断罪の日(3)
「尋問て……何を……」
「それは言えない。ヴァンプにはヴァンプのやり方がある。だが……レイの尋問は決して甘くはない。カルディナが簡単に口を割ったところを見ると……それなりの事はしたのだろう」
その言葉に、一気に背筋が寒くなった。思わず自分の体を掻き抱き、その衝撃に耐え、やり過ごす。
彼らの言う尋問というものが一体どのように行われるのか知らないが、ロイズハルトの話を聞いている限り、拷問に近いのではないかと思った。
なかなか罪の告白をしない者たちに対して行われる行為。それが生半可なものでないことくらい、エルフェリスでも分かる。
実際に人間社会においても古来から現代に至るまで、捕えたヴァンパイアや罪人に対して尋問や拷問という行為は行われている。公開されることはめったにないが、エルフェリスも一度だけその現場を目撃したことがあった。
そう、忘れもしない数年前、エルフェリスの住まう村にハイブリッドの群れが襲撃してきたあの時だ。
村の住人や旅人たちが夜ごと何人も殺され、音もなく忍び寄る黒い影に誰もが追い詰められ疲弊していく地獄のような日々を、エルフェリスもまた未熟ながらもハンターたちに交じって戦い、そして運良く生き残った。
終結の夜はそれまでで一番激しい戦闘が繰り広げられたが、形勢不利な状況から一気に巻き返すと、ゲイル司祭の命令で三人を捕縛、残りのハイブリッドはすべて皆殺しにされた。
勝利の歓喜に湧いたのもほんのつかの間。
ふと我に返った瞬間、村が受けた甚大な被害と膨大な命が失われたことに、人々は改めて打ちのめされることになる。やるせない怒りや絶えることのない悲しみ、脅える子供や無力さを呪う大人たち、様々な感情が夢から醒めた人々を苦しめた。
あるいはゲイル司祭も、そのような状況に陥ることをあらかじめ予見していたのかもしれない。
捕えたハイブリッドの処刑を教会前で行うとの触れがゲイル司祭より出され、数日後、人々で溢れかえる異様な雰囲気の中で、ハイブリッドたちは一人一人、司祭の手によって様々な刑に処せられ死んでいった。
今でもその光景は、目の裏にびっとりと張り付いて離れない。
崩れ落ちる灰。
太陽に焼かれる体。
司祭の血を飲まされ燃え上がる炎。
あれもまた一種の拷問であったことは、エルフェリスも理解していた。そうでもしなければ、村人たちの無念は晴らせない。悲しみの根は深く、恨みの種は拾いきれなかった。
だからそれを、いや、それに近い行為をあのレイフィールが行ったという事実もショックだったが、何よりも当然のようにさらっと言ってのけるロイズハルトがひどく恐ろしかった。
それも、仮にも彼のドールであるカルディナに対して。エルフェリスはきゅっと下唇を噛み締めた。
「……ロイズは……それで良かったの?」
「なにが?」
「だって……あの女はロイズのドールじゃない。尋問なんて……」
あんな事件に巻き込まれたというのに、その首謀者を庇うだなんておかしな話だと自分でも思ったが、エルフェリスはロイズハルトのカルディナに対する対応を非難した。
レイフィールなどはロイズハルトのことを、来る者拒まず、などど評していたが、ドールと認めた以上、ロイズハルトとてカルディナを特別な存在として共に生きてきたのだろうし、エルフェリスが入り込む余地もないほどの関係を築き上げてきたのだろう。
そのような相手を簡単に尋問にかけてしまえるロイズハルトを非難せずにはいられなかった。
その間も、ロイズハルトが訝しげにエルフェリスを見ているのも分かっていた。なぜ擁護するのだと言わんばかりの表情で。
それでもエルフェリスにはどうしても受け入れられなかった。カルディナのロイズハルトに対する激しい感情が、エルフェリスに乗り移ってしまったのだろうか。
分からない。
だが数瞬の後、ロイズハルトは無言でエルフェリスの頬に手を伸ばすと、その顔をじっと覗き込んだ。
そして有無を言わさぬあの瞳で、エルフェリスの心をまっすぐに捕らえた。
「カルディナはもうドールじゃない。契約はすぐさま破棄した。どんな理由があろうとも、俺の名を騙り、エルを襲わせた事は許されない。それにあの女は誰か死霊使いと通じていた。それなのに、それについてはどんな手を使っても知らないと言い張る。アンデッドは場合によっては我らにとっても脅威となるんだ。そんな輩とたとえ一度でも通じた者を、ドールだからという理由で容赦できるほど今回の事は軽くはないんだ!」
そう言い切ったロイズハルトに、エルフェリスは何も言い返すことができなくなってしまった。
紫暗の瞳に捕えられ、ただただ息を飲む。
彼の主張がもっともなのは、エルフェリスとて頭の中では理解しているのだ。はじめから。
本当ならば自分だってカルディナを一発ぶん殴りたい。
あの夜も、そして今も、本音を晒してしまえばこんなものなのだ。
卑怯な手を使ってまで、自分のみならずリーディアをも殺そうとした事、エルフェリスは決して許さない。
それでも……納得しかねる手段が使われたことには、他に方法が無かったものかと考えてしまうのだ。
カルディナは、……ロイズハルトを愛していたのに。
彼の目の前でも行われた尋問という名の行為を、カルディナは一体どのような思いで受けていたのだろう。
何で。
何で私まで苦しくなるの?
