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† 残 †   作者: 月海
第四夜 灰色の風
71/145

影はいつでもすぐそこに(6)


「ここに残るのか、それとも村に帰るのか……どうするかと聞いているんだ」

「……村に……帰る?」


 思ってもみなかったロイズハルトの質問に、エルフェリスはよく話が飲み込めなくて、なおも聞き返していた。

 どうしてこの時点でそのような話が出てくるのか、そこからしてすでに疑問だった。理解しろと言われても、到底理解できない。


「帰るって……何で?」


 ロイズハルトの意図が分からない。どうしてそのような話に発展するのかも。


 ゆらりゆらりと揺れる蝋燭の炎のように、エルフェリスの心もゆらゆら揺れる。


「今はそんなこと話してる時じゃないじゃない」


 俯き加減のままぼそりとそう言うエルフェリスに、ロイズハルトは天を仰いで、そうだな、と頷いた。


「それはそうなんだが……」


 そしてそのまま先を進めようと口を開く。


「あながち無関係と言うわけでもないんだ。エルを預かる条件として、行方知れずの捜し人の手掛りを掴むまで、というのがあった。それともう一つ。ゲイル司祭はくれぐれも生身でエルを帰して欲しいと強く望んでいた。条件の一つはすでに昨夜果たせたと思っている。そしてもう一つは……正直この先保証は無い。ゲイル司祭は我々の迷惑にならないようならば、その後の身の振り方はエルに一任すると言っていた。だから俺はその申し出に従い、今エルに尋ねている。今後どうするのか……考えておいてもらいたい」


 迷いの無い、はっきりとした口調でロイズハルトはそう言うと、ソファから立ち上がり、傍らに置かれた棚の中からボトルを一本とグラスを二つ取り出して、片手にグラスを持ち直すと器用にボトルの中身を注いでいった。


 グラスに溜まっていく淡色の液体から、微かに甘い香りが立ち上ぼる。


「酒じゃないから。白葡萄。好きだろう?」


 ソファに再び座り直してから、ロイズハルトはグラスの一つをエルフェリスの前に差し出した。十分に熟した葡萄の香りに、吸い込む息も思わず深まる。


「うん、好き」


 兎にも角にも一呼吸置こうとグラスに手を伸ばし、ゆっくり口付ける。


 冷たい透明のグラスから流れ込んでくるその液体は、まるで摘み立ての実をそのまま口へ放り込んだかのように爽やかで、濃厚な味わいを再現していた。わずかに舌がピリピリするのは、ソーダでも入っているからなのだろう。


 久々に味わう芳醇な香りに、思わず溜め息が零れた。


「……美味しい」


 素直にそう思った。こんなに美味しいジュースはいまだかつて口にしたことはなく、驚きと喜びを含んだままエルフェリスはそう呟いていた。


「そうか、良かった」


 対するロイズハルトもにこやかに微笑んで、グラスの中身を少しずつあおる。


 先ほどまでの緊迫感が嘘のように、一転した空気に溶けていった。


「とにかく……」


 やがて少しの沈黙を挟んで口を開いたロイズハルトにエルフェリスが注目する。


「一度近況報告も兼ねて、ゲイル司祭の元へ赴こうと思っている。その時までにはとりあえずで良いから返事が欲しい」

「……うん……って、えぇっ?」


 あまりにもさらっと言うロイズハルトの調子に危うく聞き流してしまいそうになったが、今、何か物凄いことを言わなかっただろうか。


「今……何て言った?」


 絶対に聞き間違いだと思った。だから改めてもう一度聞き直す。


 それでも返ってきた言葉はやはり先ほどと同じだった。聞き間違いなどではない。


 エルフェリスは思わず立ち上がっていた。


「そんな……危ないよ! 村へ行くだなんて! あそこにはデストロイや他のハンターがたくさんいるんだよ? 殺されちゃうよ!」


 思わぬロイズハルトの言葉に驚愕するあまり、エルフェリスは声を荒げていた。


 だってそうだろう?


