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† 残 †   作者: 月海
第四夜 灰色の風
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反逆のヴィーダ(2)


 レイフィールに至っては、「何を言ってるの?」と何度も何度も目を剥いている。


 すぐに受け入れてもらえるような要求だとはエルフェリスも思ってはいなかった。恐らくは自分がいては足手まといになるなどと拒絶されると思っていた。だから一瞬ではあるが、言うのを躊躇った。


 けれどこれは決して行き当たりばったりな考えだったわけではなく、ハイブリッドの襲撃があったと聞いた瞬間からずっと心に決めていたことだった。


 エルフェリスは現状、表向きは共存の盟約の円滑な遂行を見守るためにこの城に置いてもらってはいるが、本当の目的は姉エリーゼの行方を捜すことだった。


 この城に来てからというもの、エルフェリスは前者を後回しにして後者ばかりを優先させていた。だから。今こそ盟約の守人としての役目を果たす時ではないか。


 人間とヴァンパイアの共存を壊そうとする者は何人たりとも、たとえそれが自分と同じ人間であろうとも、その野望は潰さねばならない。


 初めは半信半疑だった。


 糧とする者、糧とされる者。両者が果たして本当に同じ世を共に生きていけるものかと疑っていた。


 でもここへ来てから、それが決して不可能なことではないのだと確信するようになった。少なくともシードである彼らは努力してくれている。


 この人たちがヴァンパイアの頂にいる限りはきっと、それは決して夢で終わるものでは無いのだと確信できるようになった。


 だからエルフェリスも本当に実現できるものならば、この目で見届けてみたいと思うのだ。


 でも、そこへ至るまでにはあまりにも障害が多すぎる。それなら自分も何らかの形で力になりたい。


「いいでしょ? 私も行く」


 再度決意を固めるエルフェリスを、ロイズハルトとレイフィールはどうしたものかといわんばかりの顔で見つめていた。


 でもここで退くわけにはいかない。


「ダメだって言われても行くよ? 私は司祭の名代として盟約を見守る者。でもそれ以前に私は人間。同族の村がハイブリッドに滅ぼされたかもしれないのに、ここから黙って見ていることなんてできないよ!」


 話しているうちにだんだんと感情が高まって、気付けばソファから立ち上がっていた。


 少し興奮し過ぎたのかもしれない。息も少し乱れてしまっていた。


 けれどそんなエルフェリスを見つめる二色の瞳は色を変えない。


「ヴィーダは今、戦場同然だ。そんなところにエルを連れては行けない」


 そしてその瞳と同じような紫暗の声できっぱりと断言された。


「カルディナの仕組んだあの夜とは比にならないくらい危険な状態になっているかもしれない。そんなところへ行ってみろ。あっさり殺されてしまうかもしれないんだぞ?」


 だから悪い事は言わない、思い止まれと、ロイズハルトはやや力んだ口調で付け加えた。


 それでも。


「嫌。私は行くよ。ロイズが連れてってくれないなら一人で行く! レイ、地図ちょうだい!」

「ええ? そんなの用意してないよ! それに城の外を一人で行くのは危ないって! 殺されちゃうよエル!」

「じゃあどうすればいいの? 私は人間としてヴィーダの最期を見届けたいだけなのに……それすらもできないなんて……悔しい」


 無意識に握り締めた拳に食い込んでいく爪の痛みが、ヴィーダに散った人々の無念を伝えてくるようだった。掌に走る痛みは鋭く、この身を燃やす。


「気持ちは分かる。だがこうなってしまった以上、レイとデューンには守りを固めるためにこの城に残ってもらうしかないし、そうなるとヴィーダへ行けるのはこの俺一人だ。それに向こうへ行ってからは付きっ切りでエルを守ってやることができないかもしれない。そんな不安定な状態を分かっていながら易々と連れて行くわけにはいかないんだ!」

「守ってなんかくれなくても良いよ! 死んだら死んだでそういう運命だったって覚悟くらいある……。だからお願い! 私を連れてって下さい!」


 これが最後の主張。エルフェリスのすべての心を込めて、向かい合うロイズハルトに頭を下げた。


 どうしても、どうしてもヴィーダに行きたくて。どうしても、どうしてもヴィーダの惨状を見届けたくて。


 エルフェリスはずっと、自分の爪先だけを睨み付けていた。


 だから今、ロイズハルトとレイフィールがどんな顔をして自分を見ているかだなんて見当も付かず、でも、ふとエルフェリスの名を呟いたレイフィールの声がわずかに震えていたのは、エルフェリスにも何となく分かった気がした。


「ねぇ……どうするの? ロイズ。ここまで言ってるんだから連れて行っても……」


 エルフェリスとロイズハルトの間で困ったように眉尻を下げたレイフィールが、この場の空気に堪りかねてそう口を開くも、ロイズハルトは硬く目を閉じたままゆるりと首を振った。


