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† 残 †   作者: 月海
第四夜 灰色の風
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狂える月(1)


 月は好きだ。嫌いな暗闇に、光を与えてくれるから。


 ここへ来てから、本当にそう思うようになった。太陽みたいな派手さも温かさもないけれど、美しくて柔らかくて。


 けれど昇りたての月は嫌い。


 不気味なほどに赤く染まるあの瞬間は、普段の姿とはまったく別の様相を見せるから。


 光と影を併せ持つ月。光に隠れた影の部分は……嫌いだ。




 もやもやする気分を引きずったまま、エルフェリスは一人、日の差し込まない回廊をとぼとぼと自室へ向かって歩いていた。


 太陽はもう完全に姿を現しているというのに、遮光のガラスで覆われたこの城の中はやはり肌寒く、薄暗い。


 血塗れで微笑む男の姿が、そしてその傍らに音もなく積み重なった二つの灰の塊が、何度も何度も頭をよぎっては消えていく。


 ふいに立ち止まり、溜め息を吐いて、冷たいガラスの向こうの太陽を仰いだ。普通なら肉眼では見ることの叶わない光の塊の正体が、ここからならばくっきりと見て取れる。光を殺すガラスのおかげで。


 しばらく空を見上げてから、再び城内に視線を戻すと同時になぜか勝手に歩き出した足は、自室とは別の方向を目指していた。


 ヴァンパイアもドールもみな寝静まってしまったのだろうか。静寂に包まれたこの空間は、時すら止まってしまっているかのように錯覚する。


 気が付けば、庭園へと繋がるロビーまで下りていた。


 いくつかのソファが置かれたそこは、夜になると談笑するドールやヴァンパイアたちで賑わいをみせる。


 だが今はやはり人の姿はなく、ひっそりと一時の静けさを取り戻していた。


「……はぁ」


 出るものは溜め息ばかりだった。


 あのわけの分からない出来事ですっかり目が冴えてしまったせいもある。


 きっと今日は眠れない。そう思いながら、エルフェリスは一番近くにあったソファの一つにゆっくりと腰を下ろした。


 そしてそのままぼんやりと、小さなシャンデリアのぶら下がる天井へ視線を泳がせる。虚ろに開いた瞳の中を、きらきらと輝くクリスタルの欠片たちが弾けるように踊り出した。


 それはまるで、エルフェリスの心中などお構いなしといわんばかりの輝きであったものの、当人にとってはその瞬間こそがなにもかもを忘れて無心になれる一時でもあった。


 しかしその静寂はすぐに破り去られてしまう。


 足音が近付いてきたのだ。


 誰が来たのだろうと背後に目を向けるも、すぐにその姿を認めて、大人しく自室へ帰れば良かったと後悔することとなる。


 やって来たのはヘヴンリーだったのだ。


 陽の高い時分ゆえに、その両眼は綺麗な青色で彩られていた。誰もが振り返るであろう見目麗しいハイブリッドの青年は、シードの面々にも負けず劣らずというほどに高貴な雰囲気さえ纏っている。


 けれどエルフェリスはヘヴンリーが苦手だった。この男の醸し出す得体の知れないオーラが、どうにも恐ろしくて仕方がない。


 ロイズハルトやデューンヴァイスをはじめとするシードの面々に反抗する勢力の筆頭だからなのだろうか。この男には、一瞬たりとも隙は見せられないと身体が無意識に固まってしまうのだ。


 今もまた然り。


 爪が食い込むほどに両手を握り締めて、何事もなく彼が通り過ぎてくれるのをじっと待った。


 それなのにヘヴンリーは至極澄ました顔をして、なぜかエルフェリスの向かい側に腰を下ろした。ソファに深く身を沈め、同時に胸の前で腕を組む。しかしながら、ずっとその目はエルフェリスをじっと見つめたままだった。


 いや、見つめていたというのはあまり相応しくない表現だったかもしれない。


 ヘヴンリーの顔に浮かんでいるのは、決して気持ちの良いとは言えない笑顔だったからだ。


 何かを企んでいる者が放つ目の輝きが、警戒するエルフェリスをその場に縛り付けていた。


「……何か用?」


 じっとこちらを見ている割には何も言い出そうとしないヘヴンリーに痺れを切らして、やむを得ず自分から声を掛けてみるも、ヘヴンリーは相変わらず笑いながらエルフェリスを見ているだけで、何も答えない。


「……」

「……っ」


 うざいんだけど。


 と言ってしまいそうになったところをぐっと飲み込んで、大人になれ、大人になれ自分、と心の中で呪いのように繰り返し唱えながら、エルフェリスは奥歯をぐっと噛み締めた。


 するとヘヴンリーは突然、何の前置きもなく核心に触れてきた。


「お前見たのか? ルイがるところ」

「……は?」


 相手の言っている意味が解らずに、エルフェリスの思考回路は聞き返したままの状態でしばし停止した。


 ルイが……やった?


「……どういう意味?」


 意味が解らなくて、それ以外の言葉が出てこない。それなのに、エルフェリスの口から零れ落ちた言葉は震えていた。


 ヘヴンリーは笑っていた。心の底から、エルフェリスの反応を楽しんでいるように。


「さっきの悲鳴。ルイの傍らに灰の山があっただろ? 俺の考えが間違っていなければ、あれはヤツのドールだ。……ヤツが殺した……な」

「……なに、言って……?」


 ヘヴンリーの推測に言葉を失ったまま、エルフェリスは再び固まった。


「言ったまんまの意味だよ。てかあんた、もしかして知らねぇのか? ルイの悪い癖を……」

「……癖?」


 話の展開に付いていけないエルフェリスを煽るかのように、ヘヴンリーは意味有り気ににやりと笑った。


 それに気付かないエルフェリスは、いとも簡単にヘヴンリーのペースに飲み込まれていく。


 この男、何を言っているんだろう……と。


 今さっき初めてルイという男を目の当たりにしたエルフェリスが、その男についてどれだけのことを知っているかなんてわざわざ聞かずとも分かりそうなものなのに、このヘヴンリーという男はそれをあらかじめ踏まえているのか、にやにやと唇を歪めてエルフェリスが眉をひそめる姿を楽しんでいるようだった。


 一体どうしてこんな話をしてくるのか分からない。


 そう思いつつも、エルフェリスは複雑に掻き回された脳内を必死に整理しようともがいた。


 ただでさえ唐突に核心へと触れたばかりか、ヘヴンリーの話す内容は突拍子もない。

 

 それを瞬時に理解しようとする理性と、そのような恐ろしいことを笑いながら話す男への嫌悪感とが激しくぶつかり合い、エルフェリスの胸中はますます混乱するばかりであった。


 ヘヴンリーが発する言葉の端々にはエルフェリスの、というより聴き手の興味を煽るような一言がそこかしこに散りばめられている。巧妙に。


 そのすべてを戯言と片付けてしまうにはあまりにも内容は重すぎる。そうかといってすぐに受け入れられるかと言われればそれは容易ではない。


 そんな言葉が巧妙に、狡猾に語られるのだ。


 エルフェリスもまた当然のごとく、彼の言葉に翻弄されていた。


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