雨の夜の再会(4)
エルフェリスとデューンヴァイスを仁王立ちのまま交互に見比べて、そして大きく溜め息を吐く。
その次に吐き出されるであろう言葉の見当はだいたい付いていた。
「おい、アホども。少しは他人の目に触れるかもしれない危機感を持て。変な噂立てられても知らないぞ」
顔の半分を引き上げて、にやりと笑うロイズハルト。
そんな彼の姿をじっと冷めた目で見つめていたデューンヴァイスも、突如同じような顔をして口元を吊り上げた。
「俺は別にエルとならかまわねぇよ? なー、エルちゃん」
そしてそう言ったデューンヴァイスは人懐っこい笑顔を浮かべて、エルフェリスにぴったりとくっつけた頭をさらに擦りつける。
その様子を頭上から見下ろすロイズハルトからはまた盛大な溜め息が吐き出される。彼の瞳から発せられるダークアメジストの光は、噤んだ口の代わりに、さもくだらないと言いたげに細められた。
ちくりと一刺し。胸が痛む。
「だーかーらー離れろって言ってんじゃん!」
こうなってしまってはもうエルフェリスもやけくそ気味で、とにかく密着してくるデューンヴァイスを引き剥がすことだけに専念した。
努力空しくロイズハルトに見られてしまった。
誤解されてしまったかも……という一抹の不安と、なぜだか絶望感が体の中を走り抜ける。
が、この際もうどうでもいい。
とにかく、ロイズハルトの疑念を晴らすためにも、ひとまずはこの乱れた姿勢を正したかった。
完全にデューンヴァイスに抱き込まれたこの体勢では、何を言ってもきっと説得力に欠ける。
それに……どうやらデューンヴァイスは気付いていないようだったが、散々暴れたせいで、エルフェリスの膝下まであるはずのローブの裾が腿の辺りまで捲れ上がっている事実に今さら気付いた。
さすがにこれにはエルフェリスとて聖職者として有るまじき姿だと、内心では大汗をかく思いだった。
そしてなによりも、そんな姿をロイズハルトにも曝してしまっていることにどぎまぎしてしまう。彼は気付いているのだろうか。
じっとエルフェリスの方を見て、目を逸らそうとしないロイズハルト。
もしかして気付かれていないかも、などと都合の良いことを考えもしたが、なんでこんなことになってるんだろうと泣きたくなる。
そう思いつつも蘇るのは、薔薇の庭園でデューンヴァイスに足を触られた記憶。なんとしてもあの時の再現だけは阻止せねばならない。
エルフェリスの抵抗を無邪気に楽しんでいるデューンヴァイスをよそに、こっそりと目を盗んで捲れ上がった裾に手を伸ばし、それを直そうと試みる。
けれどもがっちり抱き込まれているせいで、あと少しのところで腕の自由が奪われてしまった。
「あっ!」
あとちょっとだったのにぃぃ……!
などと思っていると、ふと仁王立ちのまま動向を見守っていたロイズハルトがちらりと視線を動かした。
あ……。やっぱり……気付かれてる。
そんな風に思っていると、突如にやりと笑みを浮かべたロイズハルトが、空いていたエルフェリスの隣にゆっくりと腰を下ろした。そして腕組みをしながらゆったりとソファの背もたれに身を預ける。
その後、また再びちらりと横目でエルフェリスとデューンヴァイスの方を窺った。
図らずも再び間近でロイズハルトとエルフェリスの視線が交錯する。
するとロイズハルトは意味あり気に微笑んだまま、一瞬その視線をどこかへ走らせると、ふいにエルフェリスの頭越しに向けて声を発した。
「おいデューン。そろそろエルを離してやれ。そのままだと……いいモノ見逃すぞ?」
そしてふふんと鼻を鳴らして、ちょいちょいっと指先でどこかを示す。
すると見事にそれに釣られたデューンヴァイスが、ぱっとエルフェリスの体を解放した。そしてロイズハルトが示したところを覗き込もうとする。
だからエルフェリスはそれよりも早く体勢を立て直し、素早く曝されていた足を隠さねばならなかった。ロイズハルトがどこを指差していたのかなんて、わざわざ確認しなくても分かっている。
さっとスカートの裾を下ろした瞬間、デューンヴァイスの顔がにゅっと伸びてくる。
それはまさに間一髪。
「なんだよ、何もねぇじゃん」