 デストロイやハンターたちが何よりも欲しがっているのはシードの命だというのに、ロイズハルトはそんな場所に自ら出向くと言っているのだ。


 人間のエルフェリスがこんなことを言うことがすでにおかしいのかもしれないが、どう考えても狂気の沙汰としか思えない。


 みすみす敵の中心に飛び込んで行こうとするなんて……彼は一体何を考えているのだろう。


「見つかったら殺されちゃう……」


 それだけは思い留まって欲しいとエルフェリスはロイズハルトに対してもう一度制止の言葉を投げ掛けた。


 けれども彼は何ら表情を曇らせることなく微笑んでいる。


「大丈夫だ。あの村には過去に何度も行っている」

「は?」


 眩暈がした。


 思い掛けない告白には、さすがのエルフェリスも口を開けたまま唖然とするしかない。


「過去に何度もって……」


 村を訪れたというのだろうか。聖職者とハンターで溢れ返ったあの村に。


「ああ、エルには会ったことは無かったけどな。デストロイというハンターとなら鉢合わせたが……」

「えぇ? ちょっと待って……、付いていけない」


 どうやって驚いたら良いのか分からなくなるほどに、あっけらかんと言うロイズハルトにも驚いてしまう。


 一体どんな風になればこんな話になるのだろう。エルフェリスの脳内は今、完全に混乱していた。


「デ……デ……デストロイって……」

「シードもハイブリッドも、出会ったヴァンパイアは必ずその命を落とすといわれる名高きハンターだろ?」


 完璧なロイズハルトの回答に、エルフェリスは息を呑んだままこくこく頷いた。


 その通り。デストロイは出会ったヴァンパイアをことごとく灰に帰してきた最高で最強のハンター。それが世間一般共通の見解だった。


 それなのに、デストロイに出くわしながらも生き延びているヴァンパイアがいる。今、目の前に。


 それも。


「うーん、何回か遭遇したが、バレなかったぞ」


 もうわけが分からない。

 


 少年のような顔をして笑っているロイズハルトと、彼が口にした内容のギャップにひたすら苦悩する。


 あんなにもヴァンパイアに執念を持っているデストロイが、よりにもよって目の前にいるシードに気付かないだなんて、そんなこと本当にあるのだろうか。


 だってあの男はあんなにもシードの命を狙っていたのに。


 ヴァンパイアの滅亡を理想に掲げ、エリーゼを魅了したシードに憎悪を燃やし、そして数多くのヴァンパイアたちを闇に葬ってきたあの男が、その頂点に立つロイズハルトを見逃すだなんて。


「……あ、あのさ……それ、ホントにデストロイだった? 他の人じゃなくて?」


 やっぱり疑ってしまう。ロイズハルトの記憶を。


 しかし、それによって返ってきた言葉は、その時の相手がデストロイであったということをさらに証明してしまう結果となる。


「ああ、デストロイだって言ってたし」

「名乗ったの? デストロイって?」

「ああ、こんにちはって挨拶までされたし、普通の人間よりも血の匂いが濃かった。あれはハンターか殺人鬼の臭いだ。それに腰から下げたあの十字架のブレード……デストロイというハンターは信心深いのか、その剣に大きな十字架の装飾を施していると聞いたことがある。あのブレードがまさにその証とも思えるが……どうだろう。間違っているか?」

「いや……うん、デストロイだね」


 十字の装飾が目を惹くデストロイの剣。美しくもあまりに特異な柄の形状に、扱うのは至難の業だと誰もが口を揃えていたあの剣が脳裏を横切る。


「……」

「……」

「……ぷっ……」


 肩が震えるのを止められなかった。


 ――バカじゃないの、あの男。


 肝心のところで、なんて詰めが甘いのだろうと呆れてしまう。


 一体どのようにしてロイズハルトが村に紛れ込んだのかは知らないが、あまりの間抜けさに思わず笑いが込み上げてしまった。堪えようとしても、それは声となってエルフェリスの中から放出されていく。


