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† 残 †   作者: 月海
第四夜 灰色の風
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ある夜の出来事(2)


 逸る気持ちを押し込めながら、一つ一つのドアの前で慎重に耳を澄ます。何も異常を感じられなかったら次のドアへ。そしてまた次へと進んでいく。


 すると一室だけ、わずかに室内の灯りを回廊へと漏らしている部屋があることに気が付いた。


 その光に吸い寄せられるように、エルフェリスの体がそのドアの前へと自然に動いていく。


 ほんの少しだけ、ドアが開いていた。


 覗きなどもちろん趣味ではなかったが、あんな悲鳴を聞いた後だけに気になって、気付けばドアの隙間から室内を窺っていた。とはいっても本当に細い隙間から覗くのだ。ドアに密着しなければ覗き込むことも容易ではない。


 片目を瞑って、もう片方の目を凝らす。


 灯りは点いているが、どちらかといえば薄暗い印象を受けるその部屋の奥に、何人かの人影が見えた。どれも見覚えのある後姿ばかり。


 間違いない。あそこにいるのはシードの三人だ。


 けれどその先にある“あれ”は何だろう。


 エルフェリスは急にじくじくと痛み出した頭で懸命に考えていた。ドクンと大きく心臓がうねる。


 “アレ”は何だろう……。


 そして“それ”を冷ややかな瞳で見下ろす上半身裸の男。


 あれは誰だろう……。


 思わず息を呑んだ。男の上半身は、おびただしい量の血に染まっていた。


 けれどシードの三人は騒ぐことなく、ただ静かにそれを見守っているようにも見える。


 異様なその光景に、エルフェリスは呼吸することを忘れていた。


 “あれ”は何だろう。


 “アレ”は何だろう。


 どうしてだろう。どうして?


 あの夜見た、あの新月の夜に見たあの塊が、あの灰の山が脳裏を掠める。


 灰の山。


 ハイブリッドが崩れ落ちた……灰の塊。


 その時だった。


「何してんだ? てめぇ」


 背後から突然声を掛けられて、エルフェリスは反射的に大きく振り返ってしまった。


 その拍子に肩がドアとの隙間に入り込み、その扉がさらに開かれる。中の様子を伺うことに夢中で、ドアに近付きすぎていたことを後悔してももう遅かった。


「誰だ!」


 回廊と部屋とを隔てるドアの付近で起こった物々しい音に、中の者たちが気付かないはずがなかった。


 誰かの発した怒声が、エルフェリスの身体をその場に縛り付ける。


 そしてその時初めて、エルフェリスは自分の背後から声を掛けてきた男の姿を確認した。同時に新たな驚愕が襲ってくる。


「……ヘヴンリー……」


 どうしてこの男がこんなところに……。


 そう思っていると、今度は部屋の中から出てきたロイズハルトに声を掛けられた。


「どうしたんだエル。こんなところで……。それに……」


 そこで一旦言葉を切ったロイズハルトは、エルフェリスの頭越しに睨み付けるような視線を向けた。


 その先にいるのはもちろん、不敵に笑う急進派のハイブリッド、ヘヴンリー。


 ロイズハルトの視線の意味を理解してか、彼の言葉の続きを聞くまでもなく、ヘヴンリーは自分から口を開いた。


「俺はただ通り掛っただけですよ。こいつがこの部屋を覗いていたから声を掛けてみたまでです」


 変に動揺するわけでもなくヘヴンリーはしれっと答えると、口の片側だけを吊り上げてにやりと笑った。


 だがロイズハルトはヘヴンリーの回答に満足した様子はなく、至極冷めた瞳を向けるのみだった。


 相手を一瞬で凍てつかせるほどに深く煌めくダークアメジストの光にエルフェリスもまた気圧され、その瞳を直視できずに俯いたまま二人のやり取りを聞いている。


 その間にデューンヴァイスとレイフィールも次々と姿を現したが、二人ともやはり様子だけならいつもと同じだ。


 エルフェリス一人が、底知れぬ畏怖に無意識ながらも身を震わせている。


「私はお前にここへの進入を許可した覚えはないが?」


 しかしそんなエルフェリスに構わず、ロイズハルトは彼の視線の先にいるであろうヘヴンリーを牽制すると、ヘヴンリーは鼻で笑うように小さく息を吐いた。


「悲鳴が聞こえたんですよ。万一の事があってはまずいでしょう?」

「ふん、万一の時はまずお前の関与を疑ってしまいそうだな」


 挑発的な態度を見せるヘヴンリーに、ロイズハルトも秘めたる威圧のオーラを纏って応戦する。


 だがヘヴンリーは再びふんと鼻を鳴らすと、開け放たれた室内を一瞥した。そして意味有り気に笑ったまま、ロイズハルトらに恭しく一礼をしてみせる。


「それは大変失礼を致しました。どうやら過激な"内輪揉め"だったようですね。敵襲などではなくて何より……。では御前失礼」


 棘の残る物言いに、その場にいた者すべての表情が一瞬変わる。


 だがそれを大して気にした様子もなく当のヘヴンリーはさっと身を翻すと、振り返ることなく闇の向こうへと足を踏み出した。


 エルフェリスはそれを視点の定まらないままの状態で漠然と見つめていた。


 けれどふと我に返った瞬間に、シードたちの目が自分に向いていることに気が付いて、またその場で固まってしまった。


 ……どうしよう。


 この場にいることをどう説明しよう。


 頭の中はそれでいっぱいだった。


「エル」


 名前を呼ばれただけで、身体が震えた。


 去り行くヘヴンリーの足音と、自らの鼓動が、鼓膜を激しく刺激する。


 そして彷徨う視線の先で、半身血塗れの美しい男が柔らかく微笑んでいた。


 月のように……美しく。


「エル。何でもないからお前も戻ってゆっくり休め。目が少し赤いぞ?」


 この場にいる理由を問い詰められるのかと思いきや、ロイズハルトはそう言って笑うと、何を思ったかくしゃっとエルフェリスの頭を撫でた。


 その大きくて冷たい手の感触に、苦しいほどに鼓動していた心臓がみるみる静まっていくのを感じる。けれど腑に落ちない。


 何でもないとは……そんなわけあるはずない。何でもないわけがない。


 あの悲鳴は?

 あの灰の塊は?

 あの男が血塗れなのは?

 どうしてなの?


 処理しきれないほどたくさんの疑問がエルフェリスの頭の中を掻き回す。


 けれどなぜかシードの三人は、エルフェリスに有無を言わせる隙すら与えてはくれなかった。


「送ってあげられなくてごめんね?」


 宝石のような瞳をきらきらと輝かせるレイフィール。


「後でまた添い寝しに行くからなー」


 そう言って悪戯っぽく笑うデューンヴァイス。


 そしてそんなデューンヴァイスに対して容赦ない蹴りをかますロイズハルト。


 何かがすべて「変」だった。


 いつもと同じ光景なのに、いつもは感じない違和感。


 けれどエルフェリスがそれを口にする前に、三人は部屋の中へと戻って行った。


 そして扉が閉ざされる。


「おやすみなさい。エルフェリス」


 寸前のところで血塗れの美しい男がそう言って、笑った。


 それがエルフェリスとルイとの出会い。


 歯車が回り出す。


 歯車が……回り出す。


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