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9 欲求





 朝、春田と同じ地下鉄に乗る。

 葉山が乗れない日は、俺に言われた通り彼女は友人と登校していた。


 少しだけ先回りをしたり、遅らせたりしてタイミングを見計らい、必ず春田と下駄箱で顔を合わせられるようにする。

 他に誰がいようが構わない。彼女の視界へ入り、そして決して自分から声をかけず目も合わせない。それだけを実行した。


「三島くん」

「……」

「あの、おはよう」

「……」

 自分の革靴をゆっくり下駄箱に入れ、扉を閉じ、そこでようやく春田に返事をする。

「おはよう」

 春田は挨拶の後、そのまま俺について来た。葉山のクラスの下駄箱は離れた場所にあり、教室へ行くルートも完全に逆だったのと、彼女と登校する友人も別クラスだった為、ほぼ毎朝こうして誰にも邪魔をされずに、二人で教室へ向かった。


「三島くん、今朝寒かったね」

 彼女は俺の歩幅に合わせ、廊下を小走りについてくる。

「ああ」

「思わずコート着てこようかと思っちゃった。まだ頑張って着なかったけど」

「……」

「よく、会うね」

 春田は俯き俺のマフラーに顔を埋め小声で言った。わざと聞こえない振りをし、聞き返す。

「なに」

「ううん。何でもない」

 毎朝お前に合わせてるんだから、会うに決まってんだろ。いい加減気付けよ。

 隣を歩く彼女を見ながら、心の中の呟きをその横顔へぶつけ、小さく笑った。


 冷たく突き放し何でもない素振りをしながら、教室でも常に彼女の視線や表情がこちらへ向くよう、気に留め過ごしていた。僅かな隙も見逃がす事は無しに注意深く。


 学校帰り、春田は自分の友達と帰らない日や、同じ様に俺が友人と一緒ではなく一人の時は、必ずと言っていいほど俺の傍へ駆け寄って来た。とはいえ、俺も春田も一人の時が大半で、週の半分はこうして二人で帰っている。それだけは席替えの後からずっと変わらず続いていた。


「三島くん、また今度数学教えて欲しい所があるんだけど、いい?」

 大きく見える鞄を肩に掛け、彼女は俺の隣で一緒に坂道を降りている。

「春田」

「?」

「俺の携番、知りたい?」

 振り向いた春田は目を輝かせた。その瞳の奥には、ねだるような甘えが見え隠れし、途端彼女を支配したくなる衝動に駆られる。

「うん! 知りたい」

「ああ、でも葉山に聞けばいいんだよな、わかんないとこ。別に俺じゃなくてもいいか」

「……」

 春田は表情を曇らせ顔を伏せた。その仕草に胸が躍る。

「でも三島くんの……知りたいな」

「必要ないだろ」

「そんなことないよ。三島くんじゃなきゃわかんないとこ、きっといっぱいあるし」

「ふうん」

「……」

「……で?」

「私、三島くんと話してみたい。メールとかでも」

「どうしても?」

 いつの間にか笑みが浮かびそうになっている自分を抑え込み、自制する。

「……ダメ?」

 上目遣いでこちらを見つめる春田の黒目と甘い声が、益々俺を調子付かせた。

 無理やりその視線を拒んだ後、前を向いて口を噤み、何事も無かったかの様に歩き出す。隣の彼女から落胆した気配を感じ取り、そこでようやく満たされた。


「出せよ。携帯」

「え」

「知りたいんだろ?」

 ポケットからストラップを掴み引っ張り出し、自分の携帯を春田の鼻先へぶら下げた。

「あ、」

 物欲しそうな声を出す彼女から、取り上げる様に自分の手のひらへ携帯を戻し、命令する。

「五秒以内」

「ま、待って」

 立ち止まった俺の横で、春田はあたふたと自分の鞄から携帯を取り出す。携番とアドレスを交換すると、嬉しそうに液晶を見つめ、その場で彼女は俺に電話を掛け、俺の言葉に反応し、無邪気に笑い、喜んだ。

 そのひとつひとつの動作が全て、彼女の目の前にいる自分によって与えられたものだと理解する度に、言いようの無い悦びが湧き上がり、陶酔感に襲われた俺は、感づかれないよう静かに息を吸い込み……吐き出した。


 誰といる時に着信を鳴らしてやろうか。どんな文字を送ってやろうか。

 それは飽きることなく卑しい心の中へと容易に描かれ、楽しみをひとつ、ふたつと増やしてくれた。


 この苦しみから逃れる術に縋りつく為に。





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