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† 残 †   作者: 月海
第五夜 存在理由
94/145

月と太陽の狭間で(4)


 しかし。それなのに。


 カイルはまるで他人事のように不敵に笑っていた。


 鋭く冷めた瞳のままで。


 美しく弧を描く唇からはくすくすと声が漏れ始め、やがてそれはしんと静まり返った冷たい空気を震わせながら長い余韻を残して消えていく。


 刹那、再び訪れる静寂。


 しかしそれを切り裂いたのはやはり、何かを振り払うかのように両手で顔を隠し、首を左右に振りながら笑うカイルの声だった。


「……退いたりするものか……。まだ負けと決まったわけじゃない……。それに……」


 そこで一旦言葉を切ったカイルはゆっくりと、実にゆっくりと空を仰ぎ見ると、息を呑むほどの美しい顔で笑った。


「ほら、もうすぐ夜明けだ。ヴァンプの身で果たして耐えられるのかな? ……形勢逆転だ」


 虚ろな色を浮かべる瞳。身震いするほどの凄み。


 彼の放った言葉の意味を瞬時に理解したエルフェリスに圧し掛かるのは、決してこの場の重苦しい空気ばかりではなかった。


 夜明け。


 姿を隠す星々。紫色の空。駆け抜ける光。


 夜明け。


 そしてその後に姿を現すのは……。


 カイルたちに気を取られ過ぎて、時間の経過の確認を疎かにしてしまった自分の愚かさを心底呪った。


 戦況を見守っていただけの自分がそれを忘れてどうする!


 自分のせいで彼らが灰と化してしまうかもしれないと慌てて頭上を見上げれば、闇に包まれた世界を横切るように微かな光がその触手を伸ばそうとしているところだった。


 今すぐ撤退を始めれば、あるいは間に合うかもしれないが、それにしてもぎりぎりであるとエルフェリスには思えた。


 彼らの纏う黒のマントがどれだけの日差しを遮ってくれるのか、それにも寄るが兎にも角にもここは迷わず撤退すべきだと前に立つルイに目をやれば、彼はまたもや己の髪を弄びながら小さく笑っていた。


「ル……!」


 彼の名を呼ぼうと口を開きかけたところでそれは制さる。


 ルイはエルフェリスに目配せをしながらその綺麗な手をかざし、そしてもう一方の人差し指を唇に当て「しっ」とジェスチャーすると、優雅な物腰を崩すことなくハンターたちに視線を移した。


 そして風に舞う花びらのように一歩、また一歩とハンターたちに歩みを寄せる。


「それがどうしたと? 残念ですが、太陽が苦手、というのは紛れもない事実です。でも、我々とてただ光が怖いと怯えながら生きてきたわけではありません。遥か昔、人間と我々ヴァンパイアは"昼夜"を問わず争いにふけた時代がありましたね。あなたもハンターの端くれならご存知でしょう?」


 月か、はたまた太陽かと見紛う色の毛束をクルクルと指先に巻き付けるルイを、じっとカイルが見つめていた。


 だが、ルイの言葉にカイルがはっと目を見開く。


「どういうことだか、……お分かりですね?」


 それを見逃さなかったルイは、満足気に目を細めた。


 鼓動が早まるのを感じた。


 彼の言葉に何かを感じ取ったのは、カイルだけじゃない。エルフェリスも同じ。


 けれどもそれは余りに常軌を逸し過ぎていて、思考が思考を否定する。


 それなのに、目の前に立つ美貌の男はひどく魅惑的に微笑んで、決定的な一言をまるで愛を囁くかのように言ってみせた。


「私たちは、光の中でも生きる術を見つけたのですよ」


 時が凍りつき、人間たちは恐慌の中に突き落とされる。


 微笑むルイ。


 目の前が、真っ白に染まった。


 この身に吹きつける風よりも冷たく、どこかで遠吠える獣の嘶き《いななき》よりも高らかに、ルイの言葉は残酷なまでに辺りに響き渡った。


 少なからず、エルフェリスたち人間が知り得るはずもない事実が、エルフェリスたち人間を混乱させる。


 ルイの放った言葉の意味をすぐさま理解できないハンターたちの動揺の波が、エルフェリスの元にも到達するまでさほど時間は掛らなかった。


 光の中で、生きる術……?


 たった一言が、すべての思考回路を破壊する。


 けれどもその中でただ一人、カイルだけは己を失わずにいた。


「苦し紛れの言い訳がそれだと? 笑わせないでほしいな」

「おや? どうして言い訳だと言い切れるのでしょう。夜が明ければ分かることですよ」


 カイルの物言いが癇に障ったのか、いっそう笑みを深めたルイが間髪入れずにそう答える。そして更に、「その目で確かめてごらんなさい」などと挑発のセリフまで投げ付けた。


 あわよくばこのまま撤退してしまおうと思っていたところなのに、余計にハンターたちを挑発するルイに対してエルフェリスは批難の眼差しを向ける。


 しかし彼の隣に立つロイズハルトもまたゆっくりと腕を組むと、「そうだな、我らの言葉に偽りなど無いことを一度証明したいと思っていたところだ」などと、引き止めるどころか彼に同調するように頷いているではないか。


