ルイという男(1)
結局エルフェリスとリーディアは茶会のほとんどを茂みの中で過ごした。別に親しい誰かがいるわけでもないし、エリーゼの行方を捜すのもまた次の機会にすればよいと思って、エルフェリスは新たな友人となれるであろうリーディアの言葉に終始耳を傾けた。
リーディアと肩を並べて、膝を抱えて語り合ったあの時間は、色々な意味で有意義だったと思う。今まで知り得なかったドールの実態や苦しみ、そして喜びを少しは知ることができたから。
帰りがけにデューンヴァイスやレイフィール、それにロイズハルトとカルディナに出くわしたが、エルフェリスはあえていつも以上に機嫌良く振舞っておいた。カルディナには一言、宣戦布告のつもりで別の言葉も付け加えておいたが。
その言葉が効いたのか、翌日からあの不審な箱はぱったり届かなくなった。代わりに随分と悪い風評が広まってしまったが、まあいい。
開けないと中身の分からないプレゼントに比べたら、何倍もマシだ。
「ねぇねぇ、エル。男好きってホント? 聖職者でも男と寝るの?」
「……私のどこを見てそう思うわけ?」
あっという間に城内に広まったエルフェリスの噂に、真っ先に食いついてきたのは意外にもシードヴァンパイアの中でも一番年若いレイフィールだった。
適当に話を聞き流しているだけでもすごいセリフを次から次へと吐くものだから、さすがのエルフェリスでもすっかり呆れてしまう。けれど無邪気で愛くるしい笑顔を振り撒かれては、それでもまあ良いかと思ってしまう自分もいて、気づけばすっかり彼のペースに乗せられていた。
「でもさー、僕のドールたちは意外とエルのこと好きみたいだよ?」
「いいよ、そんな気遣いしなくて」
「いやホントに! まあロイズのドールと仲良くないからかもしれないけどさ」
「ドール同士でも対立してるの?」
その方が意外だと言わんばかりに問い返すと、レイフィールは何の躊躇いもなくコクリと頷いた。
「ロイズのドールって性格悪いし威張ってるんだよね!」
物凄く大きな声を張り上げるレイフィールに、周りの視線が集中する。彼が好きだというこの庭園に咲く薔薇は、今が一番見事に花開いていて、日暮れと同時に城内からたくさんの人が花を愛でに降りて来ていた。
今も数人のドールと思われる女性がそこにいるにも関わらず、レイフィールは構わず不満をぶちまけるものだから一緒にいるエルフェリスの方が焦ってしまった。けれど話を聞いていた誰もがくすくす笑って、中にはレイフィールに賛同する者までいたものだから、あながち間違った批評ではないのだなとエルフェリスもすぐに理解した。
しかし何だろう、この都合の良すぎる展開は。あれだけ大声でロイズハルトのドールを貶しておきながら、誰一人抗議の声を上げるどころか全員がレイフィールの意見に同調しているところを見ると……。
これってもしかして……?
「全部あんたのドール?」
「うん、そうだよ?」
大きく頷くレイフィールは楽しそうにあっけらかんと言ってのけたが、エルフェリスは間抜けにも口を開けたまま周囲を改めて見回してしまった。ざっと見ただけでも十人近くはいるのではなかろうか。けれどこれで全員なのかというと、少し疑問が残る。
「ねえ……レイフィールだけでもドールって何人いるの?」
一夫一妻が主流の人間からすれば、誰もが不思議に、そして興味深く思うことだろうが。
「僕? 僕は少ないよ。二十人くらいかなぁ」
何の躊躇いもなくそう言ってのけるレイフィールの言葉に、エルフェリスは激しい眩暈を覚えた。
「に……二十人って……」
「少ないでしょ? 他のみんなは三~四十人くらい普通だよ? あ、もちろんこの城に住まわせてる人数だよ。他のところにも住まわせてる人もいるよ」
開いた口が塞がらないというのは、まさにこのことだろうか。一人のヴァンパイアに対して……四十人とは。想像もつかない。
「ど……どうなってんの? ヴァンパイアって……」
声が震えるのだって仕方ないだろう。人間、しかも聖職者のエルフェリスから見れば、正直言って驚愕の事実だ。頭が痛くなってきて、エルフェリスは思わずこめかみに手を当てた。
先日デューンヴァイスに対してエロだのバカだの散々喚いたが、あの言葉はデューンヴァイスには相応しくなかったのかもしれないとエルフェリスはふと思った。それに、彼にしてみれば不本意なものだったのかも、と。
だって彼はドールを所有していないのだから。この事実を知ってしまった今、どう見ても誰が見てもデューンヴァイスが一番健全であることは火を見るより明らかだ。今度会ったら一応謝っておこうかとエルフェリスは一人反省した。
「でもさぁ、エルたちとはやっぱり文化も風習も全然違うんだね。ドールの数なんかで驚いちゃったりして、なんか可愛い」
「か……かかか?」
何を言い出すのかと思いきや、目の前の小悪魔はエルフェリスを更に混乱させる気なのだろうか?
