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刻印戦記アウレア ~愛した貴女の最後の言葉を、私は信じている  作者: 叶詩


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6/7

魔王の影

名を知る前に、

人は“気配”を恐れる。


それはまだ姿を持たず、

それでも確かに――世界を歪めている。

 集落の門前に残った緊張は、霧のように晴れなかった。

 私兵との小競り合いは、互いの出方を探るだけで終わった。だが、彼らの視線に宿る“確信”が、アイラの背を刺している。


 刻印は布の下で静かだ。

 それでも、脈打つ“気配”だけは消えない。


 《さっきの連中……ただの番犬じゃない》

 肩の影が、いつになく低い声で言った。

 《世界を“延命”させている側の匂いがする》


 「延命……?」


 《うん。壊れないように、壊し続ける人たち》


 その言葉の意味を、まだ噛みしめる余裕はなかった。

 門の内側から、集落の長が駆けてくる。顔色は悪く、声は掠れていた。


 「外から来た方々……昨夜、北の廃坑で“影”が出た。兵は追い払われ、見張りが戻らない。助けてほしい」


 イリスが一歩前へ出る。

 「その“影”は、どんな……?」


 「黒い霧のようで……声が、聞こえたと。呼ぶような……」


 アイラの胸が、ひくりと痛んだ。

 影が、静かに息を詰める。


 《……来た》


 廃坑へ向かう道は、土と煤の匂いに満ちていた。崩れた支柱、落ちたランタン。そこかしこに“逃げた跡”がある。


 坑道の奥で、冷たい風が逆流した。

 音が、吸い込まれる。


 「……静かすぎる」

 ノエルが剣を構える。


 その瞬間、足元の影が伸びた。

 まるで“床が呼吸している”ように、黒が波打つ。


 《……聞こえる?》

 影の声が、甘く、遠くから届く。

 《“向こう”の足音》


 壁に、歪んだ人影が浮かんだ。

 形は人に近い。だが輪郭は崩れ、内部で闇が蠢いている。


 「……異形」

 イリスが息を呑む。


 影は、こちらを“見る”と同時に、坑道全体が震えた。

 重い圧。胸を締めつける恐怖。だが、それ以上に――“懐かしさ”。


 《ああ……》

 影が、喜びを含んだ声で囁く。

 《同じ“深さ”だ》


 アイラの背中が、熱を帯びる。

 刻印が、呼応する。


 ノエルが前へ出る。

 「来るぞ!」


 異形が、腕のような影を振り上げた。

 岩が砕け、粉塵が舞う。


 イリスは即座に詠唱を始める。


 「光よ、境となれ。我を守れ――《ルクス・シールド》」


 淡い光の壁が展開し、衝撃を受け止めた。

 だが、壁は軋む。圧が強すぎる。


 《……“主”の影》

 影が、初めて“名を避ける”ように言った。

 《まだ姿は遠い。でも、確かに近い》


 「主……?」

 アイラの声が震える。


 《世界を歪める“中心”だよ。君たちが探している――いや、探されている存在》


 異形が、再び迫る。

 ノエルが斬り込み、イリスが光を重ねる。


 だが、影は消えない。

 “削れても、戻る”。


 《ねえ》

 影が、耳元で囁いた。

 《この“源”に、名前をつけるとしたら――》


 言葉が、喉に絡む。

 まだ名は、出さない。出せない。


 だが、世界はすでに――

 その“影”に、触れてしまっていた。


 異形の影が、坑道の天井を這うようにうねり、再び降り注いだ。

 触れれば、身体が“削られる”感覚。痛みではない。存在そのものが、薄く剥がされる。


 イリスの光が走る。

 「光よ、満ちて奔れ。闇を退け――《レディアント・ウェーブ》」


 白い衝撃が闇を裂く。

 だが、影は崩れながらも“核”のような黒点を残し、そこから再生した。


 《……そこ》

 肩の影が、息を呑む。

 《あれが“中心”》


 ノエルが地を蹴った。

 刃に淡い無属性の輝きが宿る。


 ノエルは息を詰め、

 刃に触れた言葉だけを“短く”噛みしめた。


 「無よ、断て。崩せ――《ノア・エッジ》」


 黒点へと斬り込む。

 だが、刃は途中で弾かれ、衝撃でノエルの身体が壁へ叩きつけられた。


 「ノエル!」


 アイラの胸が、きつく締めつけられる。

 “失う”という予感が、再び湧き上がる。


 《呼んでる》

 影が囁く。

 《その“名”を》


 背中の刻印が、熱を帯びた。

 だが、まだ“力”を放つには至らない。

 ――違う。これは、呼ばれている。


 異形の核が、脈打つ。

 その鼓動に、世界の奥底の“反響”が重なった。


 《彼は――》


 影の声が、言いかけて、止まる。


 坑道が、軋んだ。

 遠く、重い“何か”が目を覚ます気配。


 イリスが、必死に光を重ねる。

 「……これ以上、近づけさせない!」


 ノエルが立ち上がり、血を拭う。

 「……名を出すな。今は、まだだ」


 その言葉が、奇妙に重く響いた。


 異形は、突如として霧のように崩れ、

 坑道に“冷たい静寂”だけを残した。


 だが、消えたのではない。

 ――“退いた”のだ。


 《覚えておいて》

 影が、静かに言う。

 《世界の深いところに、“彼”はいる》


 アイラは、闇に残る余韻を見つめた。


 名は、まだ出さない。

 だが、確かに――

 “影の主”は、世界の向こうで、息をしている。

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