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† 残 †   作者: 月海
第五夜 存在理由
106/145

人であるが故に(1)


 視界がぼやけて、よく見えない。


 瞬きを忘れるうちに、世界がゆっくりと溶けていく。


 虚ろな心。モノクロの空。


 彼の腹から流れ落ちる血だけが鮮明に、目に焼き付いていた。





 あの後すぐに、ロイズハルトを肩に担いだルイが暗道に戻ってきた。


 エルフェリスの姿を認めるや否や、「どうして先に行かなかったのです!」と激しく叱責されてしまったが、それよりも急ぎ城へと戻るのが先決だと判断したルイによって、半ば突き飛ばされるように馬車へと乗り込んだ。


 あれから数時間。


 ロイズハルトは意識を失ったまま目覚めることなく向かいの長椅子に身を横たえている。


 デストロイの刃を正面から受けたらしく、腹から背に掛けて真っ直ぐに貫かれていた。心臓を貫かれていたら今頃灰となって空を漂っていたところだと、ルイは荒々しく吐き捨てていた。


 何はともあれ、ひとまずは二人の姿を確認することができて胸を撫で下ろしたエルフェリスではあったが、そこからが問題だった。


 エルフェリスの隣には、苛立ちを隠そうともしないルイが座っている。彼は長い髪を指先に巻き付けては、右足でせわしなく馬車の床を踏み付けていた。


 その横には先ほどまで彼の身を包んでいた黒いマントが脱ぎ捨てられている。にもかかわらず、ルイの白いシャツの肩から胸に至るまで、べっとりとロイズハルトの血が染み付いていた。


 声を掛けるタイミングなど微塵もなく、押し黙っていたエルフェリスに彼の方から声を掛けられたのは、それからまたしばらくして経ってからのことだった。


「エル。まずは待って頂いていたこと、感謝しますよ。けれどそれは、これまでよりもさらにあなたの命を危険に曝すこととなりました。自覚は……ありますか?」


 ルイの地を這うように暗く沈む声に、自然とエルフェリスの体が硬くなる。


 けれどエルフェリスは視線をロイズハルトに固定したまま、静かにゆっくりと頷いた。


「そうですか。今はまだロイズの意識は戻っていませんが、彼が目覚めた時、あなたに牙を剥くかもしれないことは……解っているのですね?」

「……うん。……解ってる」

「……そうですか」


 エルフェリスの返答を聞くと、ルイはまたその口を噤んでしまった。


 エルフェリスもルイも、思うことは同じだっただろう。


 エルフェリスが人間でなかったら。神聖魔法使いでなかったら。ルイが回復魔法を使用できたら。


 ロイズハルトの傷を、その場で治療することもできたのに、とエルフェリスもルイもやりきれない思いを抱いていた。


 特にエルフェリスの魔法は聖なる力を基にした光の魔法であり、ヴァンパイアを滅するために生み出された力では、ロイズハルトの傷を塞ぐことは到底叶わぬ願いだった。


 また一方でルイは魔法を得意とするも、回復魔法には明るくなく、もっぱら攻撃のみの魔法しか習得していなかった。


 マグマのようにどくどくと溢れ出るロイズハルトの血を前に二人はなすすべもなく、とにかく応急処置を施した後は一刻も早く城を目指すより他なかった。


 あの城にはデューンヴァイスがいる。


 デューンヴァイスもとりわけ得意なわけではなかったが、最低限の回復魔法の備えがあるとデマンドが言っていた。


 だが、かの地に辿り着く前にロイズハルトが目を覚ましてエルフェリスに襲い掛かるようなことがあれば、ルイの負担はさらに増すこととなる。


 自分が、人間であるがために……。


「はッ」


 全速力で駆ける馬たちをさらに限界まで急かすデマンドの声が、静寂に包まれた客車の中にいても聞こえてくる。


 ロイズハルトと居合わせるのがまずいのであれば、デマンドのいる御者台に移動しようかとも考えたのだが、ヴァンパイアの嗅覚の前にはどこにいようが同じことだとルイに言われてしまった手前、エルフェリスは黙って座っている以外何もすることができなかった。


 とめどなく溜め息だけが零れていく。


 身体は馬車に揺られ、平静を保とうとする意識も揺れる。


 気が付けばロイズハルトに向けて、手が伸びていた。


 ルイは何も言わず、ただそれを見守っている。


 ロイズハルトの髪の毛に指先が触れた。


 かと思ったその時。


「……触れるな……」


 弱々しい呻きとともに、ロイズハルトがうっすらと目を開けた。


「ロイズ!」

「エル! いけません!」


 目を覚ましたロイズハルトを認めて声を上げたエルフェリスを、ルイが鋭く牽制した。


 座席に押し付けるようにエルフェリスをその場に縫い止め、代わりにルイがエルフェリスを庇うようにロイズハルトの前に跪く。


「気分は、どうですか?」

「ふ、ん……良いわけが……な、い」

「まあ、そうでしょうね」


 二人のやり取りを、エルフェリスは複雑な思いで見つめていた。


 ルイの問い掛けに憎まれ口で対応するロイズハルトであったが、同時に苦しそうに呻き、浅く早い呼吸を繰り返している。その度に傷口からは新たな血が流れ出ているようであった。


 とうの昔に麻痺していたと思っていたのに、鉄の匂いが鼻に付く。


 ヴァンパイアはたとえ致命傷を負っても、ゆっくりではあるが確実に肉体を再生できる力を有しているとは聞くが、これだけの血が失われてもそれが可能なのかはなはだ疑問だった。


 再生を待つ間に、ロイズハルトの身体からすべての血液が失われてしまうのでは、と……。


 ロイズハルトの紫暗の瞳は固く閉ざされ、唇は苦痛の音しか漏らさない。傷口からは血が溢れ、髪の毛は汗を含んで額に張り付いていた。


 それを見つめるルイの後ろ姿。


 室内を淡く照らす燭台の光。


 ロイズハルトの、ダークアメジストの瞳……。


 定まることのないエルフェリスの視線が、虚しくくうを彷徨い漂う。


 一瞬ロイズハルトの視線とエルフェリスのそれが交差したが、ロイズハルトは苦々しく顔をしかめたままエルフェリスからすっと目を逸らした。


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