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† 残 †   作者: 月海
第四夜 灰色の風
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影はいつでもすぐそこに(3)


 エルフェリスはもちろんその様子を、腑に落ちない思いのままずっと見つめていることしかできない。


 ……何で笑うんだよ。


 確かに変な顔だし目も腫れてるけれどそこまで笑う必要ないじゃないか、と再び感情に波風が立ち始める。


 しかしここでまた口を開けばドツボに嵌るだけだと自分に言い聞かせて、彼の笑いが収まるのをじっと待ち続けるしかなかった。


 それからほどなくして。


 一通り笑い転げて気が済んだのか、ようやく元の調子に戻ったロイズハルトがおもむろに口を開く。それがまた、エルフェリスの心に新たな感情をもたらすのだ。


「まああれだ。そこまで目が腫れちまったのは本意ではないかもしれないが、後悔はしないことだな。決して悪い涙じゃなかったんだから」


 な、と優しい笑顔と口調でそう告げられて、今までの怒りが一気に吹っ飛んだ。


 代わりに心臓をぎゅっと掴まれるような感覚に戸惑う。


 こんなにも忙しく色々な表情を見せるロイズハルトは珍しく、エルフェリスはひたすら翻弄されていた。


 けれど何気ないその言葉がエルフェリスにとっては嬉しくて、エルフェリスは思わず目を細めるとお礼の言葉を言おうとして彼に向き直った。


 しかしそこで再び思わぬ光景を目の当たりにする。


「うわぁぁあ! 何やってんのロイズッ」


 ありがとう、と言うつもりが、口から出たのは静寂を切り裂くような絶叫だった。


 そして慌てて彼から目を逸らす。


 激しく動く心臓が身体を突き破りそうだった。


 しかし当のロイズハルトは何がおかしいんだと言わんばかりの表情できょとんとしている。


「何って……着替えてんだよ」

「だから何でここで着替えてんのよ」

「裸のままじゃ風邪引くだろ?」

「そりゃそうだけど……。てか何で裸だったのよ!」

「ああ……。風呂借りた。日課なんだ、起きたら風呂入るのが。気持ち良いし目も覚めるだろ」

「へぇー……ってそんな事聞きたいんじゃなくて!」


 目の前で淡々と着替えを続けるロイズハルトの姿に、どんどん調子が狂わされていく。


 けれども混乱する思考も、彼の体のある一点を見た瞬間に冷静さを取り戻していった。先ほどまでとは別の意味で、心臓が激しく鳴り響く。


「……ロイズ……、その傷……?」


 絶句した。


 不意にロイズハルトが背中を向けた時にちらりとそれが目に入ったのだ。


 均整の取れた素肌の上に走るその傷は、一目で太刀傷と分かるようなものだった。左肩から背中の中心に掛けて真っ直ぐに斬られたと思われるそれは、ロイズハルトの白い肌の上で赤黒く隆起し、異様なほどの生々しさを醸し出していた。


「……」


 彼の背中にこのような傷があるなんて……。


 思わず息を呑んだまま立ち尽くす。


 そんなエルフェリスの異変を気配で悟ったのか、ロイズハルトは背を向けたままの状態で苦笑していた。


「男の背中をじろじろ見るな、エル。別にそんな珍しいものじゃないだろ?」

「……うん。……でも……痛そう」


 あまり見ては悪いと思いつつもちらちら横目で見ていたエルフェリスに、ロイズハルトは実に軽くそう言ってのけたが、エルフェリスは声を落としたまま思った通りの感想を述べていた。


 真新しい傷でないことはエルフェリスにも分かったけれど、蛇のようにうねり隆起するその痕があまりにも痛々しくて、気付けばそう呟いていたのだ。


 けれど……。


「古い傷だ。もう痛みもないし、気にするほどのものじゃない」


 ロイズハルトはそう言って笑うと、エルフェリスの目から隠すように手早く衣服を身に着けた。


 古い傷。赤黒い痕。


 ああ……何だろう?


 ……頭が……痛い。


 瞳の奥から後頭部へと突き抜けるような鋭い痛みが何度か走る。その痛みに耐えようと固く目を閉じた瞬間、何かの残像が一瞬だけ瞼を掠めていった。


「――ッ」


 はっとして目を開ければ、訝しげにエルフェリスを見つめるロイズハルトの顔がそこにある。


「どうしたエル? 具合でも悪いのか?」


 突然乱れた呼吸を整えようとすれば、ロイズハルトが心配そうにそう声を掛けてきた。


「……」

「……エル?」

「……う、ううん。大丈夫……」


 少しの放心状態を経て、エルフェリスが緩く首を振る。


 つきんと痛む眉間とこめかみに手を当てて、独り言のように「何でもない」と繰り返した。


 しかしながら心はどこか上の空。


 意識はあの“一瞬”を思い出そうとして、必死に脳内を探ろうとしている。


 何だろう、あの残像は……。


 前にもこんなこと、あった気がする。何なのだろう。


 ここへ来てからというもの、“何か”が脳裏を過ぎっては消えていくということが増えた気がする。


 どうして?

 ただのデジャヴ?


 それとも……私は“何か”を忘れているのだろうか……。


 そんな風に思っていると、着替えを終えたロイズハルトがじっとこちらを見ていることに気が付いた。浮かび上がるダークアメジストの瞳が真っ直ぐエルフェリスの心に突き刺さる。


「やっぱり具合悪いんじゃないのか? 今夜は寝てるか?」


 一呼吸置いてから、穏やかな口調でそう尋ねられた。けれどエルフェリスはやはり首を横に振る。


「ホントに大丈夫。ちょっと考え事してただけだし……元気だよ」

「……そうか?」

「うん、大丈夫! さて私も着替えようかな」


 無理やり笑顔を取り繕ってそそくさとその場を立ち去ろうと足を踏み出そうとする。が、すぐにロイズハルトにぐっと手首を掴まれた。


「待てエル。昨夜は言いそびれたが、お前に話がある。着替えたらちょっと俺に付き合え」

「話? ここじゃダメなの?」

「ん……まあ聞かれてもいいのなら?」

「……何それ意味深……。分かったよ。ちょっと待ってて、すぐに着替えるから」


 なんとなくロイズハルトの言い回しが気になって、エルフェリスはさっそく踵を返すとすぐに支度に取り掛かった。


 元々着るものにはこだわってないし、適当で良いとその辺に転がっていた服を掴んで袖を通す。手早く髪を整えて、サイドボードの上に置いていたクリスタルの十字架を首に下げればとりあえずは外に出られる状態になった。


 鏡に映る自分の顔は相変わらずひどいものだったが、いちいち魔法を掛けてまで治すのも面倒だと開き直って、エルフェリスはそのままドアの所で待つロイズハルトの元へと足早に掛けていった。

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