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† 残 †   作者: 月海
第三夜 偽りのドール
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吸血人形ドール(1)


 幼い頃、大好きだった人形があった。何度目かの誕生日のお祝いに、司祭が買ってくれた女の子の人形。目は大きくて、髪は金色の巻き髪。キラキラ輝くドレスがお気に入りで、眠る時まで一緒だった。


 女の子だったら、誰もが一度はそんな人形を持ったことがあるのではないか。可愛い可愛い自分だけの“人形ドール”を。


 エルフェリスの滞在が正式に認められてからすぐ、リーゼン=ゲイル司祭はここへ来た時と同じようにリーディアらの護衛を伴って、一足先に故郷の村へと帰って行った。


 出立の際、エルフェリスを名残惜しそうに見つめた司祭は、いつもよりも少し寂しそうな笑みを浮かべてその体をきつく抱き締めると、「いつでも帰って来て良いのだよ。待っているから」と言い残して馬車へと乗り込んだ。


 どちらもこの選択によって不安が払拭されたわけではない。残るエルフェリスにはこれから一人ヴァンパイアの世界での孤独な戦いが待っているし、村へと帰る司祭にはそんな娘を案じる日々が待っている。


 エルフェリスがどんな危険に遭遇するか、考えただけでもゲイル司祭の胸は不安で押し潰されてしまうようだった。


 けれども、これから自分が帰途につくあの村にもエルフェリスにとって平安があるかと問われれば、素直に頷くことができない。


 本当ならば自分が守ってやらねばならないたった一人の娘なのに、彼女にも打ち明けられない秘密を抱えている自分が恨めしかった。そしてそのような状況を作り出してしまったことにも……。


「ではエル、無茶なことをするんじゃないぞ」

「うん、司祭も元気でね!」

「必ず帰ってくるんだぞ!」

「うん! もちろん!」


 揺れ始めた馬車の窓から顔を出して、ゲイル司祭は最後までエルフェリスの身を案じる言葉を残して去って行った。


「行っちゃった……」


 司祭の乗った馬車が見えなくなるまで見送って、それから一人、本当に一人になってしまったことを実感して、エルフェリスは思わずぽつり、呟いた。


 規定に従ってシードらは見送りには出ておらず、この場にいるのは自分一人。それがまた、さらなる孤独感をいざなった。

 

 振り返った風景は本来自分が暮らすあの村とは異なり、視界からはみ出す程立派な城と、広大な庭園が夜を纏って神秘的ですらあったものの、そこに住まう者たちはエルフェリスにとって脅威でしかないヴァンパイアの集団だ。何があってももう、心の底から頼れる者は誰一人としていないのだと考えた途端、急に噴き出した冷や汗が身体を伝い、例えようもない恐怖がエルフェリスに襲い掛かるようだった。


 何かが起こったその時は、誰にも気付かれないままここでひっそりと朽ち果てるのだろう。あの薔薇の群衆に見つめられながら。


 それでもなおこの場に留まろうと思わせるものは、果たしてエリーゼの存在だけなのだろうか。


 ――わからない。


「……戻ろう」


 ここでずっと立ち尽くしていても仕方がないと自分に言い聞かせるように呟くと、エルフェリスはとぼとぼと、この城での仮の住処となった部屋へと歩き出した。


 馬車を見送った城門前から城への入り口まではたいした距離ではなかったが、小さな庭園を一つ横目に通り抜けねばならなかった。


 夜が更けると一斉にヴァンパイアたちは活動を始める。だが日が沈んだばかりの今時分であれば、まだ彼らは城内から外の様子を窺っていて表には出て来ない。


 それならばと思い立って、いまだ静けさの中にある庭園の前で立ち止まると、そよぐ風に背中を押されながら中へと足を踏み入れた。


 小さな庭園といえども木材を埋め込んだ遊歩道がきれいに整備され、人工的に作られた小川が園内を横断するように流れている。ところどころに休憩用のベンチや東屋なども設置されていて、夜はなかなか立派な社交場になるであろうことは一目で理解できた。


 その中をあてもなく彷徨いながら、これから先自分が何をすべきなのか、どう立ち振る舞うべきなのかをふと思案する。


 味方もいないこの城で、どうすればエリーゼの消息にたどり着けるのだろうかと。


 勢いだけで残ったものの、今この城の中でエルフェリスが見知っているヴァンパイアはシードの三人とリーディア、それと名前は分からないが御者の男の五人だけ――ヘヴンリーは話にもならない為除外――だ。この五人を皮切りに、いかにうまく人脈を作っていくかが勝負の鍵を握っているのだろうが、新参者で、しかも人間の自分が三者会議という大義名分もなくなった今、そう容易くシードに近付けるのだろうかという疑問も残っている。


