揺らぐ心(3)
そうこうしているうちに日は沈み、また再びの夜がやってこようとしていた。
久しぶりに見る人間の領域での日没はことのほか美しく、ひどく懐かしい感じがした。
本当ならば今頃はロイズハルトたちの元に戻っていたはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうと気が滅入る思いであったが、今日の役目を終え沈みゆく太陽を見ていると、もう少しだけ足掻いてみようと勇気が湧いてくるようだった。
初めから、ここで死する覚悟もして来たのだ。
何かあった時は見捨ててくれて良いと、彼らにはそう告げてきた。だからきっとこのまま連絡が取れなくなれば、エルフェリスのことなど気にせずに居城へと引き上げて行くのだろう。
むしろ今はそうしてくれることを祈るばかりだった。
デストロイとカイル。
二人にその存在が知られてしまえば、ロイズハルトもルイも命を落としてしまうかもしれない。
この不安定な状況下で二人もシードがいなくなってしまったら、ハイブリッドたちの動きはいっそう激しさを増すだろう。これまで何とか保ってきた均衡も何もかも崩れて、世界は大混乱の時代へと逆戻りするかもしれない。
でも、エルフェリスが本当に恐れているのはそんなことではなかった。
自分はただ……。
ただ一人の人間として、ロイズハルトを失うことが怖かった。
彼が自分の前から消えてしまうのを想像するだけで心が凍りつく。
身体が震える。
――バカだ、私。
どうしてこんな時に気付いてしまうのだろう。どうしてこんな時に。
どうしようもないのに。今さら……どうしようもないのに。
――私は……ロイズのことが好きなんだ。
彼のことが好きで好きで……どうしようもない。だから彼のためにこんなに一生懸命になっているんだ。
バカだ、私。
いつの間にか惹かれてしまった。
惹かれてはいけない男性に。惹かれてはいけないヴァンパイアに。
同じように。
エリーゼと……同じように。
「エル?」
急に言葉少なになったエルフェリスを不思議そうに見つめるカイルも、今は目に入らなかった。
今はただ……ロイズハルトに逢いたくて仕方がない。
アンデッドとか、エリーゼとか、そんな建前が無くても……彼の暮らすあの居城に戻りたい。
心の底からそう思った。
その時だった。
突如、一斉に村のあちらこちらで大きな爆発が起こった。
鼓膜を突き破るかのような爆音に思わず耳を塞ごうとしたのも束の間、次の瞬間には身体の自由を奪われていた。
爆発に伴い生まれた爆風は、いとも簡単にエルフェリスたちの身体をふわりと持ち上げると、強烈な力をもって室内にあったすべてのものを無慈悲に吹き飛ばした。
「うわっ!」
「……ッ」
突然のことに受け身を取る間もなく、エルフェリスもカイルも壁に叩き付けられて苦痛の声を上げる。
打ち付けられた体は抗う術もなくそのまま床に投げ出され、激突を受けた壁からは少しの砂煙が上がっていた。
「い……っ」
エルフェリスは少し、背中を打ったらしい。わずかながら呼吸が止まり、無音の声が虚しく零れていく。
けれどカイルはさすがに百戦錬磨のハンターといったところか、すぐに身を翻すとすぐさま窓辺へと駆け寄り周囲を見回した。
「……何だよ……これ」
そして上げられたのは、低く呻くような声。
それからようやく身を起こしたエルフェリスも、痛む背中に手を当てながらカイルの後に続いた。よろめきながらも彼の隣に移動して、それから外の光景を目の当たりにして思わず絶句した。
「……何これ……。何が起こってるの……?」
次から次へと絶えず起こり続ける爆発を逃れようと、何人ものハンターが炎の間を逃げまどっている。爆発が起こる度に空は昼間のような明るさを取り戻し、その度に焼けるほどの熱風が頬を掠めていく。
だが異様だった。
爆発は明らかに人がいない個所を狙っているかのごとく起こっているのだ。
混乱し、あちらこちらへと動きまわるハンターたちの動きを読んでいるかのように、誰もいなくなった場所で、ぎりぎり人体に被害の出ない規模の爆発ばかりが何度も何度も繰り返されているようだった。
こんなにも絶えず起こり続ける爆発にも拘らず、誰一人怪我を負っていない様子を見ると、やはり明らかに異様だ。
そんな中で、決定的な声が上がるのをエルフェリスもカイルも聞き逃さなかった。
「ハ……、ハイブリッドだぁぁーッ」
爆音の中にあっても、切り裂くように響き渡ったその絶叫は、カイルだけでなくエルフェリスの顔色をも変えるに十分であった。
「ハイブリッド!」
「くそっ……! 襲撃かッ」
無意識にワンドを握り締めたエルフェリスの隣で、カイルもまた腰に下げた細身の刀に手を掛けた。その顔からはもういつもの面影は消えていて、代わりにハンターとしてのそれがありありと浮かんでいる。
突如立ち上る凍り付くようなカイルのオーラに、エルフェリスも一瞬身を震わせて彼の横顔を見上げた。
「愚かなヴァンプどもめ……! 先の恨み、今度こそ晴らすッ」
残酷なまでの笑みを浮かべてカイルはそう呟くと、くるっとエルフェリスの方を振り返って言った。
「ここも危ない。エル、僕が守るから付いて来て!」
「え……ちょっと……っ」
そしてそれだけを告げると、カイルはその様相に圧倒されて固まっていたエルフェリスの腕を掴み、荒れ狂う爆発の中へと足を踏み出して行った。