声にリックは現実逃避から引き戻された。が、どうしても戻りたくない状況が目の前にはあった。
ティナの表情は期待に満ちている。……なんでこんな事になっちゃうんだろうな。
「とりあえずサリーのお父さんは見つかったし、鎔鉱炉も貸してもらえたよ。ただ、ね」
「ん~? 何かな何かなぁ?」
「ジン。この部屋はなんだい?」
『む……。私に不満は無いのだが。リックは何か不満か?』
「いや、別に不満は無いよ。ただ――」
リックは部屋を見渡した。そして嘆息する。
――……なめんなよ。ちくしょう。
「……なんで一番高い部屋を借りてんのさ?」
リックの表情は呆れと怒りが入り混じっていた。しかし、それもそうだ。ティナの借りた部屋はただ単純に広いのだが、それだけではなく、他にも専用のバスルームやら貴族の使う様なソファ、高そうな壷には、おそらくそれの専門職の人が作ったのだろう、立派すぎる生け花があった。それだけでも十分凄いのに、天窓付きの天井からは光が差し込み、高級酒なんかも完備されている。掃除も行き届いており、汚い場所など見当たらない。二人と二匹が滞在するには少しばかり、いや、かなり広過ぎだった。
「はぁ……」
リックはまたも嘆息した。なんというか、もう溜息でも吐くしかないのだ。別に普通の部屋でよかったのに。寝て、起きて、専用でなくてもいいから風呂に入れて、食事が出来て、寛げる部屋であれば。だというのに。
「ちなみにこの部屋の料金は?」
『一泊八〇〇ギンだ』
ジンの返答は驚愕に値する言葉だった。
「は、八〇〇? ち、ちなみに普通の一般客用の部屋は?」
『六〇ギンだ』
「一〇倍以上じゃないかっ!?」
『むぅ。そう言われればそうだ――しかし、さっきティナは一週間分の料金を払っていたようだったが』
「んなぁっ……!? 七×八〇〇は――……五六〇〇ギン!? ほぼ全財産じゃないか!?」
リックは頭を抱えた。今リックの手持ちには五〇〇ギンある。鎔鉱炉を借りる時に支払う予定だった物だ。そしてティナに――というか居残り組に預けたお金は五七〇二ギン。その内五六〇〇ギンを使ってしまったという事は、残り六〇二ギン。…………、はっきり言って絶望的以外の何物でも無い金額だ……。せっかく今まで稼いだお金が、一瞬で……。フェルムを出発する時に素材やら食料やらを買いたいと思っていたのにこれじゃあ買えない。今あるのでやり繰りしなくちゃ。……主婦か、ぼくは。
「キャンセルは? キャンセルは出来ないの?」
「出来ないらしいよ。最初に言われたの」
「ぐぅ……。どうすれば……」
「いっぱいいっぱい売ればいいんだよっ。そうすればみんなも【はっぴー】ティナも【はっぴー】、リックも【はっぴー】だしねっ! うん、ぱーできぱーでき! ぱーふぇくつっ!」
「簡単に言うけどね……。それ程の売り上げを出した事はほとんど無いんだよ? いくらここが栄えているからって……」
「今までに無いならこれからやればいいのだぁー! 伝説は語る物じゃない、作る物なのだぁー! ティナは伝説になるのだー!」
伝説と言われてもおかしくない程のポジティブ発言ありがとうございます。まったく……、こんなにポジティブに言われるとやってみたくなるから不思議だ。……あれ? なんだか計算を間違ったような……、あ。
「一週間どころか三日ぐらいしか無いんじゃないかな……。満足に出来るのは」
『何がだ?』
「さっきの話だけど、一週間で前代未聞の売り上げを出すんじゃないって事」
『うん? 三日というのは?』
