狂愛の果て(3) ※残酷表現あり
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時が凍りついたように、エルフェリスもまた衝撃を受けて固まっていた。
「ロイズハルトが……禁術使い……?」
禁術はもはや伝説の中の伝説。知る人ぞ知る、忘れ去られた過去の遺物。
その術をヴァンパイアの中では唯一ロイズハルトのみが扱えるなどとは、エルフェリスにはにわかに信じられなかった。
「禁術使いといっても、ロイズ様が得意とするのは闇の力を利用しての蘇生術ですわ。死霊術ではございません」
言葉を失くして動揺するエルフェリスに、リーディアはあくまでもロイズハルトはアンデッドとは無関係であることと強調した。それでも今のエルフェリスには彼女の声などほとんど聞こえてはいなかっただろう。ただやたらとうねる心臓がうるさくて、その音にリーディアの声が掻き消されてしまっていたというのが正しい表現かもしれない。
疑いたくないのに、禁術使いだと知らされた途端に思考回路は勝手にロイズハルトを疑い始めていた。
だってタイミングが良すぎではないか。あの呼び出しの手紙といい、アンデッドの群れといい……。
ロイズハルト以外の誰ができると言うのだ。
誰もいない。他に該当者が誰もいない今の時点で……。
どうしてだろう。どうして……、とエルフェリスは何度も何度も自問した。
どうして私はこんなに苦しんでいるの、と。
「エルフェリス様。私は……これでもロイズ様を疑う気はさらさらありませんわ。確かに禁術を操るヴァンプはロイズ様ただお一人。けれど……どこかに術を知る者が他にいてもおかしくはありません。それに……これはあくまでも噂ですが……一部のハーフヴァンパイアたちの間では今も禁術が……それも死霊術が伝承されていると聞き及びます。一概にロイズ様のみを怪しむのは、まだ早くてよ」
「ハーフ……」
久しぶりに聞くその名称に、エルフェリスははっと我に返ると同時にむうと唸った。
人間とヴァンパイアの間に生まれるというハーフヴァンパイアは、両者の特徴を併せ持っていながら、両者から疎まれ忌み嫌われている。人間として生きていくには同族を襲う吸血行動が、ヴァンパイアとして生きていくには中途半端な能力が、それぞれに彼らの邪魔をするのだ。加えて第三の種族として確立していくにはあまりにも数が少なく、彼らはどんな時代にあっても居場所をことごとく奪われ、迫害されてきた。
そんなハーフヴァンパイアが集う集落が世界のどこかにいくつかあるらしいが……その場所や彼らの生態は、実際ほとんど知られていない。
「じゃあ……ハーフヴァンパイアが関わっている可能性も無きにしも非ずってこと?」
「それはまだ……何とも言えませんが……。」
困惑した表情でリーディアは目線を下げた。
本当はリーディアとて不安と必死で戦っているはずだった。その気持ちはエルフェリスにもわかる。でもこの状況で、この状態で、一体どうやって信じたらいいのか、一体どうやって安心したらいいのか、エルフェリスにはわからない。
重苦しい空に飲み込まれてしまいそうな錯覚を引きずりながら、それでも二人は滝に向かってさらに足を進めた。
そこにロイズハルトの姿が無いことを祈って。ロイズハルトの痕跡が残っていないことを願って。
「あそこですわ」
しばらく進んだ後、よりいっそうの闇を纏った一帯でリーディアは足を止めると、奥の方を指差してそう言った。そこからは微かに水の流れ落ちる音が響いてくる。
「泉から一番近くて、一番怪しい所。心して行きましょう」
リーディアはそう言うと、エルフェリスの前に先立って慎重に足を踏み出した。エルフェリスはその後姿を見失わないように、彼女の後ろにぴったりとくっついて森の中を進む。
