第一話
あまりにも頭が痛くて私は目をさました。白い天井が見えた。見慣れない天井。
「ここは・・・・どこ・・・?」
「ぉ、目覚ました?」
私は起きあがって声がした方向に顔を向けた。若い女性が床に座っていた。さっきまで本を読んでいたのか、しおりを本に挟み、テーブルに本を置いた。ウェーブのかかった髪。少々きつそうな印象を与える顔だが、目は優しそうだった。どうやら私はベッドに寝かされていたらしい。見覚えのない人。部屋の中を見回してみた。やはり見覚えのない部屋。
「あなたは・・・だれ・・・?」
「ああ、ごめんね。私は一宮沙希。で、ここは私の部屋。あんたが道ばたで倒れてたから家まで運んだの。そのまま寝かせておくわけにもいかないし。本当は警察とか救急車とか呼ぶべきなんだろうけど、丁度携帯の電池がきれちゃってて連絡できなかったのよね。で、あんたの名前は?」
「あ、すいません・・・私は・・・・」
名乗ろうとして私はそこで固まってしまった。なぜか自分の名前が出てこない。どうしちゃったんだろう・・・
「どうしたのよ?」
「あの・・・あれ・・・?えっと・・・あれ・・・?わからない・・・自分の名前・・・」
「え?もしかして、記憶喪失ってやつ?こんな所で寝かせておく場合じゃないじゃない。早く警察と病院いかないと」
そういうと沙希さんは外出をする準備を始めた。警察・・・・病院・・・・そっか・・・私記憶喪失になっちゃったんだもんね。なんかイヤだな・・・怖いし・・・それに、なんだかよくわからないけど行ってはいけないような気がする。なんでだろう・・・?私、何か悪いことしたのかなあ・・・・?
「ほら、なにしてるの?行くわよ」
「・・・イヤです」
私は警察と病院に行くのを嫌がる理由がよくわからない動揺がありながらも、しかしキッパリと拒否をした。沙希さんが怪訝な面持ちで私を見た。
「はあ?何言ってるの?あんた、今自分が置かれている状況わかってるわけ?」
「わかっています。わかっていますけど・・・」
「・・・あのねえ、記憶喪失者の世話は医者と警察がすべき事なの。私はただのOL。医者でも警官でもなんでもないの」
「わかってます」
「なら来なさい。私がついていってあげるから」
「イヤです」
「全然わかってないじゃないの!」
沙希さんの優しそうな目がつり上がった。ものすごく迫力があってかなり怖い・・・
「ごめんなさい・・・でも、なんかイヤなんです・・・病院とか警察とか・・・行ってはいけないような気がするんです。よくわかりませんけど・・・」
「はぁ?なにそれ・・・?あんた、まさかヤバイことしたんじゃないでしょうね?」
「わかりません・・・」
「わかりませんって・・・あんたねえ・・・・!はぁ・・・・まあ、記憶がないんじゃしょうがないわね・・・・病院にもいかない、警察にも行かない、あんたは記憶が無くて自分が誰なのかもわからない。じゃあ、あんたこれからどうするわけ?」
そうだ・・・・自分の家がどこなのかもわからない。警察、病院にも行かないなら私はどうすることもできなくなってしまう。私はしばらく考え込んだ。その間沙希さんは何も言わず、じっと私を見据えていた。結局私の出した答えは・・・・
「あの・・・私をここにおいてもらえませんでしょうか・・・・?」
「はあ!?なんで私が・・・!」
「お願いします!」
「だって私はあんたと今日」
「お願いします!なんでもしますから!」
自分でもものすごくわけのわからない事を言っていると思う。道で倒れているところを助けて貰ったあげくに我が儘を言いたい放題いって、見知らぬ他人を家に住まわせてくれだなんて。しばらくの沈黙のあと、沙希さんは静かに口を開いた。
「わかったわ。あなたをここにおいてあげる」
「え?本当ですか!?」
「ええ。ただし、条件がある」
「条件・・・・ですか・・・?」
条件ってなんだろう・・・・勢いで「なんでもします」って言ってしまったけど、変なこととか要求されたらやだなぁ・・・例えばまあ・・・・ああいうこととか・・・・
「そう。炊事、洗濯、掃除。家事全般をやること。それでいいなら・・・」
「やります!やらせていただきます!あの・・・ありがとうございます!!」
私の変な妄想とは裏腹に、沙希さんの出してきた条件はとても簡単なものだった。沙希さんの目はいつの間にか元の優しそうな目に戻っていた。
「あの・・・もう一つお願いして良いですか?」
「ん?」
「私に、名前を付けてくれませんか?」
「え?名前?」
「はい。やっぱり、呼び名があった方が良いと思うんです」
「そうね〜・・・う〜ん・・・ポチ!」
「それって・・・たぶん犬の名前ですよね・・・?」
「むむ・・・・じゃあタマ!」
「それは猫だと思います・・・・」
しかも安直というかベタベタです。と、言おうと思ったがさすがにやめた。沙希さんは真剣に考えてくれているようだったからだ。単にネーミングセンスがないのだろう・・・沙希さんはう〜んう〜んとうなりながら考えている。時々「ハチ」やら「ピーチャン」などといった単語が聞こえた。それらは全部ペットの名前だと思います。という突っ込みはこれまた自粛しておいた。それからしばらく考えたあと「あっ!」という声をあげて沙希さんは私を見て言った。
「”いちわ”っていうのはどう?」
「いちわ・・・ですか・・・?」
「そう。イチリンソウの花言葉って知ってる?」
「いいえ・・・・」
「イチリンソウの花言葉は”追憶”。で、イチリンだと変だから、読み方を変えて”いちわ”。記憶を失ったあんたにはピッタリでしょ?どう?」
「いちわ・・・・・はい。ステキな名前だと思います!」
居候も条件付きだけど了承してくれて、私に名前まで付けてくれた。沙希さんは一見きついような印象だけど、とても良い人みたいだ。
こうして私と沙希さんの、二人での生活が始まった。