「鉄の精錬をする時間、それに武器と防具を作る時間。まぁ武器の半分くらいは雛型があるから玉鋼を流し込むだけで出来るんだけど、強度も斬れ味もデザインも全部最低レベルの物だから作りたくない。ちゃんとした物を作りたいから寝ないで三日半、半日寝たとして四日は使うだろうね」
「ティナも寝ないでお仕事するのー?」
「当然でしょう。ぼくは今から風呂に入って着替えるから。その後で仕事に入ろう。基本的に食事以外の休憩時間は無し、水分補給のみ。突貫だよ」
「けつかっちんなんだねー。てっぺん回っても働くのかー。……めんどくちゃい」
「今回ばかりは絶対に許しません」
「ぐぬぬー。わかったよー。じゃあリックと寝るのは三日後まで我慢するー」
あ、そういえばそんな約束もした覚えがあるな。
忘れていたリックだった。
「玉鋼の煌めきを見たいんだろ? ティナも本腰入れて仕事してくれよ」
「玉鋼の煌めきは何事にも変えられない程の美しさを誇っているのだー」
ティナは手を組んで目を輝かせた。
「そうだね。じゃあぼくは風呂に入って来るから」
「ティナと一緒に?」
上目遣いでリックを見上げるティナだった。まぁ美少女にこんな顔をされてドキドキしない男がいるのなら見てみたいもんだ。だけどその問いに対する答えは決まってる。
「いいや、一人で」
「うぐぅ。いぢわる」
ティナはお得意のハムスターが食事をしている時のようなふくれっ面になった。
「さっき入ったんだろ? じゃあいいじゃない」
「リックとならふやけてぐにゅぐにゅになるまで入れるよー。びしっ!」
ティナの敬礼は可愛らしいが、ぼくだって一人になりたい時ぐらいある。
そんな事を考えながらリックは専用のバスルームに入り、ティナが入って来れないように鍵を閉めた。
そしてその刹那。
ガチャガチャ。ドアを開けようとしている音が響いた。ドアノブが少し動いている。向こう側でティナがなにやらやっているのはりっくにもすぐに予想できた。が、さすがは一番高い部屋と言うべきか、ティナがいくらやってもドアが開く事は無かった。下手な鍵など問答無用でぶち壊してしまうティナでも開けられないのだ。ありがたい限りである。
そしてリックは久しぶりの風呂をゆっくり、とまではいかなかったが、それなりに楽しみ、それからティナと共に宿屋を出て、スミスの家、もとい工房に向かったのだった。
▽△
鉄の精錬は二つ、もしくは三つの工程からなっている。銑鉄を得るための精鉄、鋼を作るための製鋼。さらに鍛えるための圧延。圧延とは鋳造と同じ意味の言葉と思ってもらって構わない。要はハンマーやらで叩きながら鍛える事だ。
これらを全て三日で行う事はかなりの無理があるが、やって出来ない事は無いだろう。何しろ寝ないのだ。というより寝てる暇などない、といった状況だが。
色々と言いたい事はあるが、それは言わないでおこう。ティナの機嫌を損ねるのも困る。
はっきり言って全ての工程においてぼくの技術はティナに遠く及ばない。一応、主導権はぼくが握っているが、それはティナが工程を忘れる事が多々あるからであって、決してぼくの方が優れているというわけではない。実際にぼくの作った武器や防具よりもティナの作ったそれの方が高く売れる事だし。
別に悔しいなんて思わない。ティナは天才だし、ぼくは凡人だ。残念ながらそんなのに張り合ったって無駄でしかない。精々努力を怠らずに必死になるだけだ。無理でも無茶でもやるしかない。うぅ、胃がギリギリと痛む……。ストレスか?
――以上、リックの手記より抜粋
現在作業二日目、工程は製鋼が終わり、圧延に入っている。サリーの父親であるスミスの家で、スミスとは他人の二人がハンマーを握っている。
カンカンカンカン! カンカンカンカンカン!
