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† 残 †   作者: 月海
第四夜 灰色の風
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影はいつでもすぐそこに(1)


 夜が明けた。


 あれほど激しく降り注いだ雨も明け方には勢いを弱め、日の昇る時分にはもうすっかりと上がっていた。青く茂る葉からは一粒、また一粒と雨露が零れ、鳥たちのさえずりがしんと静まる朝の世界に響き渡る。


 それはいつもとなんら変わりのない日常の風景だった。


 日が昇って、鳥たちが鳴く。いつもと変わりない、日常の風景。


 けれどもエルフェリスはこの朝の訪れを知らずにいた。目を覚ました時にはもう再び夜の帳が降りた後で、まるで自分もヴァンパイアになってしまったかのような錯覚に思わず苦笑が漏れた。


 いくら城内のガラスすべてに遮光処理が施されているとはいえ、ほとんどのヴァンパイアは夜明けを待たずに眠りに就き、そして夜の訪れを待って再び動き出す。


 ここでの生活に合わせてすっかり夜型になっていたエルフェリスは、それでも日々太陽の光を浴びることを日課としていた。よほどのことがない限りは続けようと思っていたのに。


「……はぁ……」


 あまりにもよく寝すぎたせいか、いつもよりぼーっとする目を擦りながら身を起こすと、凝り固まった体をほぐすように両腕をゆっくり大きく突き上げて伸びをして、今度はゆっくりと息を吐きながら下ろした。


 たったこれだけでも頭のもやが晴れていくようで、次いですっかり見慣れた部屋をなにげなく見回す。が、いつもよりも視界が狭く感じるのはなぜだろう。


「あれ?」


 目をぱちくりさせながら、眉間に皺を寄せたエルフェリスが思わず声を上げる。見慣れた光景に、普段はいないはずの面々があちらこちらで眠りに就いているのが目に入った。


「……?」


 寝ぼけているのかと思って今一度目を擦ってみたが、どうやら幻ではないらしい。


 ソファの上ではリーディアが、また少し離れたラグマットの上ではデューンヴァイスが、それぞれ思い思いの体勢で気持ち良さそうに寝息を立てていた。


 デューンヴァイスの豪快ないびきが響く中、それでも物音を立てないようゆっくりとベッドから這い出ると、ふとした拍子に姿見に映る自分と目が合った。


 吸い寄せられるように足がそちらへと向く。


 ……酷い顔だ。


 隈だけならまだしも、久しぶりに泣きはらした目は見事に腫れていた。いつもの自分とは別の顔をした自分が鏡の中にいる。


 こんな風になるまで泣き続けてしまったのかと思うと、今さらながらに顔中から火が出そうだったが、とにかくこの腫れた目をなんとかしようと引き出しの中からタオルを一枚掴むと、そそくさバスルームへと駆け込んだ。


 誰もいないはずの浴室には灯りが点いていた。

 

 消すの忘れたかなと首を傾げつつ、そのまま正面にある洗面台へと向かうと、細やかな装飾の施された銀の蛇口をキュッと捻った。


 濁りのない冷えた水が、細い管から勢いよく流れ出す。


 その流れに手を曝し、掌に溜めた水を顔へと運ぶと、身を切るような冷たさが赤く熱を持った瞼を鎮めてくれるようだった。


 その感覚を求めて、今度は洗面台に貯めた水の中へと顔を沈めた。


 こぽこぽとほんの少しの空気が音を立てて水中を泳ぎ、そして水面へと抜けていく。


 しばらく耳を澄ましてその音と感覚に神経を集中させたが、やがて息苦しくなったエルフェリスは勢いよく顔を上げると、「ぷはー」と大きく息を吸った。


 そしてそのまま動きを止め、額や髪、睫毛の先から零れ落ちていく水滴をどこかぼんやりと眺めながら、昨夜のエリーゼを思い出していた。


 突然失踪したあの頃と何ら変わりのない姿でエルフェリスの前に現れたエリーゼは、髪型も、肌の色艶も、声も、表情も、何もかもがあの頃のまま。


 エルフェリスだけが一人、長い年月にのみ込まれながら、もがき生きてきたような錯覚に陥っていた。自分だけが一人、悪い夢を見ていたのではないかと思うほどに。


 だが、それは決して夢ではなかった。


 昨夜の彼女の反応からすると、エルフェリスや育ての親でもあるゲイル司祭はおろか、村の事も、自分自身のこともすべて忘れてしまったのだろう。すべて忘れて、エリーゼを捜して犠牲になっていった人たちがいたことさえ知らずに、ヴァンパイアの元で幸せに暮らしていたのだろう。


 ドールとなった者は人間であった頃の記憶を失くす。それがドールとなる条件だから……。


 でも、それでも良いとエルフェリスは思った。


 何だかんだ言ってもこの世でたった一人の肉親が生きていてくれたことは素直に嬉しかったし、誰も彼もが姉の生存を諦めた時でも、エルフェリスとゲイル司祭だけはずっとどこかで生きていてくれることを祈っていた。


 ゲイル司祭や村の人たちは、本当の意味で天涯孤独になったエルフェリスにとても良くしてくれたが……やはりエリーゼの存在に適う者などいない。エルフェリスの中で彼女はそれだけ大きな存在だった。


 いつも明るく笑っていたエリーゼ。


 そんなエリーゼが、エルフェリスは大好きだった。


 けれど。エリーゼの為に犠牲になった人のことを考えると、やはり手放しで喜べないのもまた事実だ。


 自らヴァンパイアの元へと出向いたかもしれないのに、それでもと探索の手をヴァンパイアの領域まで拡げてくれたあの人たちの死に対して、エリーゼの生存という事実だけをはなむけとするにはあまりにも軽く、あまりにも罪が重い。


 思い出してくれなくてもいい。自分のことを嫌ってくれてもいい。


 それでもエルフェリスは、エリーゼに伝えるべきことを伝えなくてはならないのだと、密かに心を決めた。


 思い出してくれなくても。嫌われても……。


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