声の導く先へ(1)
どうしてあの娘が聖職者を?
どうしてあの娘が神聖魔法を?
どうしてあの娘が司祭様の跡目を?
どうしてあの娘が?
どうしてあの娘が?
人からの評価を恐れ、気にしたのはほんの始めの頃だけだった。
聖なる力を手に入れながら、聖なる存在をどこか信用しないエルフェリスに、村外の巡礼者たちの目は厳しかった。
聖なる者に異端は赦されない。
神に仕える者はこうあるべきだという価値観を押し付けられ、教会本部に通告されたことも一度や二度ではなかった。
けれど今さら誰に何と言われようと、自分は自分。自分を失うことの方が、よっぽど辛い。
『お尻突き出してるからさぁ、僕てっきり……』
脳内に響き渡る無邪気な声の主がハハハと笑う度に、右手に嵌められた銀の指輪の輝石が揺れるのを、エルフェリスは若干の苛立ちをもって見つめていた。
『ヴィーダに行ったはずなのに周りに誰も居ないし、でもお尻突き出してるし、放置プレイの真っ最中かって勘違いしちゃったよー』
ごめんごめんとカラカラ笑う声をよそに、エルフェリスのこめかみには見る見るうちに青筋が稲妻のごとく浮かび上がり、握り締めた拳はいよいよ震えが止まらなくなっていた。
もし当の本人が目の前にいたら、容赦なく一発お見舞いしているところだ。
けれど声の主は今幸運にも、エルフェリスからずっとずっと遠いところにいるため、実際に鉄拳制裁を加えるのはしばらく先のことになるわけで、それが余計に腹立たしさに拍車を掛けた。
『レイ、それ……セクハラ……』
『え? そうなのー?』
精一杯の平常心を総動員させて短くそう警告してみれば、実にあっけらかんとした笑い声と、その向こうで何やら喚き散らすもう一つの声が混じって消えていった。
声の主、言わずもがなレイフィールもまた通信用の指輪を経て、エルフェリスに語り掛けているのだった。
指輪の魔力を思いのままに使いこなすことができるようになれば、通信相手の様子も可視化することが可能になるとかならないとか。
『シードでもそれができるようになるまでは百年くらい掛かるけどねー。長生きしないとだねー』
そしてまたキャッキャと笑う小悪魔に、エルフェリスの苛立ちは最高潮に手が届くところにまで上り詰めていた。
先ほどの発言と言い、今の発言と言い……このクソガキ。
少し期待した自分が馬鹿だった。
このセリフを聞いた瞬間に強制的に通信を遮断してしまいそうになったが、それもレイフィールからすればすべて“見えている”のだろうか。
それすらもおちょくられているようで悔しい。
『ごめんごめん。真面目に話があるんだ。怒らないで?』
そう言った時にはもう、いつものキラキラモード全開のレイフィールが目に浮かぶようだった。
なんだか癪なような気もしたが、しかしいつまでもこんなやり取りを繰り返している暇などないことを思い出すと、エルフェリスはすくっと立ち上がり、少し離れた所で刃を交えるロイズハルトたちに視線を戻した。
太陽はまだ低く、シードたちの動きも悪くない。
今のところ大きな変化は見られないことを確認して、再び意識をレイフィールへと戻した。
『話なら手短にして! 馬鹿なこと言い合ってる場合じゃないの、デストロイの援軍が迫ってる!』
『うん、迫ってるね』
捲し立てるように早口でそう言うエルフェリスの状況を、レイフィールはすでに把握しているようだった。
実にあっさりとした返答とともに返ってきた言葉は、デストロイの率いる軍勢が想像よりも遥かに大軍であるという情報だったのだ。しかも、思った通り向こうは馬を使っているというおまけ付き。
思い描いた最悪のシナリオがいよいよ現実味を帯びてきたのを思い知らされた気がして、エルフェリスは人知れず天を仰いだ。
けれどこんな状況であるというのに頭に響くレイフィールの声は至極冷静である。
『絶望するのは早いよ、エル。勝負はここからさ。ところでロイズたちは? この指輪さぁ、便利なんだけど一度に一人にしか対応できないんだよね。エルとの通信切らないと離れたとこにいるロイズたちの姿は見れないしさー』
などと、多少の不満を交えながらも笑っている。
声でしか相手の様子を図れないエルフェリスには、到底理解できない不満ではあったが。
『二人なら今ハンターと戦ってる』
レイフィールの抱える愚痴の部分は適当に聞き流して、簡潔にロイズハルトたちの状況を伝えれば、指輪の向こうの声は意外にも驚きを隠せなかったのか、小さく言葉を発した後しばらく押し黙ってしまった。
『レイ?』
どうしたものかと名を呼んでみれば、レイフィールははっとしたように返事をしたかと思うと、少し慌てた様子で「ごめんごめん」と呟いた。