 それにエリーゼについてシードの一人であるデューンヴァイスに尋ねたところ、何も心当たりがないと言っていた。彼がエリーゼのことを何も知らないという以上、恐らくエリーゼを魅了したシードヴァンパイアというのはロイズハルトやレイフィールではないのだろう。


 どんなに広い城であっても、同じ城内で暮らしているヴァンパイアの連れくらいは認識しているはずだ。この城内で暮らしていれば……の話だが。


「うーん……。ま、何とかなるか」


 一通り考えを巡らせたところで、何だか急にばかばかしくなって、この件に関してはもう今のところは忘れることにした。まだ起こってもいない事をああでもない、こうでもないと考えてみたところで結局はなるようにしかならないのだ。

 

 それに残された者たちの気も知らないで、そのシードと幸せに暮らしているかもしれないエリーゼのために、どうしてこんなにもぐるぐるあれこれ考え込まなければならないのか。甚だ理不尽な気がして段々と怒りさえ覚えたところで、エルフェリスはこの城に留まる本当の目的を思い出した。


 自分は、とにかく姉を見つけ出してぶん殴ることができればそれで良いのだ、ということを。


 建前や体裁をすべて取っ払った本当の理由なんて、口が裂けても言えないくらい物騒だと自分でも笑ってしまうが、これでもかなり手加減してやっているのだから感謝して欲しいくらいだと頷いて、エルフェリスはさっと踵を返すと、また一人、今度こそ部屋へと向かって歩み出した。


 しかし一つの問題を納得したところで、エルフェリスの脳内には次から次へと新しい疑問が頭をもたげてくる。


 つまらないことからそこそこ重要なことまでが断片的に、雑然と己の存在を主張してくるのだから、エルフェリスはその間もあちらへこちらへと考えに耽りながら無意識に足を動かしていた。


 たとえば初めて出会った者には自己紹介をすべきか、とか、万が一シードに襲われた時はどうすべきか、とか。


 これらの疑問はこれから未知の世界で生きようとするエルフェリスにとっては軽いようで非常に重い疑問でもある。それまで当たり前のようにいた「人間」がここには一人もいないのだから。


 何が常識で、何が非常識とされるのかすら想像できない。受け取る側の反応も分からない以上、「人間だから仕方がない」で済まされるのか、「人間のくせに」と敵意を持たれてしまうのか。


 別に常時ならヴァンパイアたちにどう思われても気にもしないエルフェリスも、今回ばかりは目的があってこの城に留まっている。出だしから躓くわけにはいかないのだ。


 自分で決めたこととはいえ、やはり気が重い。


「……らしくない」


 胸の中に溜まった憂鬱をふっと吐き出して、下がりっぱなしだった目線を少し上げると、不規則に揺らめく白い薔薇に目を奪われた。


 薄闇の中に浮かび、風に吹かれる花々は新たな住人の訪れを歓迎しているのか、それとも拒んでいるのか。気まぐれに揺れるその姿はまるで今の自分のようだと、ふいに笑みが零れた。


 何が正しくて、何が間違いなのか、この城で朝を迎えれば迎えるほど自分で自分が解らなくなっていく気がして、エルフェリスにはそれが正直一番怖かった。


 いっそ本来の認識通り、凶悪で、恐ろしいまでの魔性を纏った者たちならば迷いもしなかっただろうに、いや、或いはただ今はその正体を隠しているだけなのかもしれないが、それでもエルフェリスの目に映るヴァンパイアたちは、人間の世界で伝え聞くその姿とははなはだかけ離れて見えた。よく笑い、よく怒り、冗談も言う。


 自分たち人間と、何ら変わりのない日常を生きる闇の眷属。彼らと人間を同等の立場として考えることがすでにおかしいのだろうか。


 そこでまたエルフェリスの口元に自嘲の笑みが浮かぶ。きっと、この狂おしいほどに咲き乱れる薔薇が私を惑わせるのだ。ヴァンパイアたちと同じ色をした、この白い薔薇が……。


 そう思いながら、風に揺れる花に手を伸ばした。


 ひやりと冷たい花びらが一枚、ひらりと舞い落ちる。


 その軌跡を目だけで追えば、数歩先に立つ誰かの足が目に入った。慌てたエルフェリスが視線を上げると、そこにいたのは……。


「よっ!」

「なんだ……、デューンか」


 長身の背を少し丸めて気さくに片手を上げる男の姿を認めると、エルフェリスは人知れずほっと胸を撫で下ろした。そこにいたのは誰でもない、エルフェリスがこの城に残るために一緒に奔走してくれたシードヴァンパイアの一人デューンヴァイスだった。


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