小気味いい程のハンマーが鋼を叩く音が響いている。
「ふんふんふーん♪ リックはティナのお嫁さん~♪」
「…………………………」
「リックの物はティナの物~♪ ティナの物はティナの物~♪ リックもティナの物~♪」
「…………………………………………」
「ティナとリックの結婚式は~♪ 燃え盛る溶岩で――」
「そこだけ一応突っ込んどくけど、死んじゃうよ?」
「燃え盛る教会で――」
「燃え盛るをどうにか出来ないかな?」
「凍てつく教会で――」
「甲乙つけ難いけどどっちもヤバいよね」
「猛獣蔓延る密林で――」
「なんで危険なとこばっかりなの?」
「むむー。リックはわがままさんだねー」
「いやいやいや。人間として普通で常識的な事を言ったつもりなんだけども」
「ぐぬー。ティナはリックと空中で落下しながら結婚式するのー」
「その選択肢はさっきまで無かったと思うんだけど。しかもそれは間違いなく死んじゃうね」
「ティナはなんとか大丈夫なのだー」
「ぼくは助かってないよね」
「自分の身は自分で守らなきゃ雷様におへそを取られちゃうんだよー?」
「何か混ざったね……」
「しかも身長まで縮むんだよー?」
「そりゃ大変」
「ウェディングケーキは全長三〇メートルの大きいのがいいなー」
「そんなのが空から降ってきたら下界は大惨事だろうね」
「そんでー。新婚旅行は地底人探索ツアーだねー」
「全然華やかじゃないね」
「それでゆくゆくは地底人とのハーフの子供を五人程――」
「ぼくは死んだのか……」
「孫の代まで生きるのだー」
「普通だね、割と」
「そして世界一の道具屋さんになるのー」
「そこで初めて道具屋が出て来るんだね。ってゆーかぼく死んでるし」
「深い事を考えたらダメなんだよ? 死んだっていいじゃない。リックはティナの心で生き続けるんだよっ!」
「カッコいいセリフだけど生きてる人間にそんなセリフを言うのは今後止めておいた方がいいよ。傷つけるか怒られるかのどっちかだと思うから」
「うぐぐぐ――あ、出来たよー」
ティナは出来あがった刀を掲げた。お見事としか言いようのない出来の刀は、キラキラと輝いていて、すぐにでも試し切りをしたくなるような、そんな刀だった。ティナはその刀に柄を付け、鞘に入れた。これで一本完成である。
ちなみに今回の役割分担は武器がティナで防具がリックである。ティナは大小様々の武器をすでに三十本程作っている。一本として同じ物は無いが、どれもこれも一級品ばかりだ。
リックも武器防具作りは上手い方だが、ティナには遠く及ばない。だから、最近はティナが以前作った物で売れ行きがよかった物のレプリカを作っている。レプリカと言っても材料も作り方も全て同じなわけで、大した違いは無い。それでもリックはティナの防具を売る時は自分の防具を安価にする。
なんというか、その人のオーラというのだろうか。同じ物を作ってもティナの物は勝手にドンドン売れて行くのにリックの物は普通くらいである。だからこそ少し安価にする事で売り上げを伸ばした。ティナよりリックが優れている所はまさにそこだろう。嫌々なった道具屋だったが、意外とリックに合っていたようである。
そして、ティナに少し遅れてリックが二〇着目の鎧を仕上げた時、二日目が終了した。と言っても寝ないで作業をする訳なのでこの際日付が変わった事はどうでもいいのだが。
「後一日半、頑張ろうか」
「眠いー。ダルイー」
「そんな事言わないで頑張って下さい。まだまだ鋼は三〇キロ以上あるんだし、いっぱい作らんといけないんだよ。なぜかは知らないけど採掘場からどんどんここに鉱石が届くもんだから鉄鉱石だけでも後二〇キロはあるし」
「それはティナがおっちゃんに頼んだの」
「……なんで? おっちゃんって採掘場の人だよね?」
「うーん。足りないかなー、って思って。仲良くなった時に『困った事があったら何でも言え』っておっちゃんが」
「……そっか」
「こんなの一日でとっとと売り払っちゃおう!」
「なんだかいかがわしい物を売るみたいだね」
「次はつるはしを作るのだ!」
「それはいい考えだね。ここはアイア鉱山が近いから売れると思うんだ。ティナの作った物なら特に」
「それは褒めているのでありますかっ?」
