失われた心(3)
けれどエルフェリスにはその劣勢をも覆す秘密がこの手に転がり込んで来ているのだ。それを揺るぎない確信へと繋ごうものなら、いかに主観と偏見に凝り固まった教会本部といえども、そのうるさい口を噤まねばならないだろう。
「……そのような噂を、耳にしたことはあります」
デストロイと教会本部が癒着しているのでは、との疑問をエルフェリスがゲイル司祭に投げ掛けてみれば、司祭は少しだけ思案を巡らせた後そのように頷いたのだった。
けれどその後に続く言葉は必ずしもエルフェリスが期待していたものではなく、話が進むにつれてその肩が落ちていくのを実感せざるを得なかった。
噂は噂であって、確信に繋がるものは何一つ無いのだと言うのだ。
「たった数年であれだけの武勇を轟かせたデストロイですからね、様々な噂が立つのも無理はないのです。かと言って、どれが噂であって、どれが真実かというのは実際、本人にしか分からないものでしょう。私としても本部とハンターが結託しているというのはどうにも受け入れ難いことですから、自分なりに調べたこともあるのですが……」
「決定的な証拠が無いのだな」
空気の抜けた風船のようにしょぼくれたエルフェリスの代わりにロイズハルトがそう言うと、ゲイル司祭は彼の表情を視線で一撫でしただけで、その目を閉じた。
「かの武具については、私はもちろん知っていた。そしてそのような手段があることも。しかしながら、魔力の込められた武具は、人間に向けられる分にはその効力を発揮することは無い。傍目に見て、それを魔法の武具だと見分ける術は無いのだよ」
ゲイル司祭の口調はまるでエルフェリスに絵本でも読み聴かせる時のように穏やかであったが、突然はっと目を開けると目の前にいるロイズハルトの顔を認めて、司祭はふっと表情を緩めた。
「すみません、つい、エルに語り掛けている気分になってしまいました」
それからまたくすくすと笑みを漏らすゲイル司祭に、ロイズハルトも苦笑した。
「いや、構わない。堅苦しいばかりでは息も詰まろう」
「はは。あなたはそうお思いでしょうがね、ロイズ。エルがいると、堅苦しいどころか、ペースを乱されて大変なのですよ? まったく向こう見ずなんですから」
「ははは。それについては否定はしないな」
目を細めて肩を揺らし合う二人の男に、エルフェリスが頬を膨らませたのは言うまでもない。
しかしながら、すぐさまその場に集う全員がその表情を引き締めたのは、司祭によって話の続きが語られたからであった。
「こうやって、笑って済ませられるのならばそれに越したことはないんですけどね。やはり永らく人々の上に君臨し続けた権威の前には、私もまた小さな存在だと気付かされるのですよ。ですが……何事も申し上げていないうちから脅迫紛いの使者を寄こすようでは、自分たちの方から追及されてはまずいことがあるのだと公言しているようなもの。……証拠を掴む機会はいくらでも巡ってくるでしょうね」
片手で顎をつまみ、わずかに顔を伏せたゲイル司祭の言葉は、多少の濁りを宿しながらも事実を一つ、明確に示していた。
「……本部の巡視官が来たの?」
「実に素早く、ね」
動揺に声を震わせるエルフェリスをよそに、ゲイル司祭は振り返ると、片目を瞑って微笑んで見せた。
そのやり取りを真っ直ぐに見つめながら、ロイズハルトが首を傾げる。
「巡視官とは?」
「教会本部が各地の教会を監視するために派遣している、いわば密偵ですよ」
「その密偵が来たと?」
「ええ。どうしてか……ハンターたちがエルの噂を流布する前に、ね」
その事実がエルフェリスとロイズハルトの耳に同時に到達すると、どちらからともなく顔を見合わせた。エルフェリスと彼を繋ぐ空気が、緊張感を伴って部屋中を漂う。
「たまたまこの地を訪れていたのか、それともヴィーダでの戦をどこかで聞き付けたのか、何通りにも解釈することはできるのですが……タイミングにしろ、内容にしろ、何の前知識も持たずにやって来たとは思えないのですよね。次に騒ぎを起こしたならば、本部としてもエルを処断せざるを得なくなるだろうなどと……まだ何も伝わっていないうちから宣言されては、こちらの懐疑を誘うだけです」
静かに教えを説く調子でそう言った司祭の言葉に、エルフェリスは人知れず身を固くした。ゲイル司祭にはすでに、教会本部からの最終宣告がもたらされていたのだ。
それも、まだ何事も世に知れ渡っていないうちに。
神聖魔法を擁する神官がヴァンパイアと行動を共にし、ヴィーダを滅ぼし、ハンターどもを叩きのめしたというのならば由々しき事態ではあろうけれど、エルフェリスもシードも人々の目に背く行為は何一つしていない。
それなのに、ただヴァンパイアの傍にいるというだけで裁きの対象になるというのだろうか。
ヴァンパイアへの疑念と偏見を捨てられない教会本部に、共存の盟約の盟主たる資格などあるのだろうか。
無意識に握り締めた拳が震えていた。
そんなエルフェリスを肩越しに一瞥したゲイル司祭は、それからまたロイズハルトのいる正面に向き直ると、その胸の奥深くにわだかまっている憂鬱の塊をいささか長めに吐き出した。
「今この時を巡視官に見られでもしたら、私も粛清の対象となるのでしょうか。両種族の架け橋たる我らがこのような憂き目を見るなど……複雑ですね」
「今の私の外見は人間と同じだ。たとえどこかで姿を見られようとも糾弾されることは無いだろう。まあ、多少肌の色は白いがな」
司祭の嘆きに冗談の色を足して、ロイズハルトはその牙を見せつけるように口角を吊り上げる。
その表情を視線で一撫でして、ゲイル司祭はまた小さく頷いた。
「とにもかくにも、私としてもこのまま黙って見ているわけにはいかなくなりました。私は私で、教会本部とハンターとの繋がりを探ってみるつもりです」
ゲイル司祭の言葉に大きく目を見開いたエルフェリスと、意味あり気に目を細めるロイズハルトを交互に見比べて、司祭はその夜一番の笑顔をその顔にまとった。