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† 残 †   作者: 月海
第五夜 存在理由
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カウントダウン(3)


 朝の訪れを喜ぶ小鳥たちのさえずりが響く中を、ぱたぱたと足音を立てて先を急ぐ。


 いまだかつて、こんなにも複雑な思いを抱いて朝を迎えた事ことがあっただろうか。こんなにも朝が来なければ良いと思ったことはあっただろうか……。


 しかし無情にも、夜明けは等しくやって来る。


 誰にも止められない。


 だからその一閃が空を駆け抜けていった瞬間、エルフェリスは思わず足を止め、両手で己の目を固く塞いだ。


 顔を逸らし、息を整え、起こり得る最悪のシナリオを想像する。


 この手を退けて、目を開けなければならないのに、覚悟はできていたはずなのに、身体が震えた。


 けれどそれはすぐにただの杞憂に過ぎなかったのだと思い知らされる。


 はっと意識を切り裂くような争いの声がエルフェリスの耳に届いたからであった。


 何かに呼び覚まされるように目を開けると、そこには真っ赤に燃える太陽を背に戦う男たちの姿。


 そこにはもちろん、ロイズハルトやルイの姿もある。


「――っ」


 張り裂けそうになるこの感情を、どう表現したら良いのだろう。


 光の中で生きる術を見つけたと言う彼らの言葉に偽りなど無かった。


 この瞬間を、どう表現したら良いのだろう。


 上手く息ができない。


 それと同時に、夢中で走り回っていたせいか、今頃になって急に両足が重く感じられた。


 けれど、二人の元へと向かう足は止まらない。少しでも早く、少しでも近く。彼らの傍へとはやる心がエルフェリスの身体を動かしていた。


 その視界の中で、ロイズハルトが、ルイが、そしてカイルが戦っている。


 それはエルフェリスにとって、何とも言い難い現実だった。


 自分の大切な人たちが、こちらもまた別の意味で大切な人と戦っている。


 どうしてこのような光景を目の当たりにしなければならないのかと漠然と思った。


 けれどそんな中、駆け寄るエルフェリスの姿を認めたロイズハルトがふっと微笑むところを、エルフェリスは見逃さなかった。それはまるで電撃のようにエルフェリスの身体の中を突き抜けていく。


 それだけで、エルフェリスはまだ前へ進める気がした。


 どのような光景を見せ付けられようとも、まだ頑張れると。


 自分の単純さにはほとほと呆れてしまうが、先ほどまでの淀んだ気持ちが吹っ切れたような感覚に、それもまた悪くないと、そう思った。


 何とかなる気がする。


 そう思えば、エルフェリスも自然と笑みを浮かべていた。


 後は一刻も早くこの地を離れるのみ。


 けれどその最大の障壁たるカイルはなおも衰えることのない剣さばきを見せ付けていた。


 ヴァンパイアを前にしたカイルには、エルフェリスの声など届かない。そしてエルフェリスには、彼と対等に立ち回る力もその身には備わっていない。


 ロイズハルトとルイに期待するしかないのは歯痒いが、自分にできることもきっとあるはずだと自身に言い聞かせながら、エルフェリスは戦況を見守ることにした。


 ロイズハルトとカイル、ルイと数人のハンターがそれぞれ相対している中を、太陽が昇っていく。


 それに比例するかのように、ロイズハルトとルイの動きに陰りが見えるようになったのはどれくらい経った頃だっただろうか。


 時おり眩しそうに空を見上げては、容赦なく照り付けるあの光の塊を睨み付けている。


 優勢から、明らかな劣勢へと変わり始めていた。


 いくら光の中で動ける術を見つけたとはいえ、このままの状態ではいずれ二人とも身動きが取れなくなるのではないだろうかとエルフェリスは危惧する。それもかなり早い段階で……。


