異国の微笑(3)
今、彼は……何と言ったのだろう。
こんなところで聞くはずのない言葉を聞いたような気がする。
アンデッド。確かにそう聞こえた。
どうして?
どうして彼の口からそのような言葉が出てくることになるのだろう。
どうして?
視界がうまく定まらない。世界が揺れる。
揺れる。
「……アンデッド……?」
からからに渇いた喉を無理やり通り抜けていった声は擦れていた。
けれども、そんなことよりももっと情報を寄越せと脳が暴走を始める。
「……どうして? ハイブリッドだけじゃなかったの? ハイブリッドたちはどこに? ああどうして? ……アンデッドって……」
自分でももはや制御できずにエルフェリスは戸惑った。何を言いたいのか、何を言っているのか解らずに混乱する。
脳裏を掠めていくのは、とめどなく押し寄せる不死身のアンデッドの群れと、生ける屍と化した二人のドール。あの時の情景が眼前に鮮明に映し出されて、目の前が真っ黒な闇で覆い尽くされていくような錯覚を覚えた。
「どうしてなの? どうしてこんな所にアンデッドが……アンデッドなんて……どうして?」
「落ち着いてエル。とにかく座ろう。聞きたいことがあるならちゃんと一つずつ答えるから……落ち着いて?」
混乱しているとはいっても、それでも自分では十分落ち着いているつもりだった。
けれどもあの時の畏怖と怒りを思い出して、エルフェリスの身体はいつの間にかわなわなと震えていた。そんなエルフェリスの肩を、カイルは優しく慰めるような口調とともにふんわりと包み込み、抱き締める。
その暖かさは遥か昔に忘れ去った心を思い出させるようで、掻き乱された思考の中に一筋の光が差し込むようだった。
エルフェリスはとにかく高まった気を落ち着けようと深呼吸を繰り返しながら、カイルの指示に従ってベッドの脇へと腰掛けた。続いて彼も隣に腰を下ろす。
窓から差し込む太陽の日差しを眺めながら、しばしの沈黙に身を投じた。
けれどもほどなくして、カイルの方から口火を切った。
「エルの質問に答える前に、僕の質問にも答えてくれるかい? 一つだけ……一つだけ、僕も聞きたい事があるんだ」
エルフェリスの肩に回したままだった腕を解いて、カイルはエルフェリスの正面に向き直ると、その顔を覗き込むようにしてそう尋ねてきた。真摯なまでの銀の瞳に射抜かれる。
だからエルフェリスは無言でこくりと頷いた。
するとカイルは満足そうに微笑んで、エルフェリスの頭を何度か撫でた。優しく。
……ロイズハルトと同じ癖。
カイルの手に、ロイズハルトのそれを重ねながら、彼とルイはどうしただろうかと、ふと考えた。
何の連絡もしないまま、一晩明けてしまった。
彼らは無事に身を隠せているのだろうか、彼らの身に何事も起こっていないだろうか。考えれば考えるほどに、彼らの身が案じられて仕方がない。
しかしすぐにカイルの疑問が投げ掛けられて、エルフェリスの意識は否応にもそちらへと逸らされてしまった。
「ねぇ、エル……。エルはどうしてアンデッドの事を知っていたんだい?」
口調はとても穏やかだったけれど、有無を言わさぬ強い光をその瞳から感じた。
自分から振った話だ。口を噤む気などさらさらなかったが、ある程度言葉を濁す必要はありそうだった。
カイルはヴァンパイアを狩るハンター。たいしたことない表現も、彼の前では或いは誤解を招いてしまうかもしれない。
「……実は……」
忘れもしないあの新月の夜の出来事を語るのは、言葉を選ばずとも容易なことではなかった。
思い出したくもない、忌まわしい記憶。そんなエルフェリスの話をカイルは一つ一つ頷きながら、真剣な面持ちで聞いていた。
深夜の泉に呼び出されたこと、そこでハイブリッドの集団に襲われたこと、そしてその中にアンデッドが紛れ込んでいたこと。
あの日の記憶を辿って、なるべく簡潔に要点のみを掻い摘んでカイルに伝える。ただ一つ、その一件にロイズハルトのドールが絡んでいた事実を除いて。
話に一段落ついた後、カイルはしばし自分の考えに耽っているようだった。彼なりに何か思うことがあったのかもしれないが、エルフェリスはあえて彼の心中を確かめるような真似はしなかった。変に探りを入れては逆に怪しまれてしまうかもしれない。
今は、エルフェリスはあくまでも中立の立場であるのだと形だけでも主張しておけば、それで良かった。
だからカイルの疑問にもある程度は答えた。
「ふむ……」
唸るような、溜め息のような、複雑な声を漏らしたカイルにも動揺したりしない。けれど心は複雑だった。
人間とヴァンパイアの狭間に立つことで、自分の存在が時に判らなくなる。聖職者である自分。ヴァンパイアと行動をともにする自分。
本当の自分は一体どちらなのだろう。
「……」
わからない。
そんなエルフェリスの隣では、カイルがまた一つ大きな溜め息を吐き出して、何かを振り切るかのように何度か頭を振っていた。
「……そうか。そんなことがあっただなんて……正直驚いたよ。だが死霊術か……。そんな大昔に消え去ったはずの魔術がいまだ存在しているなんてな」
固く組んでいた腕を解くと、カイルは厳しい表情のままそう呟いた。