ぐるぐる回る自問自答に耐え切れず、頬を包むロイズハルトの手のひらに顔を埋めれば、そんなエルフェリスの心中を察したのか、ロイズハルトはようやく微かに苦笑いを浮かべた。
「とにかく今は早く傷を治す事だけ考えろ。お前が元気になったらカルディナの処分を改めて考える。それでいいな?」
「……カルディナは、まだここにいるのね?」
「ああ。城壁の地下牢獄に幽閉している。聞きたい事もまだまだあるんだ。それが終わるまでは何もしやしないさ」
そう言うと、ロイズハルトは再びエルフェリスの髪にその指を絡ませた。そしてしばらく、その感触を楽しむように指に巻き付けてみたり、梳いてみたりを繰り返した。
だが何を思ったのか、そのまま指は頬を経由して首筋を辿る。
その行動をエルフェリスが疑問に思った頃にはもう、ロイズハルトの端正な顔が目の前に迫っていた。
「ちょ……っと?」
今の今までの緊張感はどこへやら。
突然のロイズハルトの奇行にエルフェリスは成す術もなく、ただただひたすらに動揺した。けれど当のロイズハルトはそんなエルフェリスの反応を楽しむように、何度も何度も首筋に指を這わせた。
その感覚が何とも言えないくすぐったさと心地良さを同時に引き起こす。
たまらずロイズハルトを見上げると、彼はにやりと笑っていた。
「どうやら噛まれた形跡は無いな」
「え……?」
その言葉にぎょっとして、エルフェリスは勢い良く身を起こそうとした。しかしやはり傷による痛みに襲われて、すぐにベッドに崩れ落ちる。
それでも必死に顔だけは上げて捲し立てた。
「どどどーゆーこと?」
「ははは。しょっちゅうデューンが添い寝してたから、まさかと思ってな」
「ひぇ……? そ……添い寝って」
何でもないことのようにあっけらかんと言ってのけるロイズハルトの言葉に、物凄い勢いで頭に血が上る感覚がした。しかも脳内の血液容量を超えたのだろうか。もう何が何だか分からなくて、くらくらする。
「添い寝って何? 添い寝って……ってかここどこぉ?」
うまく動かない口を無理やり動かして、エルフェリスは泣きそうになりながらロイズハルトにしがみ付いた。
混乱する脳が視界を無理やり狭めているせいで、今のエルフェリスにはロイズハルトの姿しか映っていない。けれど一方のロイズハルトは、必死なエルフェリスの姿を楽しんでいるかのように、にやりと笑ったままエルフェリスを見つめていたが、エルフェリスの体をさりげなく支えながら頭を一撫ですると、ははっと笑った。
「そんな顔すんな。ブサイクになるぞ」
唐突に、それまで見せたことのないくらいに屈託の無い笑顔を向けられて、エルフェリスの頭はますます混乱した。
「もう十分ブサイクだよ! それよりもここどこなのー?」
もはやパニックの最高潮。半泣きだった。
「まったく……。お前のどこがブサイクなんだか……」
そんなエルフェリスを慰めるようにぽんぽんと背中を擦りながら、ロイズハルトはエルフェリスに聞こえるか聞こえないかほどの声でそう呟く。
そしてそれからゆっくりとエルフェリスの方に向き直ると、体にしがみ付いたままのエルフェリスに手を差し伸べて、ベッドの上に改めて座り直させた。傷が痛まないようにと、背中にその腕を回して。
「からかって悪かったエル。でも心配するな。今までの部屋は俺たちの部屋からはあまりにも離れすぎていて目が届かないから、新しい部屋を用意した。ここはその新しい部屋だ。俺たちの居住エリアでもある最上部にあるから、安心だろう?」
そう言って微笑むロイズハルトは、あまりにも優しい顔をしていた。
だからそんな彼に目を奪われて、一瞬呼吸ができなくなる。
「そんな気遣い……しなくても良かったのにさ……」
消え入りそうな声で、エルフェリスが俯く。
「まぁそう言うな。先日の事態は俺にとっても不本意だった。一介のドールがあんな事を仕出かすとは……本当に申し訳なかった」
ゆっくりと垂れる頭、それから切れ長の瞳がそっと閉じられる。
嫌だ……、とエルフェリスは思った。
そんな顔をされると、エルフェリスの胸が締め付けられるように痛む。
「やめてよ! ロイズのせいじゃないよ。……あそこまで深入りしたのは私だもん。あの場で引き返さなかった私が悪いんだよ。本当にごめんなさい!」
最後は半ば叫ぶように、ロイズハルトよりもさらに深く、エルフェリスは頭を下げた。
そうだ。
引き返せるチャンスはいくらでもあった。それなのにかっと頭に血が上っていたあの夜は、意地でも引き返さない、目に物見せてやると意気込んでしまっていた。
自分は判断を誤ったのだ。
こうして今ここにいられるのは、本当に運が良かったからなのだろう。
リーディアを巻き添えにしてしまった。謝らなければならないのは……こちらの方だ。
背中の傷がしくしくと痛んだ。ロイズハルトの腕が触れている、その傷が。
お願い。
――このまま抱き締めて。
抱き締めてくれたら良いのに……。なぜかそう、思った。
けれどエルフェリスの想いとは裏腹に、ロイズハルトの温もりはエルフェリスから離れていった。おもむろに立ち上がって一人窓辺の方へと歩み寄るロイズハルトの姿を、目で追うことしかできない。
少しだけ目頭が熱くなるような感覚に、エルフェリスの心は揺れた。