「まぁね」
「えへへぇ……。やる気出て来ちゃったなぁ~。わがはいがんばるでありますっ!」
「よーし。無理しないように頑張って」
「それは心配しているのでありますかっ?」
「まぁね」
「うひひひ。そんなにティナの事が心配なんだぁ。うれしいな、うれしいな♪」
上機嫌に笑顔でティナはつるはし制作に取り掛かった。
よし、なんだかこっちまでやる気が出て来たような気がする。頑張ろう。ティナが珍しく頑張っているんだから。
そんな事を思いながらせっせとピギーマウスの毛皮に針を通すリックだった。
そしてそれから一日が過ぎ、全ての作業工程が終わった。
最終的に出来た武器は一〇二本(包丁、つるはし含む)、防具は鎧が三〇着、手甲が四〇着、盾が二〇個、兜が二六個(武器作りに飽きたティナが片手間で作った)である。
これから始まるのは試し切りである。基本的に今回は武器を作ったのはティナなので、試し切りをする必要は無いのだが、一応は売り物である。性能を確かめない訳にはいかない。
リックはティナが槍を持ったのを見て、薪を台の上に置いた。
「とおっ!」
ティナが声を上げ、槍を振るった。すると、薪は槍によって貫かれた。余程の斬れ味なのだろう、槍は音も無く薪を一瞬で貫いたのだ。ティナの技術もあるのかも知れないが。
「どうだい?」
「おほほほ。かんぺきざますー」
「そっか。それはよかった」
相変わらずティナの発言が理解できないリックだった。が、そんな事はいつもの事なのでもう気にしていない。それよりも武器の仕上がりが上々だという事は喜ばしい事だ。
結局道具屋というのはどれだけ物を売れるかに懸かっているのだから。
それからさらに半日が過ぎ、全ての商品のチェックを終えたリックとティナは三日半ぶりに宿屋の部屋に戻った。
食事の度に宿屋に戻ってはいたのだが、部屋に入るのは三日ぶりだ。でもやはり、どうしようもなくその部屋は豪華だった。豪奢だった。分不相応、である。
「ちゅかれたのだー」
「ぼくは後でいいから先にお風呂に入って来たらいいよ」
「『先にシャワー浴びて来い!』 関白だねー。関白発言だねー。リックはかっこいいなー」
「そんな事は無いと思うけどね」
「うふっ。じゃあお先にいただきますですー」
それから少し経って、ティナがバスルームから出て来た。顔は火照り、湯気が上がっている。こんな姿を見られるのは男にとって至上の喜びだ。
そんな事を思いながらリックはバスルームに入り、すぐに鍵を閉めた。案の定、ガチャガチャとドアノブを回そうとする音が聞こえたが、それを気にすることなくリックは体の隅々まで洗い流した。
そしてバスルームを出ると、ベッドの上でなぜかバスローブ姿で、なぜか太ももをチラチラと見せ、なぜかリックにウィンクしてくるティナが目に入った。
「リック、今日こそ一緒に寝ようねー」
「……ん。まぁ、今日くらいは。ティナも頑張ったし」
「うへへへー。腕枕してねー?」
「仕方ないな……」
リックは苦笑しながら頭をポリポリと掻き、ベッドに寝転がった。そしてティナに腕枕をしてやると、目を閉じた。
ギュっ。
窮屈さにリックが目を開けると、ティナがリックに抱きついていた。夢のような展開である事は否めないが、リックにそんな事をする気はさらさらない。
ティナがそこで口を開いた。
「明日はガンガン売ろうね」
「当然。ぼくらは世界一の旅の道具屋だからね」
「えへへへー。そうでした」
「じゃ、おやすみ」
リックがそう言うとティナは目を閉じ、すぐに眠ってしまった。その寝顔は本当に綺麗だ。
無防備だな。ぼく以外の男だったら間違いなく襲ってるよ。
そんな事を考えながらリックも目を閉じ、一時の休息に入ったのだった。
▽△
「ぐえっ……」
眠っていたリックを起こしたのは朝の陽光等ではなく、ティナのがっちり極まったチョークスリーパーだった。
それをリックは必死に外そうとしたが、簡単には外れない。この細腕のどこにこんな力があるのかと疑わせる程に強い力だ。
「うげ……。夢が三途の川になったところでおかしいとは思ったんだよな……。三途の川で溺れるとは夢にも思わなかったけど」