「はは、もうわけ分かんないや。デストロイがバカなのか、ロイズが凄いのか」


 ははは、と渇いた笑いが次から次へと込み上げる。それを見ていたロイズハルトも先ほどよりもいっそう笑みを深くして目を閉じた。


「とにかく、そんなわけだから心配は無用だ。気持ちはありがたかったがな」


 そう言ってにっこりと笑顔を見せるロイズハルトに、エルフェリスも自分の表情が自然と柔らかくなるのを感じた。


 不思議。この城へ来る以前の自分はどこかへ消えてしまったみたいだ。


 あの頃は心から楽しいとか嬉しいとか、そう思うことすら思うことがなかった。感動もしなかったし、いつからか……悲しいとも思うことも少なくなっていった。


 無感情で、冷めていて。どうしてあのような娘が神官など務めているのだと罵られた事も一度や二度のことではなかった。


 いつからだろう。いつから自分はあんな風になってしまったのだろう。


 でもここへ来てからは少しずつでも、かつての自分に戻りつつあるような、そんな気がした。


 かつての私。よく笑ってよく泣いて。とても感情豊かな子供だった、かつての私。


 私はいつから、心を失くしていたのだろう。心を忘れていたのだろう。


 また、頭の奥がつきんと痛むようだった。


 自分は一体、どうしてしまったのだろう。


「ロイズ……あのさ……」


 このところ続く不調をなんとなく告げてみようかと思ってそう切り出した瞬間、部屋のドアが勢いよく開いて、ばたばたと足音を響かせながら中に入ってくる者がいた。


「いたー! ロイズッ! 大変なんだよ、ちょっと来て!」


 いつもの余裕溢れる表情はどこへやら。


 小悪魔のような可愛らしい顔を真っ青に染めて、そう捲くし立てたのはいうまでもなくレイフィールだった。余程慌てていたのか黒いスラックスの裾からは、白いシルクの夜着が見え隠れしている。


 だが彼はそんなことに気付くわけもなく、ひどく焦った様子でロイズハルトの腕をぐいぐい引っ張っていた。


「何だレイ。今エルと大切な話を……」

「それどころじゃないんだよ! ハイブリッドの奴らが人間の村を滅ぼしたんだ! 早くしないと取り返しの付かないことになるよ!」

「なに?」

「なんで? どこの村が……!」


 レイフィールの言葉に反応したのはロイズハルトだけではなかった。エルフェリスもまた、大きな衝撃を受けてレイフィールにそう尋ねていた。


 人間の村が……滅ぼされた?


 どうして?


 これまでは壊滅的な被害を与えられてはしても、完全に滅ぼされてしまうことはなかった。


 それなのにどうして今頃になって?


「どこの村なの? レイ……教えて?」


 盟約の締結を見届けた者として、また、人間とヴァンパイア両者の共存を目指す者として、そして何よりも人間として、この事態を見逃すわけにはいかなかった。


 できるのならこの目で確かめたいと、心がどんどん逸っていく。


 けれどレイフィールは困ったような顔をしたまま、ちらりとロイズハルトを一瞥したのみで、エルフェリスの問い掛けには答えてはくれなかった。


 けれどそれに気付いたロイズハルトがレイフィールに向けて大きく頷く。


「構わない。エルは共存の盟約を遂行する為にこの城にいるんだ。話してくれ。隠すことは無い」


 そして静かにそう呟く。

 その言葉を聞いたレイフィールもまた、ロイズハルトに向けて大きく頷き返した。それから口を開く。


「分かった。その代わり手短にだよ? 時間が無い」


 レイフィールはそう言うや否や、素早く身を翻してソファに腰を下ろした。エルフェリスたちも慌ててそれに倣う。


 夜はまだ、始まったばかり。



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