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† 残 †   作者: 月海
第三夜 偽りのドール
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聖なる血の裁き(4)


 その瞬間、リーディアは冷めた瞳のまま、とある物体を男たちの前に高々と掲げた。真っ赤に膨れ上がって今にも破裂しそうなあの……吸血花だ。


 振り下ろしたナイフを寸前のところで交わされ、体勢を崩した男の体を突き返し、リーディアはその美しい顔に死神の笑みを湛える。


「最高の血を……差し上げますわ」


 そして手にした吸血花を、躊躇いもなく男の口に押し込んだ。


「うぐっ?」


 リーディアの行動が理解できないのか、男は初め訝しげに顔をひそめていた。だがすぐに膨張した花びらを鋭い牙が掠めると、男の口から大量の血が溢れ出した。エルフェリスから吸い取った赤い血が。


 リーディアはその時を見計らってさっと身を交わし、地べたに座り込むエルフェリスを抱えると、素早くその場から距離を取った。


「リーディア?」


 このまま退避するのだろうかと彼女の顔を見上げると、リーディアはいまだ厳しい表情で男たちの動向を見守っている。


 一体何をしたのだろう。


 エルフェリスはリーディアの行動の意図を理解できず、困惑に包まれたままハイブリッドの男たちを見つめていた。


 男の口から勢いよく溢れた血はその中だけでは留まらず、周囲の男たちの体が血塗れるほどに飛び散っていった。身体を赤く染め、歓喜の声を上げる男たち。血を舐め取る為だけに、赤い舌が生々しく動く。


 その瞬間、リーディアの唇が三日月のように吊り上げられた。そしてエルフェリスは……己の目を疑った。


 ――燃えている。


 エルフェリスの血を含んだ男たちがみな、突如オレンジ色の炎を上げて発火したのだ。


「この女……聖職者だッ!」

「その血に触れるな!」


 難を逃れた男たちが口々にそう叫ぶ中、炎に包まれたハイブリッドたちが次々と灰と化し、崩れ落ちる。


「まさか……私の血で……?」


 自分で呟いた言葉なのに、どこか別のところから発せられたようにエルフェリスには聞こえた。震える声を抑えきれない。


 神聖魔法使いの血はシード以外のヴァンパイアを焼き尽くす。空に君臨する太陽と同じように、裁きの炎となって。


 古来からそんな言い伝えがあった事はもちろん知っていたが、元来神聖魔法使いという者自体数少ない上、そのような話が本当なのか確かめる機会すらほとんど無かった。またヴァンパイア側も単なる噂で済ませてはいても、実際に自らの命の危険も顧みず神聖魔法使いを吸血対象とする者など存在しなかった。


 だから男たちの動揺はことのほか大きかったのだろう。まるでエルフェリスを化け物のような目で見てくるハイブリッドたちに対して、どちらが化け物か知りもしないで、とエルフェリスは内心苛立ちを隠しきれずにいた。


 だが……この身に流れる血がその化け物を滅ぼすのなら、自分もまた化け物なのかもしれない。


 それに思い出した事がある。エルフェリスは過去に一度だけ、今と同じ光景を目にした事があったのだ。


 まだエルフェリスが聖職者としての修行に励んでいたあの頃。夜な夜な村を荒らし、幾人もの人間を喰い殺したハイブリッドの集団が、公開処刑という形で裁きにかけられた事があった。


 その時ばかりはヴァンパイアに対して穏健派として知られるゲイル司祭もさすがに我慢の限界を超えたのか、激しい攻防の末捕らえられたハイブリッドたちはみな、様々な刑に科せられた挙句死んでいった。心臓を杭で打たれた者、太陽の元に曝された者、そして……神聖魔法使いである司祭の血を飲まされた者。


「古来の伝えを……この場で実証しましょう。何も起こらなければあなたは生かします」


 自らの腕をナイフで切り裂いて、司祭はそう言って笑っていた。


 ……天使のような顔をして。


 けれどその後の結果は今エルフェリスの目の前で起こっている光景とまるで同じだ。あの時のハイブリッドも、オレンジの炎とともに灰と化した。


「なるほど。やはり言い伝えという物は、根拠があってこその物のようだね」


 崩れ落ちた物言わぬ灰の山に対して、冷ややかにそう言い放った司祭の顔を、エルフェリスはいまだに忘れられない。


 ゲイル司祭はいつも、人間とヴァンパイアの共存を願ってそれなりに努力し行動していた。けれども、だからこそ、それを妨害する輩には人一倍厳しい態度も見せた。


「ようやく落ち着き始めた均衡を崩す者には見せしめも必要なのだよ」と言いながら。


 しかしあの時、その“見せしめ”となって死んだハイブリッドの末路を見た者は、エルフェリスら村の住人だけだった。同族のヴァンパイアは誰一人として見てはいない。


 けれど今は違う。何人ものハイブリッドたちが、先ほどまで行動を共にしていた者の残骸を、恐怖と戸惑いの入り混じった目で見つめていた。そしてそれはエルフェリスも同じだった。いざとなればこの体に流れる血を武器にでも盾にでもすれば良いと思い、この城に乗り込んできた。気を付けるべきは血の裁きの効かぬシードのみと。


 そう思っていた。ずっとそう思っていたのだ。


 しかし今、エルフェリスは思い知ってしまった。なんて安易で、なんて浅はかだったのだろうと……。


 己の血がハイブリッドを殺す。それは一歩間違えば、何の関係も無いハイブリッドをも巻き添えにしてしまうかもしれないという可能性を孕んでいたのだ。エルフェリスと行動を共にしてくれているリーディアのようなハイブリッドたちの命を。