なんとかティナの腕を外し終えたリックだったが、唇は紫色になっていた。生死の境をさまよった証拠である。とりあえず酸素を取り入れようとリックは深呼吸をした。隣ではまったく悪意のない表情でティナが寝ている。
…………こんな顔で寝てるティナを怒れるわけも無いよな。まぁいいさ、こうして生きているんだから。
どこまでもティナには甘いリックだった。
リックがティナを見て苦笑していたその時、ティナが目を覚ましたようだった。
「ふにゃ……。あ、リック。おはよーごぜーます」
「おはよう」
「昨日は激しかったね」
「仕事がね」
「リックったらあんなに激しく――」
「ハンマーを振るっていたね」
「しかも何度も何度もそりゃもうこっちが疲れちゃうくらい――」
「試し切りをしたね」
「もう最後なんか首まで締められて――」
「……起きてたの?」
「うぐっ。ばれたのだ」
「とりあえず確信犯なら謝ろうか。死ぬ寸前だったし」
「ごめんなちゃい」
「オーケー、許す」
「……にひひっ」
ティナは満面の笑みだ。リックは苦笑いだ。どっちにしろ笑っているのだ。笑う門には福来たる、ではないが、笑わないよりはいいんじゃないか、と思うリックだった。
そこでアルトが声を上げる。
『今日からは売りに入るのかにゃ?』
「そうだね。試し切りも終わった事だしね。アルトにも頑張ってもらうから」
『当然だにゃ。俺様がいれば売り上げ三〇パーセントアップは間違いにゃいにゃ』
『ふん。毎度毎度の事だが貴様が有言実行を出来たのを見た事が無いな』
『にゃんだとう!?』
『本当の事だろう。売り物に足跡を付けるわ、商品の盾で爪は研ぐわ』
『お前だって木の実集めぐらいしか出来ない癖にでかい口叩いてんじゃにゃいにゃ』
『なんだと!? 貴様が人の事を言えた口か!』
『人には言ってにゃいにゃ~。お前は鳥肉じゃにゃいか』
『このクソ猫がっ! ぼろ雑巾のようにズタズタに引き裂いてくれるわ!』
『上等だにゃ! 鶏がらスープにしてやるにゃ!』
「ジン。アルトも。その辺にしておかないとティナに殺されるぞ」
『『……………………』』
ジンとアルトが黙ってティナの方を振り向くと、顔は笑っているが、近寄りがたい怒りのオーラを発しているティナの姿があった。
「うへへへー。きょーいくが必要なのかなー?」
『す、すまないティナ。これからは仲良くする! だから命だけはっ!』
『俺様もだにゃ! ケンカにゃんて金輪際しないにゃ! だから命だけはっ!』
本気の命乞いである。ジンは鷹だというのに床に身体を擦りつけ、土下座のようにも見える格好をした。アルトは前足を頭の上に置き、ガクガクブルブルと震えている。よっぽど怖かったのだろう。しかし、これで少しは懲りたのではないだろうか、とリックは思う。そして、今もっとも重要な事をやっとの事で思い出したのだった。
「ってゆーかそろそろ朝食を食べに行かない? 早めにいい場所を取りたいんだけど。ぼく達には自分の店っていうのは無いんだしね」
「リックの言うとおりだねー。ここの朝ごはんはホントに美味しいからねー」
「……、それだけのお金を払ってるからね……」
八〇〇ギンも払っておいて粗末なご飯なんて納得できる筈がないじゃないか。まぁ、昨日まで朝食でも前菜やらスープがついて、かなり豪華でこっちの身が引ける程だった。一番安い部屋じゃあこうはいかないだろう。まぁ、それのおかげでぼくの胃はどんどん痛くなってくるんだけど。
いや、そんな事より今日の仕事の事について考えよう。昨日までのは言うなれば前夜祭、今日からが本番だ。値段は大体決めてあるし、レインボーベリーは実演でジュースにすればいい。ティナの作った手綱もある事だし、結構稼げるかもしれない。それで、次の街で売る分を除いて全部売れれば――ざっと見積もって八〇〇〇ギンくらいはいくんだけどなぁ。今まで商品が全部売れた事なんてないしなぁ。前の街の売れ残りとかもあるし、今日は一〇〇〇ギン売れればいい方かな。とりあえずフェルムでは五六〇〇ギンを稼ぐ事を目標にしよう。マイナス分は取り戻さないと。
そこまで考えてリックはある事に気付いた。というか、今まで気付かなかったのがおかしかったのだが、ここで気付いた事はある意味でよかったと言うべきなのかもしれない。
