異国の微笑(2)
落ち着いているつもりではいたけれど、少しずつ少しずつ心の奥底に動揺が広がっていく。
怖い、と思った。一人で行動することが怖いと。
エルフェリスの世界はほんの数ヶ月前とはまるで変わってしまった。
ヴァンパイアと暮らし、ヴァンパイアと打ち解けることで何でもできるような気になっていたが、やっぱり自分一人では何の役にも立てなくて、誰かの助け無しでは何もできないのだと改めて痛感させられる。
けれどそんなエルフェリスの心中を知らぬカイルは、ほっと息を吐いて話の先を進める。
「それで驚いてここへ連れてきたってわけさ。あ、ここはヴィーダでの僕の仮住まいでね、ベッドは一つしかないからご一緒させてもらったけど。昔はよく一緒に寝ただろう?」
幼かったあの頃とちっとも変わらない笑顔でそう言われてしまっては、エルフェリスは何も言えなくなってしまった。
年頃の男女が一つのベッドで寝ていたなんてゲイル司祭が聞いたら卒倒してしまいそうだが、自分がこの数時間で辿った経緯を聞くうちに、そんなことはもうどうでもよくなってしまった。
曖昧に笑って、激しい動揺から心を隠すことくらいしか今はできそうにない。
けれど彼の質問は止まらなかった。
「でもほんとにエル。君どうしてヴィーダにいたんだい? 確か三者会議に出るとかでシードの居城へ行ったままだって聞いてたけど……」
眉間に皺を寄せてエルフェリスの顔を覗き込んでくるカイルに、エルフェリスは正直どきっとした。その質問は必ず問われるだろう上に、安易に答えられるものではないと解っていたからだ。
デストロイ同様カイルもまた、ヴァンパイアの中心であるシードの居城を探し求めていた。そこさえ潰してしまえばヴァンパイアの存続ももはや風前の灯火なのに、と言って。
ここで口が滑ってしまえば、ロイズハルトらシードが窮地に陥ってしまうことは目に見えている。それだけは絶対に避けたかった。
自分の発言で彼らを貶めてしまうのだけは、なんとしても避けたい。
しかしながら、下手に彼らを擁護する発言ばかりして聖職者としての自分の立場を追い込むのもまた、この場面においては得策でないこともエルフェリスは十分に理解していた。
エルフェリスはヴァンパイアに心を奪われたなどという疑念が教会側に出回っては、エルフェリスは二度とシードの城へ戻れなくなるかもしれない。
数少ない、シードに対抗できる力を持った神聖魔法使いを教会側がみすみす手放すことは天地がひっくり返っても無いだろう。それどころか取り返せるうちに取り返して、必要な時以外は未来永劫どこかに監禁、などという展開すら想像できるところが教会本部の恐ろしいところだ。
――全ては前例に基づくもの。
過去にそういった事例があったからこそ、エルフェリスはここで新たな一例を作るわけにはいかなかった。
だから返答するにも、上手い具合に両者のためを思っての言動なのだとカイルに思わせるように仕向けねばならず、エルフェリスは細心の注意を払って彼の質問に臨まねばならなかった。
口を開く瞬間、心臓が大きく鼓動するのを感じていた。
「ヴィーダが壊滅したって話を知り合いのヴァンプが教えてくれたの。その人に頼んでここまで連れてきてもらったんだ」
「それは……シード?」
「ううん、ハイブリッド。シードはさすがにそこまでしてくれないよ。あの城では私はやっぱり異質な存在だろうし」
カイルの探るような眼差しに、エルフェリスもすかさず発言にフェイクを入れた。
「……なるほど。でもエル、村の中へは一人で来たの? そのハイブリッドは……帰ったのかい?」
「もちろんまだどこかにいるよ。でも村を襲ったハイブリッド集団と間違えられたら困るから、別の場所で待ってもらってるの。その人たちは人間の私にもとても良くしてくれるから」
