夢、うつつ(3)
ハイブリッドを追い、村を飛び出して行ったエルフェリスを待っていたのは言うまでもなく司祭の説教であったが、誰にも言えない出会いを経て、徹夜で働き続けたエルフェリスはそのお説教を子守唄にうとうと眠りこけた。
目覚める頃には太陽は中天をすでに過ぎており、エルフェリスは再びの説教に見舞われたが、それを何とかやり過ごすと教会のお努めの傍らで、食料や水差し、それから薬品をこっそりくすねては自室へと運んだ。
そして神官たちがふもとの自宅へと帰途についた頃を見計らって、エルフェリスも小さな包みを一つ抱えてこっそり教会を抜け出した。
いまだ太陽は山の影に姿を隠しておらず、空が夕焼けに朱く染まり始めるまでにはもう少し猶予がある。
少しだけ、青年の様子を見に行こうと思っていた。
隠れ家への道のりは平坦ではあったけれど、なにぶん距離がある。行きは太陽の加護を受けられるだろうが、帰りは保証がない。また今夜もハイブリッドの集団が村へと現れないとも限らない。
しかしながら怪我を負っている青年の容体が朝から気がかりでならなかった。
必要か分からなかったけれど食料も無いし、古い薬草を使った手当が逆に傷を悪化させてしまっているかもしれない。
考えれば考えるほど気になっていてもたってもいられず、今日もまた半ば勢いだけで行動していたというわけだ。
小屋へと辿り着いたのは、まだ西日が森の上空を明るく照らしている時分だった。
素早く周囲を視線で探り、それから小屋の中へと体を滑り込ませると急いで絨毯を剥がし、出入り口を開け階下の部屋へと降りて行く。
けれどそれまでの勢いとは反対に、階段を下りる足取りはゆっくりと、中の様子を警戒したものに変わっていた。
もし青年が目覚めていたとして、エルフェリスの姿を見た時にどのような反応が返ってくるか想像もできなかったからであった。
ずっと意識を失っていた青年がそもそもエルフェリスという存在を認識しているかどうかすら分からないし、最悪突然襲われるかもしれない。
相手の素性が不明なだけに、エルフェリスの行動は慎重に慎重を極めた。
階段の中ほどまで来た時、少しだけ身を乗り出すようにして部屋の中をそっと覗くと、青年の体はいまだ寝台の上にあった。
その様子を確認するや否や、無意識にエルフェリスの唇からはほっと溜息が零れ、そこから先はなるべく物音を立てないように留意して階段を下りきると、手早く持ち込んだ包みを解いた。
パンと日持ちする果物、それから水を湛えた水差し、治療のための薬品を机の上に並べ、それから青年の傍らに足を向けると、そっとマントを持ち上げて包帯の隙間から傷の様子を確認する。
朝よりも傷口は塞がっていた。
まことヴァンパイアの治癒力というものに圧倒されつつも、消毒だけはしておこうと思い立って、そのまま包帯をすべて取り払うと、まず水を含んだタオルで青年の体の汚れを拭き取り、次に薬品を浸したコットンで傷口を清め、それから再び新しい包帯を取り出して青年の体に巻いていく。
それらをすべて終えると、まだ日没まで猶予があることを思い出し、エルフェリスは急いで村へと引き返すべく踵を返した。
しかし、その行動は思いも寄らぬ場所からの衝撃によって阻まれた。
振り返ったエルフェリスの手首に、突如、ひやりと冷たい何かが絡み付いたのだ。
誰の目にも明らかなほどに身を震わせたエルフェリスが恐る恐る視線を手首に這わせると、白くて大きな手がその手首をつかんでいた。
とっさに振り返ると、寝台に横たわったままの青年がおもむろにその瞳を開けて、エルフェリスをじっと見つめていた。
吸い込まれそうなダークアメジストの瞳が、突き刺すような光を宿してエルフェリスを見つめている。一瞬、呼吸も忘れて、その瞳から逃れることを忘れた。
けれど、突然我に返ったエルフェリスは、無意識にその手を振り払って青年から逃げ出すように上階への階段を駆け上っていた。
そして何もかもをそのままに、転がるように小屋を出ると一目散に村へと走った。
空は茜色から紺色へと移り変わり、村へと辿り着く頃にはすっかりと夜が訪れていた。
自室へと駆け込んで、乱暴に靴を脱ぎ捨てるとすぐにベッドへ飛び込む。
呼吸が乱れ、心臓が破れそうなほどに早く激しく鼓動するのは、ただ単に走り続けだったという理由からだけではなかった。
あの青年のダークアメジストの瞳が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
初めて、闇の眷属であるヴァンパイアの瞳に自分が捕捉されたという事実が、エルフェリスの心に説明のできない感情をもたらしていた。
それは恐怖でもあり、興味でもあり。
様々な感情が一晩中ぐるぐると渦を巻いて、エルフェリスの心を掻き乱していった。