滝壺に叩き付ける水の音が次第に大きくなって、耳の奥を刺激する。
「……静か過ぎるのが逆に気になりますわね……。あれほどいたアンデッドたちもまったく姿を見せないし……」
「また……罠かな」
注意深く周囲を見回すリーディアに対し、エルフェリスは思わずそう呟いていた。するとリーディアも前方に目をやったまま、くすくすと苦笑する。
「そうかもしれませんわね。私たち今日は相手の手の内に嵌りっ放し。それでも……行かねば気が済まないでしょう?」
深い闇の中、エルフェリスの方をちらっと振り返って微笑むリーディアに、エルフェリスは力強くもちろんだと頷いた。
「ここまで来たんだ……もう逃げられないよ。絶対に向こうの思うツボになんかさせない!」
「ふふ。私も同意見ですわ。ここまでこけにされた恨みは深くてよ?」
冗談なのか本気なのかは分からないが、くすくすと笑いながらそう言うリーディアに、エルフェリスも半ば同じことを考えていたものだから思わず苦笑してしまった。
その時ふと、視線の先に人影が映った気がした。
「あれ……?」
何かの見間違いかと思って何度か目を瞬かせてみたが、その影は消えることなくむしろこちらをじっと見つめているような気がしてならなかった。
吹き抜ける風が、急に冷たく感じるのはなぜだろう。
こんなに離れているのに、これほどの戦慄をいまだかつて覚えたことがあっただろうか。足元が急激に冷えていく感覚に、エルフェリスは小さく身震いした。
「リーディア……あれって……」
今、この目に映るものが幻ならばいい。
そう思わずにはいられなかった。
それほどまでに禍々しく、目を背けたくなるほどの光景は、近寄れば近寄るほどに、この世のものとは思えない様相を醸し出す。
エルフェリスは無意識に何度も唾を飲み込んでいた。そうして少しでも心を落ち着かせなければ、こちらの精神が狂ってしまいそうになる。
「……土と……水。微量の血液と……核となる骨……。なるほど。アンデッドとするのにこれほどまでの格好の生贄はいませんわね」
"それ"の前で立ち止まり、驚愕の目で“それ”を見上げるエルフェリスの隣で、リーディアもまた、声を上擦らせながらごくりと唾を飲み込んでいた。
滝壺のほとりに佇む大木の幹に縛り付けられた“それ”は、虚ろに目を見開き、赤い唇を薄く開いてこちらを見つめてはいた。が、その瞳からはもう生きている者のきらめきが感じられなかった。
滝から生じる小さな風にも揺れる豪華なドレスの隙間からは、もはや肉の塊と化した体が見るも無残な形で顔を覗かせている。ところどころ骨は露出し、まるで腐敗の途中のようなその身体は、人間のそれとは言い難いほどに崩れ落ち、流れ出た血や泥などでどす黒く汚れていた。
それでもまだ心臓は鼓動しているようだというリーディアの言葉に、エルフェリスはさらなる戦慄を覚える。
「紛れもなく……ロイズ様のドール、アルーンですわ……」
「ロイズの? どうして……」
身体が震えた。
「死霊術の呪いが……魂の離れた身体を無理やり生かしているのです。ドールはすべての血を抜かれてもなお生き続けられる身体……。ですが、身体も死ねば血液の供給ができなくなります。すべての骨を失い尽くすまで……このアルーンは本当のアンデッドとして生き続けることになるのでしょう」
「そんなこと……そんなこと許されないよ!」
周囲のことも考えずに、ただ感情の赴くままにエルフェリスは叫んでいた。
だって……こんなことは到底許されることではない。死した者の身体をこんな風に弄ぶだなんて。
「許せないよ……」
エルフェリスの瞳から、涙が溢れた。
どうしてこんなことができるのか、悔しくて苦しい。
誰なの、本当に……。
私たちを呼び出して殺そうとしているのは……誰なの?
流れる涙もそのままに、エルフェリスは下唇をきつく噛み締めた。