「……別に一日で五〇〇〇ギン以上稼ぐ必要なんて無かったんだなぁ」
『ふむ。実を言うと私もそれは思っていたのだが、二人の意気込みを見ていると言い出し辛くてな。一日八〇〇ギン以上稼げば金は増える一方だ、と言いたかったのだが』
「先に言ってくれよ……」
しかし、それも無理も無い事かもしれない。あの時は一瞬で五六〇〇ギンが消え去ったのだ。その衝撃でリックは極度に焦っていた。取り戻さないといけない、と。
「でも気付いてよかったよ。これで焦ることなく仕事に集中出来る」
『それはよかった。……まぁ、ティナは気付いていないようだが』
ジンはティナの方を向いた。それに続いてリックがその方向を見る。ティナがアルトを抱き上げ、にこやかになにやら喋っている。
「アールートー。今日はねー、ティナは伝説になるんだよー!」
『俺様も伝説ににゃれるかにゃ?』
「なれるよー。だってアルトは喋れるんだよー?」
『だったらもう伝説ににゃっててもいい頃だにゃ……』
「大丈夫だよー。ティナちゃんにお任せあれー☆」
『にゃはは。期待してるにゃ!』
「えっへん! ティナは凄いのだ!」
微笑ましい、筈だ。ティナは本気で五六〇〇ギンを稼ぐ気でいるらしいけど、それは厳しいだろう。もしそれだけの売り上げを一日で得るとなると、設定金額を上げる必要もありそうだ。しかしまぁ、毎度毎度のことながらぼくの作った物だけ売れ残るのは勘弁してほしいな。顔には出さない事にしてるけど、結構ヘコむから。
そこでティナはリックに声をかけた。
「リック、もう行こうよぅ」
「ん。そうだね」
「出発しんこー! いざ食堂へ! わがはいは食の救世主なり!」
うん、さっぱり意味がわからない。
リックはティナの言葉を理解しようと努力したが、結局考えるのを諦めて食堂に向かった。
▽△
朝食はやはりこれでもかという程豪華で、料理名もわからない物が多々あったが、リックとティナは恐ろしい程に満足して宿屋を出た。
昼食はいらないと宿屋の主人に言ったところ、二人で食べきれるのか不安になる量の弁当も渡されたりもした。それだけでなく、ジンやアルトの食事、というか餌も高級な物で、ファルクに与えられている飼い葉もかなり上等なものらしい。それは厩舎にいるファルクの表情を見ただけでもわかった。
そして現在は大鎔鉱炉前の広場である。
それなりに早い時間だった事もあり、店を開いているところはほとんど無かった。客が集まるようないい場所もまだ開いている。
宿屋の主人に確認を取ったところ、ここのマーケットの場所取りは基本的に早いもの勝ちで、誰かに許可を取らなければいけないという事は一切ないらしい。一応マナーはあるが、それも同じような物を売っている店の前や横では店を開かない、といった程度の事である。
そこでリックは大胆にも大鎔鉱炉の真ん前、広場に入ってすぐに目に着く位置に場所を取ったのだった。
「さぁ、早く準備をしないと。ティナ、手伝ってくれるかい?」
リックの手には店用のテントとシートがある。
「ほーい。後でごほうび下さいな♪」
「ごほうびって?」
「ちゅー」
「……売り上げ次第だね」
「いよっし! 頑張るのだー!」
二人は急いでテントを組み立て、台を設置して、簡易な店を作り上げた。と言っても、広場に開いている他の店に比べれば格段に見栄えはよく、置いている商品も一級品だ。建物では無い分、人の目に留まる事も多い。
そして最後にリックは看板をテントに掲げた。
「……よし。旅の道具屋【ルハオ】、営業開始」
リックは看板を見上げ、軽く笑った。
「まいどー! 道具屋ですよー!」
『寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、にゃ!』
ティナとアルトの声が広場に響く。
「どんどん見てって下さいねー! 気にいったら買ってちゃって下さいなー!」
そんなティナの姿を見て足を止める人は後を絶たない。半数以上はティナの美貌に惑わされた男共だが、そういう奴等はティナが一声「これ買って♪」と言うだけでほいほい買って行った。綺麗なのは得なのだ。
現在は太陽が真上にある時間。売り上げは、これでもかと言う程の売り上げ。金額は六〇〇ギン。これから人がどんどん増えて来る事を考えると、本当に伝説になれるかもしれない。
