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† 残 †   作者: 月海
第六夜 螺旋の彼方
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浅い闇の淵で(2)


 扉の前に立ち、一つ息を吸うと、静かに口を開いた。


「あの……私、勝手に入っちゃって……」

「良い。それよりも……せっかく来てくれたのなら顔を見せてくれないか? 扉越しでは、……切ないな」


 いつものロイズハルトからは想像も付かないような、弱々しく掠れた声だった。


 その声に誘われるように、エルフェリスは扉へと手を掛ける。


 先ほどと同じように少しだけ扉を開け、わずかな隙間から顔だけを覗かせて中の様子をうかがうと、一層の闇に包まれた視界の先で、黒い影がもぞっと動くのが見て取れた。


「……エルの目には、不便だろう。今、明かりを……」


 エルフェリスの姿を認めるや否や、重傷の身体を引きずって、エルフェリスのために燭台に火を灯そうとしているロイズハルトの影だった。


 それに気付いて、エルフェリスは暗闇の水面を左右に掻き分けるように走り出す。


「ダメだよ、ロイズ! 動いたらダメ!」


 つんのめりそうになりながらも彼の傍らまで駆け付けて、そしてすぐさまロイズハルトの身体を支えると、空気の動く感触がして、ロイズハルトと目が合ったのだと悟った。


 紫暗に輝く瞳は闇に阻まれてよく見えないのに、じわりと胸が熱くなる。


「無事だったのだな、エル」


 吐息混じりに耳を掠めたその言葉に、上手く答えることができない。


 できなかったけれど……。


「……ごめんなさい……」


 震える声に力を込めて、その一言だけをようやく絞り出す。


「なぜ謝る?」


 それに対してロイズハルトからは苦笑という名の返答が戻ってきた。彼の身体を支えるエルフェリスの腕に、そっとその手を置いて。


 ひんやりと冷たいロイズハルトの大きな手。その冷たさが、熱く鼓動するエルフェリスの身体の熱を奪い取るように、ゆっくりと染み渡っていく。


「謝ることなどない。俺が勝手にしくじっただけだ。エルのせいじゃない」


 そしてその冷たさが頬を掠めた時、初めて自身の瞳から涙が溢れていたことをエルフェリスは悟ったのである。


 それを合図としたかのように、涙は次から次へと零れ落ち、ロイズハルトの凍った指先を濡らしていった。


 彼の身体を支えていたはずなのに、いつの間にか自分の方がロイズハルトに支えられている。


 涙が止まらなくて、止まらなくて。


「……良かった……」


 エルフェリスの唇の隙間を縫って出た言葉は、喜び混じりの嗚咽に掻き消された。


 闇に慣れたはずの瞳は溢れ出る涙によって視界を奪われ、水に広がる絵の具のように世界がよりいっそう滲んでいく。


 彼が生きていて本当に良かったと思った。


 けれど、それよりも激しく胸に去来する想いがあった。


「私……ロイズに触れても、良いんだね」


 それだけがすべてだった。


 あの日、重傷を負ったロイズハルトを前にしながら、エルフェリスは彼に触れることも赦されず、ただ傍観者に徹するしかなかった。


 人間が相手ならばいくらでも助けを求められる立場にありながら、彼がヴァンパイアというだけで、自分は彼に手を触れることすら赦されなかった。


「触れるな」と……。


 あの言葉が胸の奥深くに突き刺さったまま、じくじくと疼いて痛み続けた。


 理屈ではいくらでも自分を納得させることができたはずなのに、理屈ではどうしても納得できない想いがいつも勝っていた。


 拒絶の言葉は薔薇の棘よりも鋭くエルフェリスの心に突き刺さって抜けなかった。


 この手を眺めては、声なき悲鳴に耳を塞いだ。


 苦悩から逃れたい一心でベッドに潜り込めば、夢の中にまで現れて苦しめる。ここ数日に至っては、毎日がそのような感じであった。


 こんなにも苦しいのは、ロイズハルトのことが好きだから。


 ロイズハルトのことが好きだから……。


 そんな風に考えていると、ロイズハルトの掌がエルフェリスの頭をなぞっていった。


「すまなかった、エル。……あの後ルイに怒られてしまったよ。どんな時でも言葉は選べ、とな」


 苦笑とともに滑り落ちていく手の感触に名残惜しさを感じながら、エルフェリスは少しだけ目を閉じて、それからゆっくりと首を振った。


「謝らないで、ロイズ。それにルイに言われたんだ。怪我をしたのがもしルイだったら、私の命は無かったって」


 強い言葉で牽制したのは、ひとえに自分に手を掛けないためだと。


 解っていた。


 解っていて、勝手にショックを受けていただけだ。ロイズハルトにもルイにも非は無い。


 自分はただ、許せなかっただけだ。何の役にも立てない無力な自分が。


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