表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刻印戦記アウレア ~愛した貴女の最後の言葉を、私は信じている~  作者: 叶詩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/50

敵の名

世界は、

何度も救われてきた。


だが、

その“代償”に、誰の名も残らなかった。


救済は、常に匿名で。

犠牲は、常に無言で。


この章で、

ついに“名”が与えられる。


それは、

世界が押し付けてきた影の名。


――敵の名。

 風は、焼けた鉄と埃の匂いを運んでいた。


 崩壊都市の外縁。

 割れた石畳、崩れた塔、黒く焦げた壁。

 空は曇りきり、雲の裂け目から差し込む夕焼けだけが、瓦礫の影を長く引き延ばしている。


 アイラは、その光の中に立っていた。

 足元の砕けた石が、わずかに熱を残している。


 背中の刻印が、微かに脈打つ。

 呼吸に合わせるように、鈍い熱が皮膚の奥を這い、胸の奥にまで沁み込んでくる。


 ――近い。


 言葉ではない感覚が、心を掻き乱す。

 耳鳴りのような低い音が、頭の奥で鳴り続けた。


 影が、静かに揺れる。


 《……来る》


 それだけを告げる声は、恐怖ではなく、確認のようだった。


 「この気配……」


 ノエルが剣を構える。

 外套が風に揺れ、瓦礫の上で乾いた音を立てた。


 「魔物じゃない。

  でも……人でもない」


 イリスは、光の粒を掌に集めながら、遠くの闇を見据えていた。

 その瞳は、逃げ場を探すようでもあり、迎え撃つ覚悟の色も帯びている。


 「“外側”……白紙年代記の言葉が、こんなにも現実になるなんて」


 誰も、続きを言わなかった。

 だが、全員が理解していた。


 ここに来るものは、

 “世界に拒まれた存在”だ。


 瓦礫の山が、ゆっくりと呼吸した。


 ひび割れた地面が盛り上がり、

 黒い霧のような影が、粘つくように立ち上る。


 人の輪郭。

 だが、顔はなく、

 そこにあるのは、無数の“声”の残滓だけ。


 悲鳴。

 祈り。

 怒り。

 諦め。


 それらが重なり合い、

 ひとつの“存在”として、そこに立っていた。


 《……ああ》


 空気が震える。

 低く、深い声が、胸の奥を直接叩いた。


 《やっと、見つけた》


 その声は、男とも女ともつかない。

 だが、どこか“懐かしさ”を帯びていた。


 アイラの胸が、強く締めつけられる。


 「……あなたは、誰?」


 問いかけは、喉を震わせてこぼれた。


 影が、ゆっくりと首を傾げる。

 その動きに合わせ、周囲の闇がうねる。


 《名は、もう捨てた》


 《だが……》


 影は、背後の瓦礫と、遠くの空を指し示すように広がった。


 《世界が、そう呼ぶなら――》


 風が止まる。

 夕焼けが、影を裂く。


 《我が名は――“ヴェイン”》


 その名が、空気を貫いた瞬間、

 背中の刻印が、激しく発光した。


 痛みではない。

 理解が、流れ込んでくる。


 ――誤差。

 ――拒絶された可能性。

――切り捨てられた世界の集合。


 すべてが、

 この存在へと集約されている。


 「……魔王」


 ノエルの声が、かすれる。


 ヴェインは、ゆっくりと微笑んだ――ように見えた。


 《そうだ》


 《お前たちが、救い続けた世界の“影”だ》


 その言葉は、

 まるで“事実”として、地面に沈み込んだ。


 ヴェインの周囲で、影が脈動していた。


 それは炎のように揺らぎ、霧のように滲み、時折“人の輪郭”を思わせる形をとっては崩れていく。

 瓦礫の間に残る影さえ、彼に引き寄せられるように伸び、足元で黒い渦を描いていた。


 まるで、この場所そのものが――

 彼を中心に、歪み始めているかのようだった。


 《救い?》


 ヴェインは、低く笑う。


 《お前たちは、それを“与えている”つもりか》


 空気が重くなる。

 息を吸うたび、胸の奥に冷たい鉛が落ちるような感覚があった。


 《祠は、世界を選び直す座だ》


 その言葉に、イリスの指がわずかに震えた。


 《王族の末裔は、あれを“統御”と呼ぶ》

 《だが本当は、延ばしているだけだ》

 《切り捨てる世界を、選び続けているだけだ》


 ノエルは歯を食いしばる。


 「……それでも、世界は生きている」


 《そうだ。だからこそ――》


 ヴェインの影が、ゆっくりと広がる。


 《俺は生まれた》


 アイラの胸が、強く脈打つ。


 背中の刻印が、熱を帯びて輝きを増す。

 視界の端で、影が揺れた。


 《……お前も、知っているはずだ》


 ヴェインの声が、直接“内側”に響く。


 《祠に拒まれた者たち》

 《完全になれなかった“器”》

 《選ばれなかった世界の、残骸》


 それらが、

 すべて自分の内にもあると、

 アイラは理解してしまった。


 「……違う」


 かすれた声で、彼女は否定する。


 「私は、選ぶ」


 ヴェインは、静かに首を振った。


 《選ばされているだけだ》


 イリスが一歩前に出る。


 「それでも、私たちは進む。

  あなたを“敵”として」


 光が、彼女の周囲に集まり始めた。

 だがヴェインは、まるでそれを待っていたかのように、影を凝縮させる。


 空気が、張りつめる。


 影と光が、互いを拒むように震え、

 世界が“息を止めた”。


 《来い》


 ヴェインの声が、低く落ちる。


 《お前たちの“救い”を、見せてみろ》


 その瞬間、

 刻印が、強く、深く、光った。


 そして――

 戦いの幕が、切って落とされた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