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† 残 †   作者: 月海
第六夜 螺旋の彼方
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繋がる想い(2)


 † † † † †



 得体の知れない身体を奮い立たせて辿り着いた先に、閉ざされた扉があった。


 ほんの少し前にも、同じような気持ちでこの扉の前に立ち尽くしていたことがある。


 深手を負ったロイズハルトに拒絶された後。あの時と同じように、エルフェリスは今もその扉に手を掛けるか掛けないか、決心が定まらずに戸惑っていた。


 しかしながらあの時と決定的に違うのは、出直すことができるかできないか、ただそれだけ。


 この身を翻して、現実から目を逸らすことは簡単だ。けれど無意識に逃げようとしている自分に鞭打ってでも、エルフェリスはこの先の闇の中へ飛び込まねばならない。


 唇を色が変わるほどに噛み締めていた。


 握り締めた拳が震えていた。


 もう戻れない。


 けれどももう戻せもしない。


 何も知らずに生きていたエルフェリスには、もう戻れないのだ。


 呼吸を止めて、目を閉じた。


 瞼の裏に差し込む紫暗の光が、エルフェリスを呼んでいる。


 意を決して目を開けると、いささか乱暴にノブを掴んで、ノックもせずにそのままの勢いをもってドアを開けた。


 暗くわだかまる闇は、エルフェリスを引きずり込もうと手をこまねいているようであったが、ひとつ息を吐くと、自らその闇を受け入れるように静かに一歩を踏み出した。


 突然視力を奪われて、数歩先は何も見えない。けれど部屋の構造は熟知している。歩みは当然遅くはなるが、闇にのまれることなくすぐに目指していたダークアメジストの光を見出すことができた。


 エルフェリスが遠慮がちに顔を覗かせた時、広い居室にはこの部屋の主人たるロイズハルトともう一人、月のようなプラチナの髪を輝かせる男、ルイがいた。


 二人は小声で何やら話し合っていた様子であったが、エルフェリスの来訪に気付くとどちらからともなくすぐに話を切り上げて、ルイは部屋を後にしようとした。


 すれ違いざま、ルイはエルフェリスの顔を覗き込むように身を屈めると、「ごゆっくり」とだけ告げて、いつもの優雅な笑みを湛えたまま回廊の彼方へと消えていった。


 扉が締められるまでその後ろ姿を見送って、それからたっぷり時間を置いてから、居室の中心に立つロイズハルトへと視線を移動させると、ロイズハルトは真っ直ぐにエルフェリスの瞳を見据えたまま微動だにしなかった。


 そしてそれはエルフェリスも同じであった。


 いざ彼の紫暗の瞳を目の当たりにした途端、その場に縫い止められたように足が竦んで動かなくなってしまったのだ。


 進まなければならないのに、後ろ髪を執拗に引っ張る何かがあった。


 本当に、これで良いのかと。


 ロイズハルトのダークアメジストの瞳が無言の言葉を投げかけているようだった。


 沈黙の時間は、思ったよりも長かったのかもしれない。どこからともなく吹き込む風が、さわさわとエルフェリスとロイズハルトの髪を撫でていく。


 けれどもその風を追うようにロイズハルトの視線がうつろいを見せた時、重苦しく垂れこめていた沈黙のベールがふっと霧散するように、やわらかに空間に溶け込んでいった。


 明かりが灯される。


「……来ると……思っていた」


 囁くように零れたロイズハルトの言葉は、複雑な音色を伴って微かに掠れていた。それでもいつものように微笑むと、ロイズハルトはエルフェリスにソファを勧める。


 けれどここまで来るともう、エルフェリスの躊躇いは焦りに変わり始めていた。ソファの方へと移動しようとするロイズハルトの元へ、直接足が動いたのだ。


 真っ直ぐにロイズハルトの瞳を見つめたまま。


「どうした? エル」


 そんなエルフェリスの行動を怪訝な表情で、それでも口元に笑みを浮かべてロイズハルトが尋ねると、エルフェリスは意を決するようにごくりと唾を飲み込んだ。


「教えて欲しいんだ、ロイズ。……私がどうして……生きているのかを……」


 からからに渇いた喉を、からからに渇いた言葉が通り過ぎていった。


 そしてエルフェリスはすぐに彼の瞳から視線を外すと、乱れる呼吸を整えようとして一度だけ大きく深呼吸をする。


 ロイズハルトの顔を直視できない。自分で聞いておきながら、その答えをくれるであろうロイズハルトの顔を直視できなかった。


 どのような返答があろうとも、受け止める覚悟はあるはずだったのに、今すぐに踵を返して逃げ出したくなる。そんな衝動と戦っていた。


 ロイズハルトもエルフェリスの様子に気付いていたのか、直接その問いに答えるわけでもなく、反対にただ一言「思い出したのか?」とだけ問うた。


 だからエルフェリスは頷いたのだ。ゆっくりと。


 そして恐る恐る視線を上げるエルフェリスの視線と、憂いを含んだロイズハルトのそれが交差した瞬間、ロイズハルトは切なげな笑みを口元に浮かべて、少しだけ長めの溜め息を吐き出した。


「そうか……」


 音も立てずに伏せられていく紫暗の瞳は、エルフェリスの記憶を補完するための一歩。


 自分と彼の過去を辿る旅が、静かに始まろうとしていた。


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