手がかりと甘い罠(2)
ああダメだ……あの笑顔には勝てない。
レイフィールの周囲で煌めく星の幻に目を細めながらも、がっくりと項垂れるエルフェリスを横目にデューンヴァイスは小さく舌打ちをした。
「てか、ホントにレイに聞かせてもいいのかよ? お前の“捜し者”のことなんだけど?」
「えっ?」
デューンヴァイスの言葉に、エルフェリスの体が勝手に反応した。思わずソファから立ち上がって、床に座るデューンヴァイスの前に転がるように飛び込んできたエルフェリスをセピアゴールドの瞳が見つめている。
「捜しものって……それって……」
にわかに体が震えてきて、それ以上うまく言葉を紡げない。それでもエルフェリスは縋るような目でデューンヴァイスを見上げると、デューンヴァイスもまた、そんなエルフェリスに頷くことで返答した。
捜しもの……。
“私の”捜し者。
先ほどまでの和やかな雰囲気を一瞬で凍り付かせるかのような空気が、急速に辺りを支配し始めた。それにつられるように、エルフェリスの鼓動も苦しいくらい激しく胸を打つ。
私の捜し者。
捜し者。
それは……。
デューンヴァイスが再び問いかける。
「良いのか? エル」
――良いのか?
そう聞かれて、エルフェリスは即答することができなかった。
エリーゼのことは、この城ではまだデューンヴァイスにしか話していない。あれは成り行きとタイミングもあったのだろうが、さすがのエルフェリスも城に滞在を許されたあの夜以降は、気心も知れぬヴァンパイア相手にどう話を切り出していくべきなのか考えあぐねていた。
少しずつ友好を重ねていってそれから……という長期戦も覚悟の上ではあったが、まさかこんなに早くエリーゼに関する手掛かりを手に入れるチャンスが訪れるとは夢にも思っていなかった。だからまったくと言っていいほど心の準備が整っていなかった。
いきなりこんな話題を、何も知らないレイフィールに聞かせても良いのだろうかとエルフェリスは葛藤しながらも、何とも言えない幸運に無意識に胸元のロザリオを服ごと握り締めた。そして無意識に神の名を呟く。それからちらりとレイフィールを一瞥すれば、レイフィールは当然ながらわけも分からずきょとんとしていた。
レイフィールがこの話題について反応を見せないということは、おそらくデューンヴァイスはエルフェリスの真の目的を誰にも話していないのだろう。それならば、これがまた新たなタイミングと分岐点を生み出すかもしれない。エルフェリスは静かに目を閉じた。
「……うん、いいよ。どうせいつかはレイフィールにも聞こうと思ってた。ちょうどいい」
真っ直ぐにデューンヴァイスの瞳を捉えたままそう言ったエルフェリスの瞳をデューンヴァイスは黙って見つめていたが、何度か頷いた後「分かった」と呟いた。
「ねぇ何なの? 二人して……何の話?」
なおも話についていけないレイフィールは、やや苛立った様子でエルフェリスとデューンヴァイスの顔を交互に見返している。そんなレイフィールに体ごと向き直ると、エルフェリスは意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「あのね……」
「おいデューン、入るぞ」
その時、扉の開く音とエルフェリスの声と、そして室内に入ってきた男の声が重なった。
エルフェリスたちの視線が一斉に部屋の入り口へと向けられる。入ってきた男はいきなり注目を浴びたことに対して少々驚いたようだったが、何かを悟ったのかすぐに口元を緩めた。
「なんだ? 揃いに揃って……。俺も混ぜろ」
そう言ってにやりと笑った男は、言わずもがなロイズハルトだった。
いつもより少し雰囲気が違って見えるのは、普段は割りときっちりしている服や髪がルーズに乱れているからだろうか。夜の闇を纏うかのような彼はひどく美しく、ひどく色香に満ちていた。