あからさまに残念がるデューンヴァイスの隣で、エルフェリスは一人安堵の溜め息を吐いた。そしてそれを見ていたロイズハルトは顔を背けてくすくすと笑っている。
そんなロイズハルトに対して、エルフェリスは初めこそ非難の眼差しを向けてはみたものの、デューンヴァイスの束縛から解放してもらったことも確か。
少しだけもやっとする心境を引きずったまま、とりあえずはようやく訪れた自由にそっと胸を撫で下ろした。
赤くなったり蒼くなったり、今夜は本当に忙しい。
心底疲れ果てた体を少し休めようと、エルフェリスもソファに深く身を沈めた。しかしそこでふと気付いたことがあった。
「……てかなんで私たち並んで座ってんの?」
向かいにもソファがあるにもかかわらず、エルフェリスたちは三人仲良く並んで座っていた。
「そーだよロイズ! せっかくエルと二人きりだったのに邪魔すんな。てかドールはどうしたんだよ。最近ちっともドール連れてねぇけど?」
そして何やら少しいじけ気味のデューンヴァイスは、あからさまに口を尖らせて抗議の声を上げた。
その言葉にわずかながらもロイズハルトの表情に陰りが差す。
どうしたのだろうと思っていると、ロイズハルトは一人苦笑しながら肩をすくめた。
「ドールとは必要以上に接触しないようにしたんだよ。またあのようなドールを出さないためにもな」
遠慮がちにそう呟いて、ロイズハルトは紫暗の瞳をそっと伏せた。
その姿に、エルフェリスの胸にちくりと痛みが走る。
あのようなドールとは、恐らくカルディナのことを言っているのだろう。
これまでロイズハルトはいつでもどこでもドールを伴っていた。そしてプライベートな時間のほとんどをドールたちと過ごしていたことも、リーディアやレイフィールのドールたちから聞いて知っている。
特定のたった一人を決めないだけで、彼はすべてのドールを同じように大切にしてくれていたとも言っていた。大切にしてくれるから、思わぬ夢を見てしまうのだと。
それでも構わないじゃないかとエルフェリスは思っていた。初めは夢と諦めていても、憧れても、いつかは叶うかもしれないのだから。
いつかは現実になるかもしれない。
だから決して夢を見ることは悪いことではないのだと、エルフェリスは思っていた。
けれど忘れもしないあの日の夜。ロイズハルトの優しさが裏目に出てしまった。
よもや自分が当事者となるとは思いも寄らなかったが……。
あの事件以降、それまで城内でも無類の勢力を奮っていたロイズハルトのドールらはすっかり息を潜めている。
事件の首謀者であったカルディナに加え、アルーンとイクティという二人のドールも密かに犠牲になったあの一件から、ロイズハルトのドールたちは城内からぱったりと姿を消してしまった。
時おり見掛けはしても、あちらからは決して近付いてこようとはしない。ひたすら影に隠れるように、他のドールやヴァンパイアの目から逃れるように、ひっそりと暮らしているのだといわれていた。
そんな姿を見かける度に、エルフェリスの心の奥底からは言いようのない感情が湧き上がる。どうやらロイズハルトの方からドールたちを突き放したようだという噂も流れていたが、それがすべて自分のせいに思えて落ち着かなかった。
自分がここに来なければ、どれもこれも起こり得なかった事件だったのだから。
本来ならばこんなにぎゃーぎゃー騒いでいられる立場ではないのにと、少しだけ気分が沈んだ。ゆっくりとではあるが確実に目線が下がっていくのを感じる。
そんな中、タイミング良くロイズハルトの手がエルフェリスの頭を撫でてきた。
どうしてだろう。
彼はいつも、まるでエルフェリスの心の内を見透かしているかのごとく、心が沈む度にこうやって手を伸ばしては、優しく髪を撫でてくれる。
どうしてだろう。
――どうして?
口を噤んでいたって、ロイズハルトはそれを見抜いてしまうのだろうか。
心を見抜いているのだろうか。
瞳の中のロイズハルトが、一瞬だけ揺らめいた。
それと同時に彼はエルフェリスから手を離すと、再び腕組みをして小さく噴き出す。
「二人してそんな凹んだ顔するな。兄妹みたいだ」
そうしてそう言うと、きょとんとしているエルフェリスとデューンヴァイスを交互に見比べて、また笑った。