赤い瞳の侵入者(2)
――六年前を覚えているか。
彼はそう言った。
「……六年……前?」
「そう、六年前」
「六年前……」
複雑に絡まりあった記憶を、カイルの提示に従って一つずつゆっくりと解きほぐしていく。
十年ほど前にエリーゼがいなくなってからというもの、エルフェリスの生活はあまりにも変わりすぎてしまって、日々を生き抜いていくだけで精一杯だった。
だからと言うわけではないが、エルフェリスの記憶は色々なところであちこちこんがらがっていたりする。
そこから引き出す為の数少ない手掛かりといえば、カイルに関するものと限定されるところではあるが、彼との繋がりは余りにも膨大すぎて、ますます困難を極めるかと思われた。
しかしそんな矢先。
ぽつっと一つの記憶が主張を始めたのだった。
「……あっ……」
「思い出してくれた?」
思わず小さく声を上げたエルフェリスに、カイルが素早く反応する。
そして零れんばかりの笑顔でにっこり微笑む彼とは逆に、エルフェリスの脳内からはさっと血の気の引いていく感じがした。
「いや……あれは……っ! 若気の至りっていうか……その……何で覚えてんのッ」
冷めて行く身体と、かっと火照り出す頬。
目まぐるしく変わる己の状態に、エルフェリスは順応することができなかった。
半ばパニックになりながらも、なんとかしどろもどろにそう捲し立てれば、カイルは満足そうに微笑んだまま、「忘れたことなんかないよ」ととどめを刺してきた。
もうダメだ。
エルフェリスの心はその一言で完全に平静を失った。
「ホントにあの時はどうかしてて……えっと……えっと……今は全然カイルのことなんとも思ってないし! いや、嫌いじゃないんだけど! えっと……えっと……」
もう自分でも何が何だか分からなくなって、目眩すら感じる。そんなエルフェリスの様子に、カイルも思わず苦笑いを零した。
「エル。それ、地味に傷付く」
眉根に皺を寄せながらくすくす笑うカイルはそう言うと、片手でさっと髪を掻き上げた。
「ッ! ごめ……ッ」
はっとしてすぐさま謝るも、カイルは首を左右に振りながら苦笑するのみだった。
けれど。
「あの頃は僕も自分のことで精一杯で、エルの気持ちに応えることができなかった。……だからずっと心のどこかで……後悔してたんだ」
少しだけ目を伏せて、少しだけ苦しげにそう言うカイルの姿に、あの頃の淡い想い出が蘇る。
そうだった。
あの頃は……自分もカイルも、自分のことで必死な時期だった。エルフェリスは聖職者として、カイルはハンターとして互いに飛躍の時を迎えていて、一日があっという間に過ぎ去って行くような……そんな日々だった。
それなのに自分は随分と余裕があったものだと今さらながらに実感するものの、あの時のエルフェリスにとって、カイルの存在は想像もできないくらいに大きかった。
「カイル……」
胸が締め付けられる。
あの頃を思い出して……。
「ごめんエル。突然こんなこと言って。でも君も分かっただろう? ヴァンプは……こんな風にいつも人の世を荒らして行く奴らなんだよ。そんな奴らのところに……エルを帰したくはないんだ!」
収まらない爆発を睨み付けながら、エルフェリスの手を改めて握り締めたカイルの指先に強く力が籠ったのが伝わってくる。
眉間に皺を寄せて、それからエルフェリスに視線を戻す二つの瞳は儚く、けれども意思強く揺れていた。
「カイル……」
彼の言い分は、エルフェリスにも痛いほどに解る。自分のことを心配してくれていることも。ハイブリッドたちがエルフェリスたちの大切なものを容赦なく奪っていくことも。
何もかも、解っている。
でもエルフェリスは……彼らのところに帰りたかった。
――カイルのことが好きだった。
すごく好きで……苦しくて。泣きたくなるくらい大好きで。
想いを……伝えた日があった。
でもそれは叶わなくて。砕けた想いは、余計にエルフェリスを苦しめた。
どうやってカイルへの想いを忘れたのかも忘れてしまうほどに、エルフェリスはあの後がむしゃらに生きてきた。こうやって意識して思い出して、そして懐かしがれるくらいに。
けれど今はもう、あの頃のエルフェリスとは違う。
今……今は。
「私は……」
止まらない爆発の中、砂塵が渦を巻いて舞い上がる。
「私は……」
脳裏に浮かぶのは、控えめに微笑むあの男性の顔。
「私は、……シードの城に帰るよ」
ごくりと唾を飲み込んで、意を決してきっぱりとそう宣言したエルフェリスの顔には、晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
戻りたい。戻りたいのだ。
白い薔薇の咲き乱れるあの城に。大切な人たちの暮らすあの場所に。
それは、紛れもなく自分自身の意思。
だから、理解できないと言わんばかりに頭を振るカイルに向かって、エルフェリスはもう一度その言葉を繰り返した。
「ありがとう、カイル。でも間違えないで。ヴァンパイアには良い人だっていっぱいいるよ」
何かを振り切ったような笑顔で、エルフェリスはゆっくりとカイルの手を振り解いた。
「私はもう少し彼らのこと知りたい。だから村には帰らない」
「エル」
「ごめん、カイル。私、今は……カイルたちの味方にはなれない」
きっぱりとそう告げた。
自分は聖職者。
けれど人間とヴァンパイアの共存を目指すゲイル司祭の名代としてシードの城に乗り込んでから、彼らの優しさを知ってしまった。
混乱を起こしているのは、シードや彼らを取り巻くハイブリッドたちではない。すべてはヘヴンリー率いる急進派のハイブリッドが、シードの目を盗んで勝手に行っている行為が原因なのだ。
この世に存在するすべてのヴァンパイアが、自分たち人間を喰らい尽くそうとしているわけではない。
エルフェリスはそれを、カイルをはじめとするハンターたちに知ってもらいたかった。
間違った認識と思い込みで、これ以上不幸な争いを続けるのは急進派の思うつぼなのだと知らしめたかった。
しかしその言葉は届かない。
「どうしてだ! なぜエルはそこまで奴らに肩入れする? 僕には理解できないッ」
「じゃあカイルは? どうしてそこまで彼らのことを悪く思うの? 盟約を無視しているのはたった一部のハイブリッドたちだけなのに……今までカイルが狩ってきたヴァンパイアはみんな悪い人たちばかりだったって断言できるの?」
「そんなのは関係ない! ヴァンプは悪だ! やらなきゃ……こっちがやられてしまうんだよ。目を覚ませエル!」
頭を抱えたカイルがそう叫んだ瞬間だった。
「そうやって言い争うだけ無駄ですよ。それよりも帰るならさっさとしてくれませんか? 誰かさんのおかげでこちらは黒焦げです」
「まったくだ」