そんなロイズハルトに目を奪われたまま、エルフェリスはまるで金縛りにでもあったかのような錯覚に陥っていた。瞬きさえも忘れて、ロイズハルトの姿をこの瞳に焼き付けようと暴走する思考と体をコントロールできずに困惑する。
これがヴァンパイアという者の持つ魔性なのだろうか。これが人間を惑わす美しい悪魔の姿なのだろうか。ともすれば呼吸さえも容易に奪われてしまいそうになる。
だが、目を逸らすにはあまりにも惜しい。この姿をもっと目に焼き付けろ。この姿をもっと心に刻み込め。次から次へと湧き上がる欲望の灯を一つ一つ噛み潰しながら、己の感情に戸惑う。
エルフェリスはその時、ロイズハルトに見惚れているただの“女”に過ぎなかった。
「今からロイズの悪口言おうとしてたところ」
「ほう。ならなおさら混ぜろ。内容によっては殺してやる」
意地の悪い笑みでそう言うデューンヴァイスに、ロイズハルトも負けじと対抗した。
そして彼もまた、荒れた床の上に躊躇いもなく腰を下ろした。まさにエルフェリスの隣。腕が触れそうなほどすぐ近くに。また別の意味でエルフェリスの体が硬直する。
それを見逃さなかったデューンヴァイスは一瞬眉をひそめた後、すぐに何かを思い付いたのか、悪戯に目を細めてにやっと笑った。
「それにしてもお前、今日はまた一段とセクシーだねぇ。……イッてきたの?」
「ふん、バーカ。そんな気にならなかったんだよ」
「へぇ、珍しい。どうしたんだ? 病気か?」
「人を変態みたいな言い方すんな」
「一緒だろ?」
ロイズハルトをからかって楽しんでいるデューンヴァイスと、挑発をうまく交わしながらも内容を否定しないロイズハルト。よくもまあ仮にもうら若き乙女であり聖職者でもある自分を前にしてそのような会話ができるものだとエルフェリスは心底呆れてしまったのだが、そうだった。
デューンヴァイスいわく、“ヴァンプはみんなエロ”。
肝に銘じておかなければと思いつつも、何だが今は二人の顔が直視できない。
「二人ともそれくらいにしときなよ~。エル赤くなっちゃってるよ」
レイフィールの指摘を受けて、ロイズハルトとデューンヴァイスの視線が同時にエルフェリスを捉えた。その瞬間、エルフェリスは思わず肩を小さく跳ねさせる。
ただでさえ気まずい会話を気まずくならないように無視していたのに、レイフィールってば余計なことを、などと恨めしく思っても、表舞台に引き摺り出されてしまってはもうどうしようもなかった。にやにやしながら出方を待つヴァンパイアたちの視線から逃れるように、エルフェリスは慌てて否定しながら首と両手のひらをぶんぶんと乱暴に振った。
「赤くなんかなってないよ!」
「いんや、赤いね」
「赤いな。可愛いところあるじゃないか、エル」
二人はそう言うと、同じような顔をしてにやりと白い牙をちらつかせた。
そんな風に言うから赤くなるのではないかと苦言を言いたくもなったが、それだと自ら認めたようで少し悔しい。だから私は認めない、とエルフェリスは口をへの字に曲げて、かなり脱線した話を元に戻すべく口を開いた。
「そんなことよりも! 早く話してよデューン! 朝になっちゃうじゃない」
ほんのわずかながら明るくなり始めた空が、夜明けの近さを知らせていた。
「あ、ヤベ」
それに気付いたデューンヴァイスはすくっと立ち上がると、窓際の分厚い黒のカーテンを端から順に素早く引いていった。
この居城内のガラスには、すべて光を通さない特殊加工が施されているのだとリーディアから聞いたことはあったが、それでもヴァンパイアたちは必要以上に太陽を恐れていた。己の身を灰に変えるあの太陽を……。
「太陽って気持ちいいのになぁ……一度浴びてみれば?」
エルフェリスがわざとらしくそう言ってみせると、三人は口を揃えて「殺す気かっ」と叫んだ。