ティナの作った手綱は、店頭に並べてみると瞬く間に完売だった。ティナの作った物が売れるのはいつもの事なのだが、今回はそれだけでなくリックの作った手甲や鎧もかなりの勢いで売れていた。話を聞いてみると、これからアイア鉱山を越えようとしている旅人が大多数で、それまでに装備を整えたかったのだろう。
「あのー。この剣下さい」
「それ一番高い剣だよー? 大丈夫?」
「そ、そりゃあもちろん!」
「二五〇ギンになりまーす。大事に使ってねー!」
「は、はーい」
客の男の大多数はティナに目が眩んで財布の紐が緩みっぱなしだ。女性の客も来るが、リックの顔を見ると「ヒッ!」とか悲鳴を上げ、一番安い薬草を怯えながら買って逃げるように帰って行く。……なんでなんだ。好きでこんな顔に生まれたわけじゃないのに。
リックがショックを受けている間もティナはどんどん売り捌いている。おそらく、もうすでに目標売り上げは突破したに違いない。
そして日が沈む頃になり、客足もまばらになった。それを機にリックは金庫を開け、今日の売り上げを確認した。
「えーっと。凄いな、最高記録だ」
「いくら? いくら?」
「三七〇二ギンだよ。頑張ったね」
リックはティナの頭にポンと手を置いた。
「えっへへー。褒められたー♪」
「じゃあ、今日はもう帰ろうか。疲れただろ?」
「えー。まだ開いてるお店あるよー? 伝説になれないよー?」
「大丈夫。ティナは十分伝説になったと思うから」
嘘ではない。あの男共によって後世まで語り継がれる事だろう。惜しむらくはそれが【ルハオ】の事では無く、ティナ個人の事だという事か。
「じゃあ、帰ろう――っと、忘れてた。どこかに素材を売ってる店が無いかな?」
『リック。それなら丁度ここの反対側にある店がそうだったぞ』
「ありがとう。じゃあそこに寄ってから帰ろう。レアな素材があるかも知れないし」
一行は大鎔鉱炉の裏側にある素材屋に向かった。
「いらっしゃい」
素材屋の主人は若い女性だった。なんというか、とても綺麗だ。ティナとは違う美貌を持っている。
と、そんな事を考えているとティナが怒るかも知れないので考えるのを止めたリックは、本題を切り出した。
「あの、珍しい素材って無いですか? ここらで手に入らない物とか」
「そうさね。これなんかどうだい?」
女性が取り出したのはキラキラと銀色に輝く毛皮だった。
「シルバータイガーの毛皮さ。鎧でも手甲でも服でも、どんな防具でもオーケーな最高の素材だけど――どうだい?」
「シルバータイガー……。体内でミスリルを作るっていうあの?」
「そうだね。ミスリルはさっき売れちまったけど、この毛皮なら後五枚残ってる。他にはドラシルの茎とマンドレイクの粉末とかしか残ってないね」
「それ全部でいくらです?」
「一二〇〇ギン」
「九〇〇でお願いできませんか?」
「無理だね」
「じゃあ一〇〇〇で」
「……無理だ」
「それじゃあレインボーベリーを三粒あげますから」
「レインボーベリーだと? そんなレア物持ってるなら先に言えよな――わかった。一〇〇〇ギンで売ってやる」
「ありがとうございます」
リックはレインボーベリーと一〇〇〇ギンを女性に渡し、シルバータイガーの毛皮とドラシルの茎、マンドレイクの粉末を受け取った。
「まいどあり」
女性にぺこりと頭を下げ、リック達は宿屋に向かって歩き出した。
「ミスリルか。欲しかったな」
「ミスリルなんかよりティナの方が輝いてないかなー?」
「……そうだね」
ミスリルに思いを寄せつつ、この日の商売は終わったのだった。
▽△
次の日も、その次の日も順調に売り上げを伸ばした二人は、フェルムの街を後にした。ティナがキスをねだったり、ティナが嫉妬したりで大変だったが、終わってみるとかなりの黒字だったので言う事は――次の街で売る予定だった道具を勝手にティナが売り払った事以外には無いリックだった。
そして、一行は次の街に向けて歩き出した。
・総売上金額――八九八〇ギン。約三〇〇〇ギンの黒字。
・入手素材――鉄、シルバータイガーの毛皮、ドラシルの茎、マンドレイクの粉末。
・次の目的地――アルゲンタム王国。