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† 残 †   作者: 月海
第三夜 偽りのドール
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リーディアの過去(4)


「その教会付近ではひどく美しいヴァンパイアが出没するという噂があって、私はいても立ってもいられなくなりましたの」


 ――本当に愚か。


 そう言って夜空を見上げるリーディアには、ヴァンパイアの面影など感じられなかった。むしろ人間であるかのように錯覚した。


 ヴァンパイアは、あまり過去を懐かしがらない。振り返らない。永劫の時を生きるヴァンパイアにとって、過去など幾らでも修正できる、再現できるものなのだから。


 だからその逆として、人間は有限の命であるが為に日々後悔の連続だ。何かをしては、ああすれば良かった、こうすれば良かったと悔やみ、それでも更なる高みに憧れて。そしてまた後悔するのだろう。自分には到底手に負えないものであったと。けれども時にそれが案外いい思い出になったりもするのだから不思議だが。


 ――リーディアは……悔いているのだろうか。


 人を“捨てた”ことを。


 エルフェリスはこっそりと横目だけでリーディアの様子を窺う。しかしそのたった一瞥だけでエルフェリスはそうではない、彼女は決して悔やんではいないと確信した。


 だってリーディアはいつだって眩しいほどに輝いているから。エルフェリスにはそう見えたから。


「初めてロイズ様をお見かけした時は、本当に息が止まりました。離れていても感じるその存在感と威圧感に圧倒されて……。それから毎晩私は家を抜け出しては廃屋へ通い、ロイズ様のお姿に心をときめかせるようになりました。愚かなことだと分かっていながら私は……あの方に惹かれてしまった……」


 夜空を仰いだままのリーディアは、そこまで語ったところでふと目を閉じた。頭上で輝くあの月の光を拒むかのように。


「だから……ドールになったの?」


 今までずっと口を挟んだらいけないような気がして黙っていたが、ふいの沈黙にエルフェリスは思わずそう訊ねてしまった。するとリーディアはひどく切ない表情のまま、何度か頷く。


「偶然、他の女性の首に顔を埋めるロイズ様を見てしまったのですわ。その途端に胸が締め付けられてどうしようもなかった。掻き乱される心が痛くて、あの方のお傍にいたいと強く思いました。それからすぐ、廃屋でロイズ様に見つかってしまって……」


 どうやら毎晩毎晩顔を出すリーディアにロイズハルトも気付いていたようだと、彼女は笑った。声を掛けられて、それはそれで驚いたものだと無邪気に笑った。それはそうだろう。憧れの人が突然目の前に現れたら、エルフェリスだって驚く。


 けれどリーディアは相手がヴァンパイアでもまったく恐怖は感じなかった、そして自ら望んでドールとなったのだと、エルフェリスに明かしてくれた。どうして自分などにそこまで話すのかとエルフェリスが疑問に思っていると、リーディアもまたそんなエルフェリスの心中を察したのか、もういつもの顔で華やかに微笑んだ。


「不思議です。エルフェリス様の前だと自分に素直になれます。人を捨てた私にも、神はご慈悲を与えて下さると言うのかしら」

「神はどこにだって誰にだって平等だよ。……私はあまり信用してないけど」


 人間が聞いたら、これが聖職者の言う言葉かと叱咤されてしまいそうだが、実際エルフェリスはあまり神を信じてはいない。だって神は、たったひとつの願いも聞いてはくれなかったから……。


 そんなエルフェリスのセリフに、リーディアは綺麗な手のひらを口元に当てた。


「まあ、ほほほ。……ですからね、私もドールとして生きた身。カルディナや他のドールの気持ちも解らなくもないのです。ドールとなった以上、やはり主である方にとっての特別な存在となり得るのですから。その中で互いに寵を競い合い、更なる特別な地位を得るというのは、ドールにとって最高の夢だと信じられてきましたわ。けれどその先には何もありませんでした。ただただ……絶望するのみでしたわ」


 もう過ぎ去った昔話だとリーディアは笑っていたが、エルフェリスにはどうしても彼女が泣いているようにしか見えなかった。


 それに絶望なんて言葉は好きじゃない。できれば聞きたくなかった、そんな言葉。


 けれど自らの人生を、記憶を犠牲にしてまでロイズハルトに尽くした彼女にとってはまさしく、絶望の未来が待っていたのだろう。ヴァンパイアからすれば、ドールなど使い捨ての利く便利な道具に過ぎないのだから。


 リーディアにかける言葉を探して、エルフェリスの視線は何度も何度も宙を彷徨った。けれど思い付くものはどれも陳腐でありきたりで、とても口にできるようなものではなかった。ひとつ言葉を噛み潰す度に、ひとつ溜め息が漏れていく。


「たとえ儚いものでも、ロイズ様の“一番”になれて幸せでした。でも……ロイズ様は他のドールに対しても優しかった。結局、あの方にとっての“一番”など存在しないのですわ。ロイズ様は私たちを平等に愛してくれた。けれど決して心は下さらなかった。それを悟ってすぐ、私はロイズ様との契約を破棄したのです」

「……それでハイブリッドに? 人間に戻ろうとは思わなかったの?」


 エルフェリスの素直な問いかけに、リーディアはまた切なそうに苦笑した。


「人間に戻るには、……遅すぎたのですわ」


 何もかも……。


 リーディアはそう呟いて、また目を伏せてしまった。


 遅すぎた。


 彼女がどれくらいの時をドールとして生きたのかは定かではないが、恐らくはもう、帰る場所を失ってしまったのだろう。


 ドールとなった瞬間に、その者の時は止まる。成長も、命の灯火も、すべてがドールとなった瞬間で留まり続けるのだ。それでも人間なればこそ、どこかで命の終わりは突然やって来るらしいが。


「ロイズ様をお慕いしておりました。心の底から。けれども今は、あの方の愛を期待などしていません。お傍でお仕えさせて頂くだけで幸せだと思えますの。私も成長しましたわ」


 くすくすと笑顔を見せるリーディアに対して、エルフェリスは無言で頷くのが精一杯だった。なんて波乱な人生を歩んでいるのだろうと改めて思う。好奇の果てにロイズハルトと出会わなければ、彼女はここまで激動の人生を歩むことなどなかっただろう。


 けれどエルフェリスが知らないだけで、リーディアと同じように運命の渦に巻き込まれてしまった人間は、きっと果てしなく多い。ヴァンパイアはいつもエルフェリスたち人間の運命を、いとも簡単に破壊していく。それでも同じ時を生きる者として、共存への努力を続けてきた。たくさんの涙と悲鳴を飲み込みながら。


 この世界の行き着く先は、一体どこなのだろう。


 白み始めた空と、輝きを失い始めた月に、一筋の祈りを託した。




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