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† 残 †   作者: 月海
第六夜 螺旋の彼方
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失われた心(1)


 久しぶりに姿を現したエルフェリスを神が見下ろしていた。質素な布をまとっただけの姿の神は、何も語らず、目を閉じて、胸の前で両手を抱えている。


 しかしその顔に浮かぶのは不偏の慈愛。絶えることの無い愛。


 それらを全身に感じながら、どこかぼんやりとその姿を眺めやっていたが、やがて自然と跪くと、エルフェリスは静かにこうべを垂れていた。


 敬愛すべき、神の御許で。


 村に辿り着いたら寄り道をせず、一目散に司祭の元を目指そうと考えていたのに、いざ教会の前に立ってみたら自然とこの聖堂に足が向いていた。


 自らを不信心者と自覚しているエルフェリスが、無意識とはいえ神の存在を求めていたのだ。


 この教会にいた頃は何一つ願いを叶えてくれはしなかったけれど、それでもエリーゼとの再会は果たすことができた。本当に奇跡ともいえるその再会については感謝の意を忘れない。


 そして同時に、これから先もその恩寵おんちょうあずかれることを祈らずにはいられなかった。


 目の前を闇に包まれようとも、光は決して失わない。


 いつどのような場面にあろうとも自分を失わずにいられるように、それだけを願って。





 神の許を辞したエルフェリスは、今度こそ育ての親でもあり、この教会の主でもあるリーゼン=ゲイル司祭の居室を目指していた。


 夜の教会はひっそりと静まり返り、灯りも申し訳程度にしか点けられていない。


 それもそのはずだった。


 教会はそこそこの広さを誇る聖堂と、聖職者たちの居住区である別棟とで構成されていたのだが、この村に暮らす聖職者の全員がこの村の出身で、夜になればそれぞれの家へと帰っていくので実際にこの別棟に暮らすのはゲイル司祭とエルフェリスの二人だけであった。


 エルフェリスが教会を不在にしている今、ここで生活しているのは司祭一人であったから、灯りもそれほど必要ないというわけなのだ。


 別棟の入り口は聖堂側からは見えないように作られていて、ぐるっと裏側へ回らねばならなかった。


 時間も時間であったため、教会の敷地内はもとより、村に入ってからも誰一人としてその姿を見かけることはなかった。安心したような、がっかりしたような、複雑な思いを抱えて入り口を目指す。


 坂の上に立つ教会からは、ふもとに広がる村の明かりがぽつぽつと見て取れた。


 村と教会を繋ぐ長い坂の左右を林が覆っているために、見晴らしはそれほど良くはなかったのだが、それでもその隙間をぬって明かりが漏れてくることはある。


 あの明かりが灯る場所には知己ちきの者もそれなりにおり、彼らは等しくエルフェリスの良き理解者でもあった。聖職者としてのそれではなく、一人の人間としてのエルフェリスを良く理解してくれていたのである。


 本当ならば彼らにも一目会いたいとエルフェリスは思ったが、馬車に残してきたルイのことも気になるし、それに今は一刻も早く司祭に目通りせねばならなかった。


 懐を探り、小さな鍵を取り出して入り口の鍵穴に差し込んだ。カチっと小さな音を立てて玄関の鍵が外れると、扉をゆっくりと押し開ける。


 その途端に流れ込んでくる懐かしさに胸がいっぱいになった。


「……帰って来たんだ……」


 気が付けば、一人そう呟いていた。


 生活棟でもあるこの別棟には個室が十ほどあって、他には食堂、会議室、執務室、図書室など、どれも質素なものではあったけれど一応の設備は整っていて、特に中央を吹き抜けとして作られた小さな中庭には四季折々の草花が植えられており、この教会に勤める神官たちにとって心休まる憩いの場でもあった。


 その庭を横切って歩みを進めると、ふと見上げた階上の一室の窓から光が零れているのが目に入った。二階の隅にあるその部屋は、云わずと知れたゲイル司祭の部屋であり、今のエルフェリスの目的地でもある。


 明かりが点いているということは、司祭が在室しているという証拠であって、エルフェリスは一つ大きく息を吸うと、その部屋を目指して駆け出していた。


 暗く静まり返る階段を駆け上る度に、首から下げた十字のネックレスがその存在を主張するかのように跳ね上がる。


 けれどそのようなことに気を留めている余裕などなく、一気に駆け上ると乱れた呼吸を整えるために、エルフェリスはまた足を緩めた。


 一つ息を吐くごとに、一歩を踏み出す。


 そのくらいの緩やかさでゲイル司祭の部屋へと近付くと、エルフェリスはふいに足を止めた。


 ゲイル司祭の部屋から、司祭ではない声が聞こえてくる。


 このような時刻に先客かと訝しんだエルフェリスは、物音を立てぬようにゆっくりと体を移動させると扉の横の壁にぴたりと背をくっつけて、息を潜めて中の様子を窺った。


 扉を一枚隔てていても、室内は小さなものであったから、周囲に物音を立てるものがなければ案外話し声などは良く聞き取れるのだった。


 しかし室内の会話は小声で行われているのだろうか。司祭と誰かが言葉を交わしているのだけは分かったが、内容まで正確に聞き取ることは容易ではなかった。


「……では、……は、今のところ……と言うわけですね?」

「ああ、……は……ない。これから先も……かどうかは……が……」

「そうですか。……とは……ですが、こちら……状況は悪くなる一方です。……だと良いのですが」

「私もそれは……る。来るべき時が来たのかも知れない」


 その声を聴いて、エルフェリスは思わずはっとした。


 ゲイル司祭と言葉を交わす人物の声が、この場にいるはずの無い人物のそれだったからだ。



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