「僕のドールの数で驚いてたら、ルイのドールなんか見た日には気絶だね!」
レイフィールはそう言って、周りを取り囲むドールたちと無邪気に笑いあった。その一方で、一人眉をひそめるエルフェリス。
「ん? ……ルイって誰?」
突然出てきた聞き慣れない名前に首を傾げると、談笑を続けるレイフィールの代わりに、彼のドールの一人がすっと口を開いた。
「ルイ様はシードのお一人ですわ。エルフェリス様はまだお会いになったことはなくて?」
「うん、知らない。初めて聞いた」
「まあ、それは惜しいことを……。ルイ様は大変お美しい方ですのよ。レイ様には申し訳ないのですが、私たちも思わずうっとりしてしまいますの」
彼女はそう言うと、夜空と同じ濃紺色の扇をさっと広げ、にこやかに微笑んだ。
「そんなに綺麗な人なんだ。女のシードは死に絶えたって噂に聞いたけど、まだいるんだね」
ホッとしたようなそうでないような。何ともいえないエルフェリスの感情が、何ともいえない表情を作り出していた。けれどレイフィールのドールはわずかに目を伏せると、ちらりと己が主を一瞥して、それからゆっくりと首を振った。
「いいえエルフェリス様。あなた方の思う通り、女性のシードはもう既に死滅しました。……数年前のことです」
「そう、シードはもう僕たち男四人だけ。……僕たちで終わりさ」
いつの間にドールたちとの会話を終えたのか、レイフィールが寂しそうにそう呟いた。
「ごめん……」
あまりに悲愴な顔をする少年ヴァンパイアに、エルフェリスは触れてはいけない話題に触れてしまったのだと後悔した。
共存を掲げておきながら、彼らを滅亡へ追いやる一因を担ったのは、紛れも無く人間なのだ。ヴァンパイアハンターたちの愚かな乱獲がそうさせた。
もう本当にシードヴァンパイアは絶滅への道を歩むしかなくなったのだと思うと、エルフェリスの胸はなぜだか痛んだ。
人間にとってそれは歓喜すべきことなのかもしれないが、シードの面々を知ってしまったエルフェリスは正直どう反応すべきなのか分からない。
シードが滅ぶ時。それはすなわち、ロイズハルトやデューンヴァイス、レイフィール、それにルイという男の死を意味しているのだから。
いつかデストロイが言っていた“人間が人間として生きられる時代”を人々は歓迎するだろう。エルフェリスとてどこかでそう思っている。けれど、別に彼らシードの死を望んでいるわけではない。
――彼らは微笑みかけてくれるから。
それにシードがいなくなった後の世界は、或いは今よりもなお悪化するかもしれない。枷の外れたハイブリッドヴァンパイアが、そのまま大人しくなるとは思えないからだ。
「そんな難しい顔しないで? 僕たちは死んだりしないよ。……しばらくはね」
レイフィールはそう言うと、にっこりと微笑んで自身が育てた白い薔薇に手を伸ばした。
「死ねないよ。……今のままじゃ」
そしてそう呟いたのだった。