「ダメだ。エルは連れて行かない。もう一人同行者がいるのならまだしも、こんなでは……」


 ――連れては行けない。


 恐らくはそう言うつもりだったのだろう。


 けれどもそれより先に、ロイズハルトの言葉を遮った者がいた。


 もちろんそれはエルフェリスでもレイフィールでもない。


 暗がりにぼうっと浮かび上がるように佇んでいるその姿は、まるで夜空に輝く銀の月。太陽の光など無くとも輝きを失わない確かな光が、そこにはあった。


「そういうことなら一言、私にも相談して欲しいものですね」


 そう言いながら、ゆらりと揺れる蝋燭の炎の元へと姿を現した男。それは。


「ルイ!」


 の者の姿を認めて、ロイズハルトとレイフィールが同時にその名を叫ぶ。


 するとそれに応じてルイの顔にもやわらかな笑みが宿った。


「その様子だと、どうやら私のことはすっかり忘れていたようですね。困りますよ? 私もシードの端くれだというのに」


 にっこりと美しく微笑んでそう言うと、ルイはゆっくりとこちらへ足を踏み出し、空席となっていたエルフェリスの隣に腰を下ろした。その所作すらふっと通り抜ける風のようで、思わず目を奪われる。


「デューンとレイを城に残すというのなら、私がヴィーダへ行きましょう。それならば彼女を連れて行っても問題ないのでしょう? ロイズ」

「……まあ。だが良いのかルイ。ヴィーダに行ってしまっては、しばらくドールにも逢えない上に血にも飢えるかもしれない。特に飢えはルイが最も嫌っていた生理現象だろ? 途中で発狂されても困る」

「おや、言いますね。でも、それこそ見くびってもらっては困りますよ。私を誰だと思っているのですか。この期に及んでまで女に逢いたいなどとは言いませんよ、さすがの私でもね。確かに飢えには少々抵抗がありますが……いざとなったらハンターの血を頂けば良いだけのこと。何も心配はありません」


 いまだ厳しい表情を崩さないロイズハルトに対して、ルイは常に微笑を絶やさないまま、余裕溢れる調子でそう言った。そしてその後エルフェリスに向けてウィンクするのを忘れない。


 ひっそりと見惚れていたのがばれた気がして、一瞬エルフェリスの肩が跳ねた。


 けれどルイはすぐにロイズハルトに目線を戻すと一言、「どうしますか?」とだけ尋ねる。


 その声にエルフェリスもレイフィールも同時にロイズハルトに注目した。


「……」


 ただただ沈黙を守るロイズハルトに、祈るような視線を注ぐエルフェリス。


 だがしばらくすると大きく息を吐いて、自分を納得させるようにロイズハルトは数度頷いた。


「……解った。ルイの言う通りにしよう」


 そして微かな笑みを浮かべてそう言った。


「では話は纏まりましたね。エルもそれでよろしいですね?」

「え? う、……はい! 連れてってくれるなら……」


 突然現れていとも簡単に話を纏めてしまったルイの交渉術に呆気に取られていたところで、さらに突然話を振られてエルフェリスは慌てて返事をした。


 それでもその返答を満足と捉えてくれたのか、ルイはいっそう深い笑みを見せると「では決まりですね」と言って、一足先にソファから立ち上がった。


「私は早急に支度を整えてきます。ロイズもエルもそのように頼みましたよ。それからレイはデューンを叩き起こしておいで。ああ、それからリーディアもね。私のドールたちにはくれぐれも説明を疎かにしないようお願いしますよ?」


 手短に、でも的確に指示を出せる辺り、ルイにはやはり人の上に立つ素質があるのだろうとどこかでふと思った。だがのんびりとそんな考えに耽っている暇は無い。


 こうしている間にも、事態はどんどん進んでいく。


「任せて! 城のことは確かに僕とデューンで守るから」


 誰よりも先に行動を起こしたレイフィールは、その顔に無邪気な笑顔を湛えたまま足早に部屋を出て行った。それに続いてルイも部屋を後にする。


 残ったのはエルフェリスとロイズハルトの二人だけ。


 嵐の前触れのような静けさに包まれていた。


「いいんだな? エル。何が起きても、何を見ても……」


 視線を外したままボトルとグラスを手早く片してから、ロイズハルトはエルフェリスに向けてそう声を掛けてきた。


 言葉は短くても、とても重く響く。それでもエルフェリスの意思を変えることなどできない。


「ここへ来ると決めた時から覚悟はできてる。だからロイズは自分のやるべき事だけに目を向けて。私は私のやり方でヴィーダの姿を見届けるから」


 きっぱりとそれだけを告げると、ロイズハルトはそっと笑っていた。そして言ったのだ。


「上等だ、エル。それでこそゲイル司祭の跡を継ぐ者。……やはりあの時の判断は間違ってなかったようだ」

「え? 何か言った?」


 まるで独り言を呟くように言ったロイズハルトの言葉を認識しようと、エルフェリスは彼に問い返す。


 けれどロイズハルトからのそれ以上の返答はなく、ただふっと笑って「何でもない」と言うのみだった。


 この時のエルフェリスには知る術もなかった。


 この時のロイズハルトの言葉にどんな意味があったのかなど。


 今はただ滅びゆくヴィーダの地に思いを馳せることしかエルフェリスにはできなかった。その先にあるものになど、まったく考えが及ばなかった。


――月はこれから満ちようとしている。



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