ルイという男(2)
かすかに冷たい風が、白で埋め尽くされた庭園を吹き抜ける。
「そういやさ! もしロイズのドールで困ってることがあるならルイに相談してみなよ!」
「え? なんで?」
唐突に話題を変えたレイフィールに少し驚きつつもエルフェリスが問い返す。
「ルイはさぁ、ロイズよりも年上だし立場的にも上だから、ほんとはロイズよりも偉いんだよね。だからドールたちもルイや、ルイのドールには逆らえないんだ。ルイを味方にすればロイズのドールも大人しくなるんじゃないかな」
腕組みをして、さも名案だと言わんばかりに頷くレイフィール。簡単には言うけれど。
「だから私はそのルイって人とは面識ないんだって」
初対面で、しかも人間。そんな小娘を、実質シードのトップであるルイという男が相手にしてくれるとは思えない。
けれどレイフィールはそれでもにこにこと笑みを漏らす。
「大丈夫だよ。ルイは優しいから。……基本的に」
「……うん?」
基本的に?
もし基本に当てはまらなかった場合はどうなるのだろうという妙な疑問が、エルフェリスの中を駆け抜ける。
「別に困ってるわけじゃないんだけどなぁ」
それでも思わぬ気遣いを受けて、何だか心がむず痒い。けれどもしもの為に、ルイのことは覚えておこう。そう思った。
「僕のドールだってみんな困ってるんだもん。こういう時くらい役に立ってもらわないとね」
エルフェリスのまだ見ぬ男・ルイに対して、レイフィールはそう感想を漏らした。その発言に彼のドールも一斉に同意する。
「ロイズ様は良い方ですが……ドールの方々はなぜか……ねえ」
先ほどの濃紺色の扇を持ったドールも、言葉を選びながらそう苦言する。
「確かに……うん。ロイズの趣味ってちょっと変わってる気はするなぁ」
つられてエルフェリスも本音をポロリと零してしまった。
確かにそう。ロイズハルトは冷静で聡明な感じがするのに、彼のドールはどこか思考が幼くて……そして心が歪んでしまっている。直接手を汚さずに、じわりじわりと嫌がらせを繰り返すところとか。すべてはロイズハルトへの愛の裏返しなのだろうが、エルフェリスには理解できない。
「でしょ? ロイズってさあ、来る者拒まずなんだよね。誰かを好きになったところなんて見たことないし、冷たい男だよ。悪い男だから気をつけな!」
「う……うん」
まさかレイフィールの口からそのようなセリフが出て来るとは夢にも思わず、エルフェリスは彼の忠告に思わず苦笑してしまった。
冷たい男、悪い男か。
ふと三者会議の折にロイズハルトが見せた笑顔が、脳裏をよぎって消えていった。
「……」
なぜだろう。ロイズハルトの事を想うと、息が苦しくなる。どこか壊れてしまったのだろうかと思うほどに。リーディアの話を聞いていた時も、カルディナと一緒にいる姿を目撃した時も、……そしてたった今も。
心臓が痛くて、エルフェリスは人知れず両腕で自分の身を掻き抱いていた。そうでもしないと心が、身体が叫び出しそうになる。こんな感覚は、いまだかつて感じたことがない。
私は一体どうしてしまったのだろう。
この城に来てからというもの、自分の中で何かが変わってしまったというのか。分からない。
すると突然、隣に腰掛けていたレイフィールがエルフェリスの肩にもたれ掛かってきた。
「どうしたの?」
慌てて顔を覗き込むと、熱っぽい眼差しでエルフェリスを見上げるレイフィールと目が合った。
アイスブルーの瞳が、すぐそばで揺らめいている。その呼吸はわずかに乱れていた。
「レイ……?」
もう一度名を呼ぼうとするよりも前に、レイフィールの手がエルフェリスの手をぎゅっと握り締めた。再び彼と目が合う。
「?」
突然どうしたのだろうと狼狽していると、ふいにレイフィールのもう片方の腕がエルフェリスの背に回った。
「ねえ、エル……。僕貧血になっちゃった。血……恵んで?」
妙に色っぽい瞳と吐息が頬を掠め、エルフェリスは思わず固まってしまった。
その隙にレイフィールの唇から覗いた舌が、エルフェリスの首筋をペロリと舐める。生温く湿った感触に、身体がぞくりと反応した。
「ややややめてよ! 血ならドールからもらえば良いじゃん!」
急回転を始めた思考がうるさいほどに警鐘を鳴らす。
エルフェリスは精一杯の力を込めてレイフィールを引き剥がそうとしたが、意外にも少年の力は強くて、気が付くとレイフィールの腕の中にすっぽりと抱き込まれる形になっていた。がっちりと二の腕と肩を固定されて、身動きが取れない。
「ちょっと嘘でしょ……? やめてよ……」
「ダーメ。エルって神聖魔法使いなんでしょ? "シード以外のヴァンパイアを焼き尽くす"って言われるその血……味見させて?」
震えるエルフェリスの懇願も、くすくすと笑みを漏らすレイフィールには届かなかった。
無情ともいえる彼の舌が再び首筋を這う。ぞわぞわと全身がわなないた。止められない。
「可愛い……怖いの? 大丈夫、ちょっとだけだから……」
エルフェリスを堕落させる悪魔のように、レイフィールは耳元で囁いた。けれど何とか彼の手から逃れようと全身に力を入れ、助けを求めて周囲を見回したエルフェリスは、その瞬間に絶望した。
「……うそ」
先ほどまでいたレイフィールのドールたちが一人残らず消えていた。呆然と呟いたエルフェリスの肩口から、小さな笑い声が響いてくる。その声が……忌々しい。