 今更ながら、その事実の重大さにエルフェリスはひどい衝撃を受けて完全に言葉を失っていた。


「さあ、どうするの?」


 一方のリーディアは灰の塊を呆然と眺めて立ち尽くす男たちに向かって声を張り上げた。それによって意識を呼び起こされたかのように、男たちの視線が一斉にエルフェリスとリーディアに集中する。畏怖、怒り、憎しみ。赤く染まったその瞳に、様々な色を湛えて。


 けれど男たちが退く気配は一切なく、逆に思い思いの武器を手に攻撃態勢に入った。


「そう。……あくまでも“命令”には忠実なのね」


 リーディアの低く響くその声に、男たちの顔色がさっと変わった。


「命令なんて関係ねぇ! こんな物騒なやつら、生かしておけねぇんだよ!」


 一人の男が腰に下げたファルシオンを抜き放って叫んだ。それを合図としてハイブリッドたちがエルフェリスたちとの距離を詰めるようににじり寄って来る。その動きをじっと見ながらリーディアはエルフェリスを庇うように片手を広げると、もう片手にはどこからか取り出した小型のボウガンを装着した。そしてそれをゆっくりと男たちに向かって突き出す。


「不意打ちさえ食らわなければ、私は確実にあなた方を殺しますわよ?」


 警告とも取れるリーディアの言葉が、にわかにざわつき始めた男たちの間に降り注ぐ。ゾクリとさせるほどの殺気がリーディアの背中から放たれたことに圧倒され、エルフェリスが思わず彼女を仰ぎ見ると、リーディアはまるで獲物を見つけた獣のような目で立ちはだかる男たちを睨み付けていた。


 けれどもそんな彼女の最後の情けも無視して、ファルシオンを振りかざした男が雄叫びを上げながらリーディアに斬りかかる。


「リーディア!」


 エルフェリスは咄嗟に彼女の名を呼んだ。彼女が避けようとする素振りをまったく見せなかったからだ。


 ファルシオンが不穏な音を立てて更に高く振り上げられる。リーディアの頭上高く。後は振り下ろされるのを待つのみ。その時はリーディアの命が終わりを告げる時となろう。


 けれどその男の振りかざしたファルシオンが振り下ろされることは二度となかった。


 それよりも先に、リーディアの左手が男の手を掴み、右手のボウガンから放たれた矢が男の身体を何度も射ち抜いたのだ。何が起こったのかも解らぬまま呆然と口を開け、男はがっくりと膝を付いて地面に倒れ込む。瞳だけをリーディアに向けたまま。


「ごめんなさいね? 連射型の魔法ボウガンですの。安らかな死を……」


 足元で灰と化していく男に対して、残酷なまでに美しい微笑を湛えたリーディアは、死に逝く男へはなむけの言葉を投げ掛けながらボウガンに口付けした。


 ボロボロと音を立てて、男の身体が大地へと還っていく。


「やっぱりテメェは目障りだぜ、……リーディア」


 男の最期の捨て台詞を受けてもリーディアは冷たく微笑したまま、眉一つ動かすことなく、呟いた。


「……ありがとう。最高の褒め言葉ですわ」


 だが果たしてこの言葉が男に届いたかどうかは定かではない。その男もまた物言わぬ灰の塊と変貌してしまったからだ。


 しかしその間にも残った男たちは次から次へと襲い掛かってきた。


 このままではリーディアの負担は増す一方だと悟ったエルフェリスはふらつく頭を何度も振って、それから肢体に力を込めてワンドを杖代わりに立ち上がった。一瞬目の前が真っ暗になり身体がゆらりと揺れたが、手をかけたワンドのクリスタルからエネルギーを補給する事に成功し、何とか応戦できる状態にまで回復することができた。ずっともやもやしていた頭も気分も、見違えるようにすっきりとし始める。


 だかもう次は無い。次に倒れる時は、自分が大地に還る時となる。キッと顔を上げて、エルフェリスもリーディアと共に戦うべく歩を進めた。


「エルフェリス様! ご無理は……っ!」


 それに気付いたリーディアが制止の声を上げたが、こんな場面で自分はのうのうと守られているだけなんてエルフェリスの気が済まなかった。どんな状況であろうとも、やられたものはやり返す。それがエルフェリスの主義だ。


「大丈夫。私もやるよ!」


 援護攻撃くらいならさほど体力の消耗を気にすることなく行えるし、それにハイブリッドであるリーディアにも危害とならずに連発できるだろう。もちろん戦況が激化してしまったら今のエルフェリスなどただのお荷物になってしまうだろうが、守られているだけなどまっぴらだ。


「やれるとこまではやる! 黙って見てなんかいられないよ!」


 そんなエルフェリスの姿をリーディアは驚きの表情で見つめていたが、すぐに気持ちを汲み取って、自身は反撃に向けて意識を切り替えた。


「かしこまりました。けれど万が一の時に逃げられるだけの体力は残しておいて下さいませね」

「うん」


 先ほどまでほとんど死にかけだったエルフェリスは、リーディアの言葉を嬉しく思って自然と笑っていた。だからリーディアは信頼できるのだと思いながら。


 たとえ種族は違えども、ヴァンパイアであったとしても、彼女はエルフェリスの意志を尊重し、そして心配してくれる。どんな場面においても。


「ごめんリーディア。いつもありがと!」

「くす。エルフェリス様は謝りすぎですわ」


 いくらか元気を取り戻したエルフェリスの様子にリーディアも胸を撫でおろしたのか、眉尻を下げて微笑んだ。目前にハイブリッドたちが迫っているというのに、今のリーディアには溢れる余裕のようなものが感じられた。きっとここまで彼女に余裕を与えてしまった男たちは、すぐに後悔することとなるだろう。その身をもって。


 そしてそれは決して先のことではないはずだ。


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