理想の行方(1)
その夜は、庭園を吹き抜ける風も滑らかで、旅立つ者にも、また見送る者にも、等しくその祝福を授けるように半円の月が地上を淡く照らしていた。
大剣を背負った背中が見えなくなるまでその場で見送ったあと、しばしの時をエルフェリスは一人、白い花の咲き乱れる庭園で過ごした。
なるべく人の来ない辺りを選んで、木製のベンチに腰を下ろす。そしてゆっくりと息を吐いて、それから無数の星々を伴って空に浮く月を仰いだ。
デューンヴァイスの決意を知らされてから五日と経たずに、彼はあてもない旅へと赴いて行った。
ヘヴンリーら急進派はその多くが人間との境界近くに住まいを構えているとのことゆえ、その辺から当たってみるとは言っていたものの、死霊使いに関しては何の情報もなく、途中でわずかばかりでもついでに情報を収集できればそれで上出来と踏んでいるようだった。
そう都合良く事が運べば言うこともないが、そのような保証はどこにもない。
「あっと……ここで考えても仕方ないか」
聴く者もいないのに呟いて、そしてそれから自分のセリフに笑うように肩をすくめた。白い花々の揺らめきと香りは、時おり人の感情を掻き乱すようだ。
苦笑を一つ漏らして、それから何となく気を紛らわせるために周囲に視線を巡らせる。
少し離れたところでは、夜の帳のすぐ下で、思い思いに談笑を楽しむハイブリッドやドールたちで溢れていた。
エルフェリスのいるこの一画だけがその空間から切り離されたように、人の侵入を拒んでいる。
庭園を彩る草花の話、自らの所有者に関する話、対抗するドールへの陰口。聴こえてくるのはどれも他愛のない話ばかりだったけれど、それはまたこの城がさし当たって危険に曝されていないという証拠でもあった。
有事とあらば、その口から発せられるのは畏怖、悲鳴、絶望がほとんどを占めるだろう。けれどこの城を包むのは、この城で暮らす者たちの喜びと日常であって、負の要素は感じられなかった。
結構なことだと頷いて、そしてまた視線をうつろわせると、瞳の先に一組の男女の姿を捉えた。
プラチナの髪を惜しげもなく夜空に曝している美しい男と、それに寄り添うように立つ可憐な女。
ルイと姉エリーゼであった。
二人は仲睦まじそうに手を取り合い、夜の散歩を楽しんでいるようだった。
村を去った頃と何一つ変わりない姿で、エリーゼは美しく微笑んでいる。
もともとエリーゼは自分から目立つことを好んではいなかった。言動も模範的な聖職者のそれだったし、身なりに関しても、風景にとけ込んでしまうような自然な物を選んでいたように思う。
それでも絶世の美神官がいるとの噂は瞬く間に風に乗って村の外へと広がっていった。
特に着飾っているわけでもないのに、自然と人の目を惹き付けるエリーゼ。
その姿を今、ヴァンパイアの城であるこの場で漠然と眺めながら、運命の不可思議さにエルフェリスは人知れず溜め息を漏らしていた。
ヴァンパイアの存在を忌み嫌っていたエリーゼが、シードヴァンパイアであるルイと寄り添って微笑んでいる。
そして自分はそんな姉を捜してこの城へとやって来て、そしてまた同じようにシードヴァンパイアの一人に心を奪われてしまった。
複雑な心境に、エルフェリスは飲み込まれそうになっていた。
けれどそれを断ち切った者がいた。
「エール! 何してんの?」
音もなく背後からひょっこり顔を覗かせた少年にエルフェリスは小さく悲鳴を上げると、弾みでベンチから転がり落ちそうになった。けれどその直前に少年によって片腕をつかまれて、何とか転落を免れる。
体中の空気を吐き出しながらその姿を認めれば、彼はアイスブルーの両眼を悪戯っぽく細めて笑っていた。
「もう! ビックリするじゃない、レイ」
「おどかしたんだもん。普通に声掛けたってつまらないでしょ?」
「まったく可愛い顔して……」
悪気もなくにこにこ微笑むレイフィールに引き起こしてもらいながら、ぶちぶち文句を垂れるエルフェリスではあったが、この悪戯好きのヴァンパイアに掛かってはどうしようもないことだと半ば諦めて、改めてベンチに座り直した。
するとレイフィールもまた、流れるような所作でエルフェリスの隣へとその身を滑らせる。
「デートしてるみたいだね! 誰もいないしさ」
そしてエルフェリスの顔を覗き込んで、くすくすと目を細めた。
けれどエルフェリスがふいに視線を地面に逸らしたことに気付いたレイフィールは、訝しげに思って周囲に視線を巡らせる。そしてとある一点に辿り着いた時、「ははん」と一声上げて、そして何度か頷いた。