そして改めて彼からの質問を受ける。
『ロイズたちは戦ってるの? 今? どこで?』
『どこでって……ヴィーダの外れ……かなぁ』
『もう太陽出てるよね? 建物の中じゃないよね? 壊れてるもんね? もしかして……奥の手使っちゃった?』
『奥の手っていうか……うん』
『あっちゃー……何でこんなとこで使っちゃうかなぁ』
エルフェリスの回答の一つ一つなど待てないといった感じで矢継ぎ早に質問を投げかけるレイフィールであったが、エルフェリスの返答を聞くや否や、姿が見えなくても頭を抱える様子が手に取るようにわかるほどに盛大な溜め息を吐いた。
『ごめん。何度も撤退のチャンスはあったんだけど……ハンターの挑発がひどくて……説得できなくて……私のせいだ』
やはり光のもとで行動できるというヴァンパイアの存在をハンターたちに知らせてはならなかったのだ。
エルフェリスは自分の力量の無さを改めて悔いた。
ヴァンパイアは闇に属する者。その概念を根底から覆す手段があるということを、彼らは何があっても隠し通さねばならなかったはずなのに。
今は瞳の色を変化させ、ハイブリッドを装ってはいるけれど、身動きの取れなくなったエルフェリスを連れ出しに来てくれた二人。ハンターたちに囲まれることも厭わず、エルフェリスを居城へ連れ帰ってくれると約束してくれた二人。
自分さえいなければ……こんなことにはならなかったのに……。
『それは違うよ、エル』
「え?」
固く握り締めた両手をふんわり優しく包み込むかのようなレイフィールの声に、エルフェリスは人知れず声を漏らしていた。
『違うよ、エルのせいじゃない。撤退できるチャンスはあったんでしょ? それを見す見す見逃して挑発に乗ったのだとしたら、それはロイズとルイが悪いよ。まったくどうしようもないんだから』
『でも……』
『関係ない。それに隠したとしたってあの手段を使える者は僕たちシードしかいないんだ。人間たちの脅威にはならないよ』
そう言って陽気に笑うレイフィールではあったけれど、エルフェリスにはそうは思えなかった。
なぜなら他の……エルフェリスとゲイル司祭を除く他の人間たちは誰も、シードの生き残りが四人しか居ないということなど知らないのだから。
大幅に数を減らしたという曖昧な噂が蔓延っているだけで、誰もが皆、夜が来る度神出鬼没なヴァンパイアの影に今も脅えている。
その脅威が昼日中にまで及ぶかもしれないと人々が知ったら、盟約などという存在は地の果てへと葬り去られ、ヴァンパイア討伐への声は日に日に大きくなるだろう。そうなってしまってはもう、エルフェリスやゲイル司祭の力ではどうすることもできなくなる。
特に、教会本部は表向きは慈善団体そのものだが、実際は古の概念に囚われたままの閉鎖的な連中ばかりで保守的、しかも強硬ときている。
それにこれは公表されているわけではないが、ハンターの中には教会本部に雇われた者もいるとかいないとかなどという話も出回るくらいだ。
ハンターたちのヴァンパイア狩りを教会本部が黙認・支援しているのだとしたら、シードが見せたこの能力は大々的にヴァンパイアを牽制したい人間にとってはまたと無い交渉カードとなる。共存の盟約をもってしても不利な立場に追い込まれていたエルフェリスたち人間にとっては……。
『とにかく、アホな大人たちを説得しなきゃダメっぽいね。余り時間も無いようだし……』
『でもどうすれば?』
エルフェリスの疑問にレイフィールはしばし思案を巡らせているようだったが、何か妙案を思い付いたのか、ふいに小さく声を上げた。
『僕に考えがある。ロイズたちを説得するのは僕に任せてくれるかな? エルとの通信はできなくなるけど、ここから先はデューンがエルを導いてくれると思うから』
『それは……構わないけど、でもどうするの?』
『どうもしなくて良いよ、エルはとりあえず今すぐ撤退してくれるだけで良いんだ。デューンの言う通りに動いてくれれば、きっとデマンドの待つ暗道まで安全に辿り着けるはずだから』
『でもそれじゃ二人が……!』
『だーいじょーぶ。僕に任せて! じゃーねー』
『えっ、ちょっと……!』
制止の声を上げるまでもなく通信を切られてしまったエルフェリスはどうしたものかと途方に暮れて、無意識にロイズハルトの姿を追っていた。
光を背負い、空を舞うヴァンパイアたち。
彼らを置いて、レイフィールは撤退しろと、そう言った。けれど……。
『エールーーっ! 無事かぁあぁぁっ』
感傷に浸る間もなく、脳内はデューンヴァイスの叫び声に支配された。