 こんな時に私情を挟んでいる場合じゃないのは彼らとて良く解っているのだろうけれど、二人とも妙なところで我を忘れるというか、ムキになるというか……。


 エルフェリスは一人げんなりして項垂れた。


 けれどどんな事情があろうと、とにかくこの場は何とか思い止まってもらわないと困る。そう思いながら、微かに違和感の残る足を引きずって、少し前方でカイルと対峙しているロイズハルトとルイの背後に歩みを寄せた。


 自分たちはいつまでもこのヴィーダに留まるべきではない。


 この夜が明ければ、あの男が戻って来る。デストロイという無慈悲なハンターが。


 その目に捕えられたら最後。どんなヴァンパイアも物言わぬ灰と化す。


 人間の間ではそんな風に彼を形容しているだけに、この状態でロイズハルトたちをデストロイと鉢合わせたくはなかった。


 たとえ彼らの言う通り、夜明けをやり過ごすことができたとしても、その先に待つのは再びの危機。


 最悪の結末は、見たくない。


「ダメだよ、二人とも! 落ち着いて! 夜が明けたら増援が来るんだよ。二人とも死んじゃうよ」


 カイルたちには届かない程度の声。それでも前に立つ二人のヴァンパイアには十分聞こえているはずだった。


 けれど、二人は振り返らない。


 エルフェリスの声に答えてはくれない。


 風が、そんなエルフェリスをあざ笑うかのごとく吹き抜けていく。


 不快な熱を伴って……。


「もう諦めなよ、エル。君は帰ることになるんだ、どの道ね」


 不穏にざわめくエルフェリスの心にひびを入れるようなカイルの声にさえ、ヴァンパイアたちは満足な反応を示さない。


 二つの大きな背中は、ぴくりとも動かない。


 カイルの言葉が突き刺さる。開いた口からそれ以上、言葉を紡ぎ出すことができなかった。


 できなかった……けれど。


「悪いがエルは帰さない。我々が連れて帰る」


 この場にいるすべての者に宣言するかのように、凛としたロイズハルトの声が夜空に木霊して消えていった。


「……ッ!」


 その瞬間に込み上げて来る感情を抑えきれなくて、エルフェリスは急に息苦しさを覚えた。


 胸が苦しくて、胸が痛い。苦しくて、息ができない。


 無意識に胸元に添えられた己の手を、爪が食い込むほどに握り締めていた。


 ロイズハルトの一言が、こんなにも重い。


 ロイズハルトの一言が、こんなにも自分の心を抉るだなんて。


 ――失いたくないと思った。


 心の底からこの男性ひとを失いたくないと。


 この場から今すぐにでも離れられる魔法があるのなら、どんな犠牲を払うことになろうとエルフェリスは躊躇うことなく使っていただろう。


 けれどそんな都合の良いものなど存在しなくて、容易にこの場を逃れられない現状にエルフェリスの胸は締め付けられる一方だった。


 どんなに危険を訴えても、彼はあえて棘の道を行こうとしている。自らの誇りと、自らの仲間の名誉の為に……。


「……」


 エルフェリスは一人、言葉を噤んだ。


 争いは好きじゃない。


 けれど、自分の思い通りに事が運ぶなんて、この世の中では本当に稀だ。


 目を瞑らなければならないことも、耐えなければならないことも、理不尽に立ち向かうことも、時には必要なのかもしれない。


 四の五の言っている場合ではないのだ。離脱するか、戦うか、二つに一つしか道はない。


 それにこのヴィーダ、いや、ヴァンパイアの居城に居座ることを決めた時からずっと覚悟は決めていた。


 いつ死しても後悔はしないと……。


 そこに一つだけ、新たな覚悟を加えよう。不本意な形でロイズハルトと別れることだけはしないように生きよう、と。


 瞳を上げ、唇をギュッと噛み締めた。


 そう思うことで、エルフェリスは自分を納得させることにした。


 すぐにでも片を付けてしまえばエルフェリスの不安は掻き消されるだろう。少なくとも今よりは。そう、そうなるように自分は自分のやり方で戦えばいい。


 争いは好きじゃない。


 それがたとえヴァンパイアとハンターによるものだとしても。


 ロイズハルトもルイも、そしてカイルも……。


 どいつもこいつも揃いに揃って融通の利かない人ばかり。


 一度火が付いたら最後。もうエルフェリスには止められない。


 そう思ったら一人、エルフェリスはいつの間にか頷いていた。


 心は決まった。


 それと同時に戦いの火ぶたは再び落とされる。


「とにかく、エルは僕がもらっていく。ハイブリッド如きが調子に乗るなよ!」


 勝負の付く前から勝ち誇ったように笑うカイル。


「いい加減、鬱陶しくなってきました。あの男は私が手を下しても良いでしょう? ロイズ」


 その言葉の端々に散りばめられた苛立ちを、まるで感じさせないほどに美しく微笑むルイ。


そして。


「好きにすればいい。それよりもエルがそろそろ泣きそうだ。さっさと片を付けてしまおう」


 いつもとは違う緑の瞳でにやりと笑うロイズハルト。


 自分はこの三人が下した選択の結末を、見届けなくてはならない。



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