 それに、その時を待たずして、エルフェリスが先ほど大地に縛り付けてきた複数のハンターたちも戒めから解き放たれるだろう。


 そうなってしまっては、デストロイの到着前にこちらが壊滅してしまう。


 もう止めてと何度声に出そうと思ったか。


 でもそれを遮るのはいつだってロイズハルトの存在。ロイズハルトの言葉。


「心配するな、エル。必ず城に連れ帰ってみせる」


 カイルの一瞬の隙をついてエルフェリスの元にやって来たロイズハルトが、風のようにそう囁いて再び大地を蹴った。


 刹那、喉の奥が焼けるように熱くなって、エルフェリスは込み上げるものを押し籠める為に何度も荒く息を吐いた。


 一人では何もできない。この場所から逃れることさえもできない自分の弱さを恨めしくも思った。


 けれど。


 エルフェリスを連れて帰ると言うロイズハルトの言葉が、心の中でずっと繰り返し繰り返し響き続けていた。


 だから自分にはこの戦いを止めることができないのだ。


 私は今、籠の中の鳥。


 扉の開かれる時をじっと待ち続けている鳥。


 だが鳥はいつか翼を広げ、空へ羽ばたくもの。活路は必ず、どこかに存在するはずであった。



***



「暇だねぇ……デューン」

「暇だなぁ……レイ」

「僕たちいつからこうしてるっけ?」

「……さぁ?」


 しんと静まり返った居城の中、誰も居ないロビーのソファにだらしなく沈む二つの影があった。


 思い思いの場所に腰掛けて、時おり言葉を交わしては長い沈黙を貫く。


 先ほどからそのようなことを何度も繰り返していた。


「俺たち今まで……どんな風に生きてきたんだろうなぁ……」


 この世に生まれ落ちてからというもの、気の遠くなるような年月を何の躊躇いも疑問も持たないまま生きてきたはずなのに、まさかここまで空虚な一日を過ごす時が来ようとは夢にも思わなかった。


 戦いに明け暮れた日々も、ごくたまに訪れる平穏な日々も、こんな空っぽの心を抱えて過ごしたことなど一度も無かったように思う。


 そんな自分たちを取り巻く環境がガラリと変化を見せたのはそう、たった数か月前のことだ。


 一人の少女の存在が、久しく変化の無かった自分たちの日常をことごとく変えることになろうとは、正直誰一人として想像すらしていなかったはずだ。


「エルのやつ、ヴィーダで無事にやってんのかなぁ」


 抱え込んだ片膝の上に顎を乗せ、デューンヴァイスは心の奥底に溜まった憂鬱の溜め息を深く長く吐き出した。


 ヴィーダ襲撃の一報があってからまだ数日しか経過していないというのに、もう随分と昔のことのように思えるのはなぜだろうか。


 あの娘の姿が見えないだけで、あの娘の声が聞こえないだけで、こんなにも心にぽっかりと穴が空いてしまうとは思わなかった。


 寄り添う女などいなくても何とも思わなかった自分が、よりにもよって人間の娘などにここまで心を奪われるとは。


 他でもない自分自身が一番驚いている。


 始めは興味本位で近付いただけだったのに……。泣いたり、笑ったり、勇ましかったり、脆かったり……。


「ふふ……」


 ほんの少し思い出すだけでも自然と笑みが零れてしまうのだから、相当重症だ。


「何笑ってんのデューン。キモイよ」


 横目で、さも怪しげな視線を投げかけてくるレイフィールの嫌味など、今夜のデューンヴァイスには少しも堪えなかった。


 ただ。あの娘に会いたいだけなのだと、そう思った。


「せめてヴィーダの状況が分かれば良いんだけどなぁ……」


 エルフェリスが戦場と化した瓦礫だらけの町で無事でいることが分かれば、少しは安心できるというものを。そんな心が言葉となって零れ落ちていく。


 あーあ、と力無く横を見やれば、きょとんとした眼差しで自分を見つめているレイフィールと目が合った。


「……何だよ、その目」


 レイフィールの本心が掴めなくて少々口を尖らせてそう言えば、彼はなおも不思議そうに首を傾げている。


 チッ。


 デューンヴァイスが心の中で舌打ちしたのと同時に、レイフィールは少しだけ肩をすぼめた。


「それはこっちのセリフだよ、デューン。エルのことが心配なら、あのリング使えば良いじゃん」

「リング?」

「通信用のリングあるでしょ? あれ、この前ルイがエル用に作らせてるとこ見たんだよねー。もう持ってるんじゃないかな?」

「は?」


 通信用のリング。


 リング……。


 気付けば、「何だそれっ」と叫んでいた。


 さすがルイと言うべきか何と言うべきか、女へのプレゼントとなると……仕事が早い。


「くっそールイめ! よりにもよって指輪を贈るとは! 俺の役目だったのにぃぃぃッ」


 女に指輪を贈る。


 それがどういう意味を持っているかくらいは、いくら女たらしと悪名高いルイでも分かっているはずだ。


 それとも手当たり次第に愛を囁きまくってきたせいで、そんな感覚も無くしてしまったのだろうか。


 兎にも角にも「くーやーしーいーっ」の一言に尽きる。


 ルイにとっては深い意味など無かったとしても、相手が自分の好きな女だと思えば痛恨の一撃だ。一生の不覚だ。


 頭を抱えて苦悶するデューンヴァイスの姿はごく自然といえるだろう。


 それなのにそれを見つめるレイフィールの表情といったらそれはそれは冷めきっていた。


 ガーだのグオーだの奇声を発しているデューンヴァイスにさっさと見切りを付けたのか、レイフィールは無言で懐に手を伸ばすと、そこに忍ばせておいたリングを取り出した。銀の輪の中心で、淡い水色の石がきらりと輝いている。


 けれどそれをわざわざ確認するわけでもなく、レイフィールは目の前で無様にのた打ち回る大男に心底呆れた眼差しを向けると、手にしたリングをこれまた事務的に嵌めた。


 そしてすべての物音を断ち切るかのように意識を集中させる。


 ゆっくりと閉ざされていく瞳の向こうに、一人の少女を思い浮かべながら。


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