風と砂(1)
迫り来る軍勢の前に立ちはだかる二つの影があった。荒れ狂う砂煙の中を、黒いマントをたなびかせ、じっと前を見据えて佇んでいる。
十字架の装飾の施された剣を腰から下げた先頭の男は、訝しげに眼を細めると、砂を巻き上げる風の向こうに立つ人影にいち早く注目した。
全身黒衣で身を固めるその二人は、鼻から下も黒のマスクで覆い、顔立ちこそは分からなかったが、骨格や背丈から男だと思われた。
そのうち一人に至っては、目深に被ったフードの隙間から零れたプラチナの髪が風に踊っている。
――何だ、あれは……。
左手で手綱を操りつつも、右手は無意識に剣の柄を探っていた。
目指す場所はもうすぐそこなのに、そこで待機しているはずの仲間たちの気配がしない。
おかしい。
じっと前を見据えたまま、男は思った。
数日前にこの地を襲ったヴァンパイアの群れは、アンデッドもろとも焼き払ったはずだ。もし仮に生き残った者がいたとしても、そこには自分が最も信頼する男を守護として残してきた。
彼が敵を取り逃がすはずがなかった。ましてや負けるなどということは……。
だが……。
数多のヴァンパイアを狩ってきたこの血が騒いで仕方なかった。
この時分によもや奴らが行動できるとはにわかに信じがたいが、微かに香る闇の匂い。
手綱を握る手に、自然と力がこもった。
***
「来たな」
ロイズハルトとルイの二人は街道のど真ん中を塞ぐように並び立って、吹きつける砂の嵐に曝されていた。
ロイズハルト自身待つのは嫌いではないが、少し前から荒々しく吹きすさぶ風に乗って飛んでくる砂つぶてを口の中に感じて、その度に眉間に皺を寄せている。
ただ不思議と気分は悪くない。むしろ、これから起こるであろう事柄を想像すると、久しく眠っていた感覚が呼び覚まされるようだとロイズハルトはふと思った。
「撹乱だけを狙うなんて、ヴァンパイアらしくないんですけどねぇ」
ルイはそうやってぼやいていたが、対するロイズハルトはというと、なぜか楽しそうに微笑んでいた。
その横顔にちらりと一瞥を加えると、まったく読めない男だ、とルイは密かに肩をすくめた。
ヴァンパイアの間では時に氷と揶揄される隣の男とは、気の遠くなるほど長い付き合いではあったが、時おり見たことのない一面を曝け出す時がしばしばあった。
冷静沈着で、自らに牙を剥く者たちには冷酷非情というのがヴァンパイアの間でのロイズハルトの印象だろうが、その常識はほんのうわべだけの姿だ。
本当は誰よりも仲間思いで、自分などよりも遥かに情に厚い男だということをルイは知っている。
だからさして悩むこともなく、また周囲の反対を受けることもなく、ヴァンパイアの統括権をロイズハルトに譲ることができたのだ。
他人に対して関心もない、種族の存続にも興味がない、ましてや共存の盟約に何の価値も感じていない自分よりは、よほどロイズハルトの方が適任だと感じている。
だが何に対してもできた男かと問われれば、答えに詰まる場面もある。
良くも悪くも頑固だし、口から出る言葉とは裏腹に実は意外と好戦的、人並みに欲もある。
一番驚いたのは、それまであまりドールや女に自分からは興味を示さなかったのが、ある時を境に手当たり次第な姿勢に転じたことだろうか。シードの中ではデューンヴァイスと並ぶ素っ気なさで有名だっただけに、その心境の変化にはいまだに興味をそそられることがある。
だからといって、あえて詮索しようなどとは思わないが。
「分かってるな? ルイ。やつらの足並みを適当に乱したら撤退だ。夢中になって深追いするなよ?」
「分かっていますよ。エルが十分に逃げ切れるだけの時間を稼げば良いのでしょう? まったく我が軍はロイズ《指揮官殿》もレイ《参謀殿》も手厳しい」
「何言ってんだ。余裕だな」
「そういうあなたこそ、楽しんでますよね?」
「……まあな」
敵を前にしながら、こんな他愛のない会話でも心底楽しそうに口元を綻ばせる。それすらもまた近しい者以外からすれば、ロイズハルトの隠された一面かもしれないと、ルイは心の奥で思案した。
しかしその笑顔もすぐに消え去って、次の瞬間には険しさを含んだそれに変わっていた。
「結局、何の情報も得られることができなかったな……。我々を誘き出すための罠だったのだろうか……」
そう呟いたロイズハルトの視線は、しっかりと眼前に迫る部隊に向けられていた。
けれど思考はまた別のところを彷徨っているようだった。偽りの色を灯した瞳がちらちらと、空や景色を縫い止めるように動いている。
その様子を黙って見つめながら、ルイはこの期に及んでまで本当に分からない男だと苦笑した。
しかしいい加減、その状態を断ち切ってやる時かとルイは考えを巡らせる。
迫り来る馬蹄の奏でる地鳴りといななきが、交戦の近さを物語っていた。
「まぁ、もうこの際何でも良いですけどね。罠から逃れればまた新たな罠が張られることでしょう。そうしたらまた掛かりに行ってやれば良いだけですよ」
「ふふ、それもそうだな」
ルイが投げやりに吐き捨てた言葉に、ロイズハルトが目を細めて同調した。それからルイを一瞥した後、マスクの位置を整え、そして改めて正面に向き直る。
その瞳にはくっきりと、隊を統率する先頭の男の姿が映っていた。