「ふーん……。まあ確かにそれが懸命だろうね。僕たちハンターからすればハイブリッドもシードもすべて同じ。ヴァンプに良いも悪いもないからね」
数多の女性を虜にしたその笑顔で、ばっさりと吐き捨てたそのセリフに、エルフェリスはわずかながらも戦慄を覚えた。
ヴァンパイアに良いも悪いもない。
その考えがどれだけ偏見か、エルフェリスが一番良く知っているのに、その思いはハンターであるカイルには届かないことを思い知ったのだ。
人間たちを苦しめているのはほんの一握りのハイブリッドだけなのに、あまりにも盟約を侵しすぎた急進派のハイブリッドたちの行いは、ハンターたちのみならず、人間たちのヴァンパイアへのイメージを著しく悪化させてしまった。そして恐らくそれはもう二度と改善されないだろう。
ハイブリッドたちは闇雲に獲物を追い続け、ハンターたちは追撃の手を緩めない。
それが人間とヴァンパイア、両者の共存を目指す上での一番の壁となって目の前に立ち塞がっている。
ふわふわと、視線がうつろうのを感じていた。
「……そういえば……デストロイは来てないの?」
話題を変えようと思案していた矢先、ふと一人の男の顔を思い出すと、エルフェリスは新たな気持ちでカイルにそう尋ねた。すると彼はエルフェリスに一瞥を加えてから、ふっと笑みを漏らす。
「いたよ? 昨日まではね。けれどこんな事態になったものだからひとまず態勢を立て直す為に一度村へ戻ったんだ。シードの城への手掛りを求めてここへ来た途端に襲撃を受けたものだから、僕もあいつも慌てたよ。とにかく一旦状況報告をして来るって帰ったんだ。デストロイにも逢いたかったのかい?」
意味有り気な表情を浮かべて楽しそうに笑うカイルに、エルフェリスは「それはない」と全力で即答した。
それから今度は自分の疑問を解決しようと、逆にカイルに質問を投げかけてみる。
「でもどうしてヴィーダは……こんなに壊滅したの? ヴァンプ……シードの人たちはみんなその理由と経緯を知りたがってた。どうしてハイブリッドたちがそのような行いを働いたのか……すごく憤ってたんだよ? それに村を襲ったっていうハイブリッドたちはどうしたの? 全滅したの?」
そう言ったエルフェリスの言葉に、それまで明るかったカイルの表情にさっと陰りが差した。幼なじみのカイルの顔から、ハンターのそれへ。
エルフェリスの知らない彼の一面がほんの少し、垣間見えた気がした。
「どうして……か。それはこっちが聞きたいくらいだよ。夜更けにね、大量のハイブリッドどもが奇襲を掛けて来たんだ。非力なここの住人たちはあっという間にやつらの餌食。僕たちだって丸腰で襲われては一溜りもなかった。半分以上は殺され、残った者も一度撤退せざるを得なくて……その間にヴィーダは完全にヴァンプの手に落ちた。だから……」
「火を放ったと言うの……?」
カイルの言葉が途切れた瞬間を見計らって、エルフェリスが毅然とそう告げる。
するとカイルは厳しいまでの一瞥をエルフェリスに加え、それから窓の外へと目を逸らした。
「炎はすべてを焼き尽くすが、時が経てばそこからまた新たな生命が芽生える。あの時は……そうするしかなかった……」
「そんな……! 他にも手があったんじゃないの? ヴァンプを葬り去る為だけに村を焼き尽くすだなんて……カイルだけじゃなくてデストロイもいたんでしょ?」
「いたさ! でもどうしようもなかったんだ! ハイブリッドの中にアンデッドが紛れ込んでいたんだよ……。ハイブリッドだけならまだしも、アンデッドとなると……。全滅を免れるには……そうするしかなかったんだ」
目に見えるほどの怒りと後悔を滲ませて、強く拳を握り締めるカイルだったが、エルフェリスはそれ以上の衝撃を受けて言葉を失っていた。