手がかりと甘い罠(4)
「今……何て言った?」
「え? 十字架のネックレスだよ。クリスタル製かなぁ……ドールが十字架身に着けてるのなんて初めて見たからさぁ、不思議で、ねぇ?」
それがどうしたの、とレイフィールは屈託の無い笑顔を見せたが、エルフェリスは逆に、身体全体から血の気が引いていくのを感じていた。無意識に、神の名を小さく口走る。
「エル?」
みるみるうちに青ざめていくエルフェリスに気付いたのだろうか、ロイズハルトとデューンヴァイスも不審そうな目でその名を呼んだ。だが、エルフェリスは答えない。答えない代わりに、エルフェリスはゆっくりと首元に手を伸ばし、そしてごくりと唾を飲み込んだ。
手が震えた。体が震えた。
けれどそんなことはどうでもいい。エルフェリスには確認しなければならないことがあった。
冷たく湿った首筋。そこから下げた銀の鎖に指を絡ませて、その先を辿る。
「もしかして……その十字架って……これ?」
そして引き上げたものを三人のシードに見せた。少し大きめのクリスタル製の十字架が、部屋の明かりを反射してきらっと輝く。
それはエルフェリスとエリーゼを繋ぐ唯一の証でもあった。なぜならば、そのネックレスはエリーゼが自身と、大切な妹のためにわざわざ誂えた代物だったからだ。
教会を訪れる巡礼者はしばしば寄付や寄贈の名目で金品を置いていくことも珍しくなかったのだが、エリーゼに至っては、その美貌に魅せられた男たちがこぞって贈り物を別に用意してくることも多々あった。だがエリーゼはそれらを頑なに受け取らずにいたのだが、一度だけ、細工師の若者がどうしてもと差し出した水晶の原石を、代金を支払うことを条件に受け取ったことがあった。
エリーゼは買い取った原石を再び細工師に託し、この石を使って同じ十字架のネックレスを二つ作ってほしいと依頼した。エリーゼの身に着ける物を作れると知った若者は飛び上がって喜び、数日の後、見事な細工を施したネックレスを二つ、作り上げてみせたのだ。
エルフェリスの持つこのネックレスはその時に作られたうちの片割れ。もしそのドールが持っていたとされる物がこれと同じ物ならば、それは間違いなくエリーゼだ。
「どう?」
震える両手で、十字のネックレスを差し出した。銀の鎖が指の隙間からシャラリと零れ落ち、ゆらゆらと揺れている中を、レイフィールをはじめとするシードの三人がゆっくりと覗き込む。
ほんのわずかな沈黙さえ、エルフェリスには永遠に思えた。
「……どうだ? レイ」
静寂を切り裂くロイズハルトの声が鼓膜を刺激する。
ああ、どうか神よ……。
宙を彷徨うエルフェリスの心に、複雑な感情が生まれては消えていく。
「うーん……」
ああどうか……。
「似てるけど……同じ物とは断言できないね。そのドールがここにいれば確認もできるけど、記憶なんて曖昧なものだしさ」
じっと食い入るように十字架を見ていたレイフィールだったが、小さく溜め息を吐いた後、緩く首を振った。それと同時にエルフェリスはゆっくりと目を閉じて、そして胸に溜まった緊張をすべて押し出すかのように長く、そして静かに息を吐き出した。
「そっか……ありがと……」
体中の力が一気に抜けていく感覚に、眩暈すら覚える。
「ごめんね、ちゃんと覚えてなくて……」
申し訳なさそうな顔をするレイフィールに、精一杯のお礼を言うことしかエルフェリスにはできなかった。謝る必要など無いのだと、笑いながら。
正直、期待した分、落胆の度合いもかなり大きかったのは否めない。そのドールがエリーゼである可能性は高いけれど、エリーゼであるとは断定できなかった。それでも姉の行方についての手掛りを手に入れたことは、ずっと長い間行方を捜してくずぶっていたエルフェリスにとって大きな意味を成したであろう。
あとはこの城を総べる一人でもあるルイという男に会って、直接確かめれば良い。そしていつか目の前に現れるであろうそのドールを、この目で確かめれば良い。
絶望するのも喜びに浸るのもそれからで十分だと、エルフェリスは決意を新たにしていた。
***
その後、デューンヴァイスの部屋を一足先に出たエルフェリスは一人、部屋が立ち並ぶ回廊に備え付けられた広いバルコニーの手すりに漠然と身を預けたまま、ゆっくりと昇りゆく太陽を見つめていた。
この城に来てからはヴァンパイアの生活に合わせていたために、太陽の光を浴びるのは本当に久しぶりだった。こんなに眩しくて、こんなに熱いものだったのかと身をもって改めて感じていると、鬱屈としていた感情が少しだけ和らいでいくようだった。
人間はこの光がなければ生きていけない。この光に育てられ、この光に生かされている。
けれどヴァンパイアにとって太陽は、その身を滅ぼすものでしかない。いかに力のある者でも、太陽の前ではただの赤子同然。時に神に例えられるあの光の塊も、やはりヴァンパイアの存在を許しはしないのだろう。
「はあ……」
色々なことがあり過ぎて、心底疲れた身体が太陽の前で弱音を吐き出した。したくてしているわけではないのだが、気が付けば溜め息ばかりがついて出る。
自分は臆病で、そのくせ強がりで、覚悟したはずなのに目の前に付き付けられた現実からいつも逃げようとしてしまう。思い通りにならない感情に腹が立って、自分を上手くコントロールできない未熟さに情けなくなって、エルフェリスはまたもや長い溜め息とともにがっくりと項垂れた。
こんなでは……たとえエリーゼと再会できたとしても、ぶん殴るなんて芸当は到底できそうもない。自嘲の笑みがふと零れた。
その時、背後から何かを激しく叩く音がして、エルフェリスは慌てて後ろを振り返った。こんなに陽が高くなっている時分に何事だろう、と警戒しながら。
しかし。
「エールーッ!」
振り向いた先にある回廊の向こうから、エルフェリスの名を呼ぶ者がドンドンと激しく遮光のガラスを叩いているのが見て取れた。あっと思って近付くと、そこにはロイズハルトとレイフィールが立っていた。
ロイズハルトは背中を壁に預けて俯いている。一方のレイフィールは窓にびったり張り付いて、しきりに開け放たれたままの窓を指差していた。
「どうしたの? 二人とも」
二人揃って何だろうと不思議に思いながらも、エルフェリスは明るいバルコニーから暗い回廊へと足早に戻ると、二人の元へと歩を進めた。目が慣れないせいか、二人の顔がよく見えない。
「ちょーっとエルッ! ここ閉めてくれないと通れないじゃんッ! ほら見てよ」
レイフィールが顔を真っ赤にしながら指さす先を、エルフェリスの視線がなぞるように追いかけていく。
「あ……」
朝の光が、開いた窓から回廊の壁まで絨毯を引かれたように隙間なく伸びていた。
「これじゃ通れないよー! ここ通らないと部屋に戻れないのにぃ!」
わあわあ喚くレイフィールは、「早く閉めてぇ!」と駄々っ子のように拳をぶんぶん振って、エルフェリスに抗議の声を上げていた。
そうなのだ。この回廊の先にあるのはデューンヴァイスの私室と階下に繋がる階段のみで、そこに至るまでの間に通路はない。だからこの通路を太陽の光で塞がれては、ヴァンパイアであるロイズハルトとレイフィールの二人は灰にでもならない限り通れない。
うっかりしていた。